「あん?」
男の顔から笑みが消えた。
「何だと?」
「岩村だろ? 岩村利彦」
「誰だ、お前!」
岩村と呼ばれた男は、射すくめるような眼光を放ちながら、閉じたカーテンを背にゆっくりと立ち上がった。カーテン柄が華やかなだけに男の迷彩服がひと際違和感をそそる。銃口は依然として相手に向けられたままだ。
「名前は、名前は何という? 言え!」
殺気に満ちた男の瞳に、激情のうねりが走った。
「久保田だ。久保田陽平だよ」
「久保田陽……」
ひたいにかざしていた手をゆっくりと下ろした久保田は、
「このツラを忘れたとは言わせねえぜ、イワ」
ぐっと顔を突き出した。
すると男はウウッとうめき、驚きとも喜びともつかない声を上げた。
「ウソだろ、おいホントに久保田か……信じられねえ」
久保田はホッと息を漏らし、意識して相好を崩すと、自分の顔をさすりながら、
「まあヒゲもはやしてるし、パッと見は判らんだろうがな」
「判るもなにも、いったい何年ぶりだ? 大学院で机を並べて以来だぞ」
「十五年ぶりか。お互いにトシをとったわけだ」
「しっかし、信じられねー」
(信じられないのは、俺のほうだっつーの)
久保田はここまで深く考えることなしに突進してきた。腕力には自信があったので、少々のヤツが出てきても、適当に懲らしめてやればいいぐらいに思っていた。酔った演技をしたのは、敵を欺いてうまくふところに飛び込んでやろうという茶目っ気がさせたものではあったのだが。
しかし待ち構えていたのが、コマンドーのような重装備に身を包んだ旧友だったとは。
(安心しちゃいけねえ。俺にとっては昔懐かしい友人であろうと、萠黄さんの命をしつこく付け狙ってるヤツだ。俺が彼女の盾になってやらなくては)
岩村の銃は久保田を外れて床を向いた。だが状況はまだどう転ぶか判らない。ここが演技のしどころと久保田はヘソに力を込めた。
岩村は呆然としたように、久保田の全身を見回し、
「久保田よ、お前なんでこんなとこにいるんだ?」
「なんでって、オマエ」久保田はタオル越しに頭をバリバリとかきながら自分の役柄を思い出すと、「姉貴に会いにきたのよ」と、よどみなく答えた。
「そういや、さっき表でそんなことを叫んでたな」
「酒のんでたんでな。つい喚いちまった」
テレたように、また頭をかいてみせる。
「けど……オマエに姉貴なんていたっけ? 一度オマエん家に遊びに行ったことがあったが、兄弟はトシの離れた兄貴ひとりだったんじゃ──」
「姉貴っつっても義理の姉だよ。その兄貴の嫁さんさ。もっとも数年前に離婚しちまって、今は子供と二人暮らしなんだけどな」
「ほう」
ここに至ってようやく岩村の眉が開いた。久保田の詳しい説明が岩村の疑惑を解いたようだ。
(気を抜くな)
背中を滝のような汗がつたっている。久保田は頭のタオルを自然な動作で外すと、そ知らぬ顔で首筋の汗だけを拭った。
「今度は俺に質問させろよ、イワ」
「む」
「なんでオマエがここにいるんだ? さっき、死んだとか言ってたが、まさかオマエが!?」
久保田は疑惑と憤りを言葉に込めて、岩村に詰め寄った。
「待ってくれ。これには深い事情があるんだ」
「深い事情だと?」
体格はふたりとも似たり寄ったりだが、身長は久保田のほうが拳ひとつ高い。近寄れば久保田が岩村を見おろすことになる。
久保田の眼光に岩村はたまらず視線をそらした。
「話すと長くなる。まあ、そこのソファにでも腰かけてくれ」
「………」
リビングはダイニングを兼ねているため、広いフローリングの上には、食卓の他にソファセットが置かれている。
久保田はじっくりと間を取ってから、巨体をソファのほうに向けたが、ふと気がついたという顔で、
「息子に聞かせるような話じゃないよな?」
「息子? あ、ああ」
岩村は完全に久保田の気迫に圧されている。
(この場の主導権は俺が握った!)
そう確信した久保田は、玄関の萠黄に声をかけた。
「おい、も──萠平!」
萠黄は靴を脱いだすぐのところに立ちすくんでいたが、自分に呼びかけたらしいと知ると、胸の前にバッグをかかえたまま、あわてて頷いた。
久保田も頷き返すと、
「父さんたちは、少し込み入った話をしなけりゃならん。オマエ、どこかその辺の部屋に入って休ませてもらえ」
萠黄はさらに大きく二度頷き、迷わず自分の部屋の扉を開け、するりと中に飛び込んだ。
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