Jamais Vu
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第十章
託されたもの
(11)

 さらに彼は久保田に得々と語って聞かせた。
 伊里江はアメリカで着々と研究成果を積み上げ、ノーベル賞候補者と目されるまでになった。そして五年後、彼は日本に凱旋帰国する。東北の大学が高給優遇で引っ張ったのだ。彼はそこで研究の集大成を行うはずだった。ブラックホールの謎が彼によって解明されるはずだった。ところが彼は、無尽蔵のエネルギーを生み出すブラックホールを、驚いたことに研究室の中で作り出してしまった。当然石油などの代替エネルギーとして注目された。だが同時に彼の成果を好ましく思わない連中に命を狙われることになった。彼はすべてのデータを持って逃げた。たったひとりの肉親である弟とともに。
「奴は自分を追いつめた連中を憎むあまり、越えてはいけない一線を越えた。自ら作り出したブラックホールに北海道を飲み込ませ、自分の要求を──完全な自由と安全を保証しなければ、次は世界を消滅させると宣言した。
 政府はその要求を蹴った。そして伊里江が最期の引き金を引く前に奴を捕えるべく、対策本部を設置した。と同時に政府は最悪の場合を想定して、ヴァーチャル世界が誕生後の対応策も検討していた」
「鏡像世界とやらができてしまったんじゃ、もうお終いじゃないのか? 打開策なんてあるのか?」
「なくもない」
「どんな?」
 岩村は両膝をさすると、
「伊里江の性格ってのが、今イチ俺には理解できないんだが、どうやらかなりお調子者らしい。いや人を人とも思わないというか」
「ほう」
「奴は進んで自らネタばらしを始めやがった。政府に対して、論文のコピーを送ってきたり、研究成果の一端をちらつかせたり。自分はどこにいるのでしょう? なんてどこかの風景をバックにしたスナップ写真まで送ってくる始末だ」
「変な奴だなぁ」
「だろう? でも次々と送られてくる資料やデータを、我が国が誇る最先端の知性を総動員して解析した結果、いろんなことが判明してきた。
 奴が十二人のリアルを種に使おうとしていること。ヴァーチャル世界はリアル世界を鏡に映したように反転していること。ヴァーチャル世界の住民たちは大怪我をすればたちまち砂と化してしまうこと。ヴァーチャル世界が崩壊してブラックホールへ遷移し、リアル世界を飲み込んでしまうまで、十四日間の猶予があること」
「待て」久保田が手の平をかざした。「するってえと、種となるリアルを──つまり排除すれば、どちらの世界も助かる見込みはあるってのか?」
「そう、そのために俺たちは編成された。既存の警察や自衛隊じゃ、この非常事態を任せられないということでな。じじつこの世界がヴァーチャルであると知った政府要人や自衛隊幹部らが悲嘆のあまり、辞表を提出したり、行方をくらましたりしてるそうだ。
 ……おのれの身体がただ世界を破滅するために作られたと知って、まともな精神状態でいられる人間は、そうざらにはいないさ」
「オマエたちは違うと?」
 岩村は頷く。
「最初から事情を教えられ、この状況に耐えられる者として選抜された人間の集まりだ。その分、気概は十二分にあるが統率が難しい。バラバラに集められた集団だからな。現に最近、副隊長がクーデターを起こして隊長を拘束した。この新隊長の真崎という男はカリスマ性の強い奴で、手段を選ばないことにかけては天下一品だ。彼のおかげで部隊の士気は数倍に跳ね上がったと言っていい。もちろん成果も上がっている。現時点で四人のリアルがこの世から消えた」

(四人も──!!)
 萠黄は心臓がひっくり返るほど動転した。
 初めて知らされる敵の正体。
 彼らによって、仲間の三分の一がすでに消された……。
 それが事実なら、自分はこれまでよほど運が良かったのだと言わざるを得ない。
(早く逃げなければ)
 気がつくと、萠黄は廊下に足を踏み出していた。
 これ以上ここにとどまるのは危険だ。敵に感づかれる前に逃げ出そう。そう思って久保田に声をかけようとした瞬間──、
「ただいま、遅くなって済まんな」
 ガチャリと玄関扉が開き、入ってきた人間と萠黄の目が正面からぶつかった。



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