Jamais Vu
-137-

第十章
託されたもの
(6)

(何考えてんの、この人)
 今にも銃弾が降り注ぐのではないか!? 扉の向こうからバズーカ砲が火を噴くのではないか!? そんなことばかり頭の中に去来し、萠黄は生きた心地がしない。
 考えてみれば──みるまでもなく、久保田は迷彩服たちのことなど全く知らないのだ。彼らの容赦ない攻撃も、執拗な追撃も、一切知らないのだ。
 おそらく久保田は、不良の集団かごろつきぐらいにしか思っていないのだろう。だからこんな不用意な行動ができるのだ。
 力まかせに扉を叩いていた久保田がふいに振り向いた。
「なあ、お母さんの名前は?」
「えっ──景子です」
 するとまた扉に向き直り、
「ケーコ姉さーん、弟の陽平でーす。久しぶりに海から戻ってまいりましたー。どーか不肖の弟めに顔を見せてやってくださーい」
 大音声である。おそらくインターホンでなくても部屋の中まで届いていることだろう。
 中にいる敵はどんな反応を示すのか? 萠黄には一秒一秒がとてつもなく長く感じられた。
「おーい、いないのかー」
 久保田は徐々に叩き疲れたというように扉にもたれかかり、ズルズルと床に膝をついた。
 あくまで演技中なのだ。萠黄の母を姉に見立て、酔った弟が夜中にいきなりやってきたというシークェンスを、台本なしに実演中なのである。
「いないのかよぉ……ありゃ」
 手をかけたドアノブを手前に引くと、驚いたことに、扉がスーッと開いた。
「開いてるじゃないか。なんでだよー不用心だなー」
 相変わらず大声でわめきながら、すでに首を扉の隙間に突っ込んでいる。
「もしもーし」
(今度こそ撃たれる!)
 萠黄は何度、血が逆流したか判らない。廊下の手すり壁に背中を押しつけたまま、ずっと硬直したままだ。
「電灯も消えてるぞ、留守かぁ、まいったなぁ」
 久保田はしきりに頭をかいて困っている様子だったが、
「しかたがない。父ちゃん、これ以上は歩けないから、一晩ここで泊まらせてもらおうじゃないか」
 萠黄に対してそう言うと、扉をヨイショと押し開いた。そして萠黄についてくるよう無言で合図を送った。
(まさか、家の中には誰もいないとか……?)
 久保田はすでに靴を脱いでいる。明かりのスイッチを押すと、リビングにつながるフローリングの廊下がを平気な顔をして歩いていく。
(やっぱり誰もいてへんのやろか……警察の人がうっかり携帯を置き忘れていったとか)
 萠黄の緊張の糸がゆるみかけた、その瞬間だった。
「止まれ」
 ドスの利いた低い声が、リビング奥の闇から発せられた。
 玄関に佇(たたず)んでいた萠黄の目にも、久保田がビクッと身体を震わせたのが判った。
(おったんや!)
 リビングがパッと明るくなった。電灯のスイッチが入れられたのだ。
 久保田は反射的に明かりから目を遮った。彼はスイッチなどは触っていない。電灯をつけたのは──敵!
 そいつは真正面にいた。
 玄関からまっすぐ延びた廊下がリビングに達し、その延長線上には厚みのある一枚ガラスが内外を仕切っている。
 そいつはガラスを背に、両脚を投げ出す格好でリビングに腰をおろしていた。萠黄が首を動かすと、そいつが久保田に向かって構えている銃の筒先が見えた。
(迂闊(うかつ)すぎる!)萠黄は舌打ちした。(策もなしにホイホイ帰ってきて、敵の術中にハマるやなんて……アホもエエとこや)
 萠黄は腹の前でぎゅっと拳を握った。
「ア、アンタ、何者だよ。なんでここにいるんだよ。なんだよその銃は」
 久保田のおろおろとした声が響く。本気か演技か区別がつかない。
「そういうお前は誰なんだ? 夜中に人ん家へ断りもなく入ってくるなんて」
 萠黄の頭の隅で、何かが光った。
 その声には聞き覚えがあった。
「ここは俺の姉、景子の家だ。アンタみたいな男は家族にはいないはずだ」
 リビングの入口に立ったまま、久保田が反論する。
「なんだ、ここの連中の親族か」男は笑うと「その景子とかいう主婦は死んだよ」
「死んだぁー!?」
 久保田は一歩前に出た。
「そうだ。死んだ。ついでにお前も死ぬか?」
 男が銃を構え直した。
(ここまでか──!?)
 萠黄がガックリと壁に肘をついた時、久保田の口から予想もしなかったセリフがこぼれ出た。
「アンタ……岩村じゃないのか?」



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