Jamais Vu
-130-

反撃
(9)

 空にはまだ夕焼けの残照が残っているものの、この辺りまで来ると太陽は山裾に隠れてしまう。
 萠黄たちの車は早々にライトを灯していた。窓を飛び過ぎる景色はすでに立ち込めつつある闇の中に鈍くかすんでいた。
 萠黄が画面を覗き込んだ瞬間に感じたのは、自分を圧倒するような画面のまばゆさだった。
 ──貴重な一日がもう暮れようとしてる。
 一瞬、そんな焦りが去来したが、次の瞬間、意識は画面に映し出された文言に強く惹(ひ)かれた。

《お仲間がいると知り、うれしく思います。
 ご連絡をお待ちしています。 
              柊 拓巳》

 文末には連絡先として、携帯の電話番号とメールアドレスが記されていた。
 白地にていねいな文字で書かれた文章は、萠黄とむんを興奮させるに十分だった。
「エリーさん、見てみて! 第一号や、大成功や!」
 萠黄は伊里江の肩をバシバシ叩いた。さすがの伊里江も言葉を忘れて文面に見入った。
 萠黄のはしゃぎっぷりに前席のホテル従業員たちがいぶかしげに振り返った。暗闇の中でぼうっと光る四角い画面を見つめる萠黄たちは、さながら洞窟で発見した宝物に驚喜する童話の主人公たちのように映ったろうか。

 奈良県のほぼ中央、吉野町に到着した頃には、萠黄とむんはすべての返信メールをチェックし終えていた。
 結果的には、四百件のうち、まともな返信はあの一件だけだった。
 チェックを始めてからも数十件の返事が相次いで届いたが、こちらは成果ゼロ。まともな文字(鏡文字に対する)で書かれた返信もあるにはあった。しかし、いかにも無理して書きましたというものばかりで、ほとんどがひやかしの内容だった。
「さっきは、いいことがあったんですか?」
 運転席の久保田が横顔を向けて話しかけてきた。
 車の外では今、従業員のひとりがここで降りるということで仲間たちと別れを惜しんでいる。
「はい、とても」
 返事をしたのは、意外にも自称人見知りの萠黄だった。
 彼女は不思議と久保田という料理長に親しみを感じていた。
 久保田は三十代半ばだろうか、うっすらと無精ヒゲを伸ばし、短く刈り上げた頭にはトレードマークのようにタオルを巻いている。
 彼は太い首をめぐらせて、熊の人形のようなつぶらな瞳で萠黄に微笑みかけると、
「アイツらを届けるのに、これからまだ寄り道せんとなりません。アンタたちは大津まで行くんでしたね。到着はかなり遅くなると思いますが、疲れたら遠慮なく眠ってください」
「すいません」
「謝ることはないですよ。腹が減ったら、そこの後ろに握り飯が山ほどありますんで、どうぞ好きなだけ召し上がってください」
 再び、萠黄はすいませんと頭を下げた。むんもお世話になりますと言い添えた。
 おおげさではなく、後部の荷台には握り飯を始め、食物がこれでもかというほど積まれていた。それはホテルが休業するので大放出したというのではなく、滋賀に到着するまで、食糧を調達できないことを女将が危惧したからだ。
 その予想は当たった。すでにここまで来る途中、何軒ものコンビニやスーパーを見かけたが、開いている店はひとつとしてなかった。
 若者たちが戻ってきてドアを開き、乗り込んだ。ひとりは泣いていた。彼らの結びつきの強さを見せられた思いがした。
(きっと、いい働き場所やったんやろうな)
 久保田はライトバンは再スタートさせると、残ったふたりの従業員に向かって、
「おまえらの実家は、榛原(はいばら)と天理(てんり)やったな。時間も遅くなってきたから少し飛ばすぞ」
 お願いしますと従業員たちが体育会系のノリで頭を下げる。
 久保田は鼻歌を奏でながら、ライトバンを本道へと戻すと、山の中の国道を一路北へとアクセルを踏んだ。
 萠黄はその久保田の後頭部を見つめながら、硬直したようにアゴを震わせていたが、
「ねえ、むん。大津に行く前に、わたしの家に寄られへんやろか?」
「家──って、富雄(とみお)の?」
 萠黄はうんうんと頷き、
「自分チのパソコンを持ち出したいんよ。だってこれから敵のふところに飛び込むわけやん。素手で戦うわけにはいかへんから、何か武器がほしい。わたしが使える武器っていうたらパソコンしかあらへんやんか。自宅のパソコンにはこれまでに自作したり集めたりしたツールがいっぱい入ってる。エリーさんが使ってるリュックパソコンみたいにきっと役に立つはずや」
「なるほどね。わたしも賛成する。それに天理からやったら、富雄はほとんど通り道にあるしね」
 萠黄はそうそうと頷いたが、
「ただ気がかりなのは、迷彩服たちが見張ってたりせえへんかということなんやけど……」
「そんなこと言うてたらなんもでけへん。だってパソコンは絶対に必要なんでしょ?」
「うん」
「ほならゴーやわ。なんとかなるって」



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