部屋は真っ暗だった。
すぐに壁のスイッチをまさぐったが、ハッと気づいて反対の壁に手を伸ばした。
電灯がつくと、部屋は萠黄が出て行った時のままだった。左右反対の勉強机。左右反対のベッド。揣摩太郎のポスターも逆を向いたまま。
萠黄はバッグを放り出すとベッドの上に腰かけた。やわらかい布団がふわりと萠黄の尻を受け止める。
ふいに萠黄は、このまま眠ってしまいたい、という欲求にかられた。このまま朝まで眠れたらどんなに気持ちがいいだろう。枕カバーに描かれたキャラクタも萠黄においでおいでをしている。
(アカン、悠長なことを考えてる暇はないんや)
そう。状況は一刻を争う。
萠黄は首を激しく振り、ベッドから尻を引きはがした。そしてパソコンデスクに鎮座している愛機、デスクトップ型最新iMacのディスプレイの前に座った。
スイッチをオンにする。ブウンと起動音が鳴る。
OSが立ち上がるのを待っているあいだ、萠黄は書棚から別のノートパソコンを取り出し、こちらの電源もオンにした。
ノートパソコンはPowerBookで、やはりMacだが、A5サイズの超コンパクト型だ。萠黄はiMacに記憶させてある重要なファイルやツール群を、このPowerBookにコピーして持ち出すつもりなのだ。
起動を終えた二台のパソコンをケーブルで接続すると、間髪を入れずにファイルの転送をスタートさせる。画面に所要時間は『五分』と出た。かなりの分量だ。
あとはただ待つしかない。
(リビングのほうは、どうなってるやろ?)
気になるが、ここからでは何も聞こえない。ただ、静かなところをみると、ふたりの話し合いは続いているようだ。
(久保田さんが、迷彩服と友達やったなんて)
おかげでファイルを持ち出すことができそうだ。
しかし無事に逃げ出すまで、油断は禁物だ。何しろ敵は血も涙もない迷彩服≠ネのだ。しかも──
(岩村というあの男、一度は自分たちを殺そうとした)
「リ・ア・ル?」
「そうだ。俺たちはリアルを掃討するために編成された特殊部隊なんだ」
久保田と岩村はソファの斜交いに腰かけていた。久保田は岩村の語る話に、最前から耳を奪われていた。
「すると、この世界はたった四日前に作られたコピーの偽物で、あと十日もするとリアルのエネルギーが満ちて、この世もろとも自爆しちまうと言いたいのかい?」
「言いたくはない──が、事実だ」
ううう。久保田はうめいた。
「この世界に送り込まれた十二人のリアルが、そのエネルギーの臨界点に達する前にこの世界から排除する、つまり殺す。それが俺たちの任務だ」
「あとたった十日のうちにか」
「当初の計画ではな。ところがそんなにのんびりとしてはいられなくなった」
「?」
「欧米各国が我が国政府をしきりにせっついているんだそうだ。一日も早くリアルを仕留めないと、核攻撃で日本列島ごと吹き飛ばしてやるとな」
「そんなムチャな」
「奴らのいい分ももっともさ。あの北海道が年端の行かないリアル・チャイルドひとりによってこの世から消え去った──ブラックホールだから正確には飲み込まれたというべきかな──そのことは各国上層部の誰もが知っている。現在の状況も極東の島国が犠牲になりゃ済む話なんだから、奴らにしてみりゃ、やっちまえってなもんさ。現に昨日もリアルが潜伏中の小さな島が、米海軍のミサイル攻撃を受けた。政府には事前通告もなしにな」
「………」
「そんなわけで俺たちも躍起になってるんだが、リアルの中にも優れた奴がいるらしい。ネットのSS広告で仲間に呼びかけてやがる」
「ほう」
「これがまた巧妙で、発信元も、広告に応じた奴のアクセスポイントも追跡できないように仕組まれてある。すべてのネットワークをダウンさせない限り、広告を妨害できないときてるから始末に負えん」
「ふーむ。そんなにリアルってのは、特殊な能力を持った人間たちなのかい?」
「そんなことはない。どいつもごく普通の一般人らしい。最初のうちはな」
「最初は?」
「ああ。俺はそのうちの一グループをギリギリのところまで追いつめた。ところが奴ら、武器もないのに反撃してきやがったんだ」
「どうやって?」
「こう」岩村は人差し指を立てると、空中で八の字を描いて、「指が動くと、炎がムチになって襲いかかってきた。俺は服を燃やされただけで危うく難を逃れたが、何人かが胴体を寸断され、命を失った」
「………」
「リアルを甘く見ていた。その責任を取らされた俺たちはこのとおり最前線から外され、リアルの実家を監視する役にまわされちまったのさ。帰ってくるかどうかも判らんのにな」
「俺たち? オマエの他にも誰かいるのか?」
久保田は腰を浮かすと、辺りの様子をきょろきょろと伺った。 |