「ハハ、心配するな」岩村はそわそわとする久保田をいとも簡単に笑い飛ばすと「俺の他には相棒がもうひとりいるだけだ。今そいつは食糧の調達に行ってる。おっつけ帰ってくるだろうが、俺がちゃんと紹介してやる」
相棒が不在と聞いて、久保田はひとまず胸をなで下ろしたが、心中は穏やかではなかった。
(敵が増えるのは好ましくねえな。この場は早いとこ切り上げて退散するに限る。──とはいえ不自然な退場でイワに疑惑を抱かせちゃつまらねえ。こいつぁ厄介だ)
しかしそんな心配などおくびにも出さず、久保田は両手を組んで岩村に詰問した。
「で、その話と俺の義姉とが、どう結びつくんだい?」
「ああ、その話だったな」
岩村は体裁悪げにうつむいた。
「──物のはずみだったんだ」
「判るように説明しろ」
「すまない。──じつは本部から、リアルのひとりがここに住んでいるとの情報が入ったんだ。光嶋萠黄という若い女性だと。ただちに俺たちはこの家に急行したが、誰もおらず留守だった。いや、猫が一匹いたが、飛びかかってきたんで仲間の一人が腹いせに撃ちやがった。なにしろウチの連中はみな血気盛んでな。
不在じゃしかたがない。ひとまず撤退しようとした時だ。この家の主婦が買い物から帰ってきて、俺たちを見るやいきなりがなりたてやがっ──スマン、それがオマエの義姉さんだったんだな。
俺は『萠黄という娘がいるな。今どこにいる』と詰め寄ると、彼女はさらに吠えまくった。俺たちの姿を見ても物怖じせずに噛みついてきた。考えてみりゃ当然だわな。帰宅したら娘を狙う強面の男たちが家宅侵入してたんだから。
そのうち彼女が非常ベルを鳴らそうとしたんで、仲間の若いのがスモーク弾を投げやがった。それも転がせばいいものを、彼女に目がけてな。
あとでニュースを見れば、彼女はそれが原因で命を落としたという。──悪かった。現場を仕切っていた俺の責任だ」
岩村は深々と頭を垂れた。
当然、久保田は鬼の形相で岩村をにらみつける。親しい縁者が不当な殺され方をした役回りなのだ。怒ってもあまりあることに違いない。
「イワ、謝って済むこっちゃねえぞ!」
「判ってる。いずれ責任は取らせてもらう」
岩村は床にひたいをこすりつけんばかりに頭を下げる。久保田の知る岩村は、学生の時分から一本気な男だった。腹を斬ると言えば本気でやりかねない。
いずれにせよ、久保田は精神的に優位に立った。
(あとは頃合いだ。頃合いをうまく見定めなけりゃ)
久保田は奥底に眠っていた格闘家の血が沸いてくるのを感じた。
(しかし驚いたな。あの萠黄さんが、あんな小さな娘がリアルとかいう、全世界が目の仇にしている存在だったなんて)
久保田はチラッと廊下のほうを見た。萠黄の入った部屋は閉じられたままだ。もう用事は済んだだろうか。もしかすると彼が「帰るぞ」と声をかけるのを待っているのかもしれない。
(あわてるな。仕損じたらおしめえだ)
「ところで久保田、オマエこの十五年、どうやって過ごしていたんだ?」
「──ん? 俺か」
「大学院に籍を置いたまま、突然の失踪。下宿に『探さないでくれ』と一筆残してあったので、誘拐じゃなさそうだと一応皆は安心していたが」
「バカヤロー。俺みてえな醜い大喰らいを誘拐したって、メンテが大変なだけだぜ」
久保田は苦笑した。つられて岩村も苦笑いを浮かべる。
「俺はずっと、漁師をやってたんだ」
「漁師だと?」
「マグロだ。マグロを捕る遠洋漁業の船に乗っていた。大学院を後にした翌日、和歌山に行ってそのまんまな」
「たまげたね。大転身もいいとこだ。もっとも小さい頃から柔道で鍛え上げ、インターハイ全国制覇をしたほどの身体の持ち主だから想像できなくもないが……。今もやってるのか?」
「いや、ここ三年は加太のホテルで魚を捌(さば)いてた」
「やっぱり食うほう担当か」
「置きやがれ」
ようやく友人同士の空気が互いの間に醸成されてきた。
「なあ久保田、よかったら聞かせてくれ。なんで大学院を急に飛び出したりした?」
「………」
「俺たちふたりのどちらが助手の席を奪い取るか──。まだ修士課程の一年を終えたばかりの俺たちを、周囲はそんな目で見ていたのは覚えてるだろ」
「俺はな、イワ」久保田は組んでいた両手を解くと膝の上に乗せ、「限界を感じたんだ」
「限界を──」
「ああ、俺が宇宙物理学に興味を持ったのは、そこにロマンを感じたからだ。理論や理屈なんかじゃねえ」
「………」
「前途有望だなんておだてられ、オマエと机を並べて、毎日毎日データを分析したり、仮説を立てて検証したり、論文を執筆したり学会に出席したり……そういうのがイヤになっちまったんだ。──俺の性格には合わなかったんだよ、つまるところ」
「そうか」
「でもな──船の上はいいぞ。仰げば満天の星空だ。大海原にゃ、じゃまする明かりなんてどこにもねえ。宇宙に包まれてる、そんな気分になるんだよ、これが」
「久保田らしいな。後悔はしてないか?」
「ないといえばウソになるな。収入が少ないから食っていくのも精一杯だったしな。落ち着いたのは定職に就けたここ数年のことよ」
「苦労したんだな」
「なあに、自業自得だ」久保田は鼻を鳴らした。「俺のことよりイワ、オマエはどうなんだ? 俺がいなくなってすんなり助手の席に座ることができたんだろ?」
岩村は力なさげに首を横に振った。
「覚えてないか? オマエが失踪する直前、研究室に大学を飛び級で上がってきた奴がいたろう」
「そういやいたなあ。大学創設以来の天才だか秀才だかと話題になったっけ」
「助手の席は、やすやすとそいつに奪われちまったよ。伊里江真佐吉という奴にな」
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