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-129- 反撃 (8) |
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勢いで口にしたお願いを、女将はあっさりとOKしてくれた。 「袖触れ合うも……でございます。料理長の車はライトバンですから、おそらく余裕はあるかと」 「ありがとうございます」 「ちょっとちょっと萠黄」 案の定、むんが肩を寄せてきて、小指で萠黄を突ついた。 「まさか直接、大津に乗り込もうなんて考えてるんやないやろね?」 萠黄はぺろっと舌を出すと、 「ごめん。急に行きたなってん。だってお兄さんのアジトを突き止めとかんと、リアルの人々が集まっても連れて行くところがないでしょ? エリーさんが言うたように、お兄さんはわたしらが死んだかもしれんて油断してるはず。今すぐ行動を起こせば、先手を取れるかもよ」 「まったくぅ……エリーさんはどう思う?」 さざえをつついていた伊里江は顔も上げずに、 「私も賛成です」 「やれやれ」 萠黄たち一行が同乗することになり、出発はいくら早くても構わないと伝えたため、料理長の車は急遽この日のうちに出立することになった。 料理長の愛車は、かなりくたびれた白のライトバンで、定員は八名。従業員は持ち主を含めて四人。萠黄たち全員は乗れない。すると、 「俺はここでお別れするよ」 揣摩はそう言って残留を希望した。もちろん柳瀬もいっしょだ。 「また縁があったらどこかで会おうな──そうだ、影松さんの電話番号とメールアドレスを教えておくよ。できれば力になってやってくれ」 もちろん、と萠黄は言い、ライトバンに乗ったふたりは車が動き出すと、ホテルが見えなくなるまで手を振っていた。 「さみしくなったね」 空高く並んだうろこ雲が夕暮れ色に染まっていた。むんの横顔が雲の照り返しを受け、美しく輝いている。 ライトバンは紀ノ川沿いの国道二十四号線をまっすぐに走っていた。見通しの良い道路には対向車の影すらない。 「そうやね」 萠黄は短い言葉で答えた。ふたりとも乗車した時からずっとノートパソコンの画面をにらみ続けている。画面には刻々と変動するグラフと詳細なデータが流れていた。 ノートパソコンはホテルの女将のものだ。ダメ元で女将に借してもらえるパソコンがないか訊ねてみたところ、旧式のものでよければと、倉庫で眠っていたものを出してきてくれた。 「こんなんでよければ、差し上げますよ」 萠黄は女将の心遣いに感謝し、丁重に譲り受けた。 ノートパソコンは延長コードで伊里江のパソコンに接続された。伊里江が衛星を通じてデータの収集、解析などをおこなっているあいだ、萠黄たちは分析や集計した結果を分担して検討しようというわけである。左右のひっくり返ったキーボードは萠黄には扱いづらく、むんが膝において操作することになった。 ライトバンを運転する料理長は久保田ですと名乗った。大柄な身体の持ち主で、肩といい腕といい筋肉隆々、板前になる以前は漁師をしていたという。目付きは厳しいが陽気な性格らしく、運転しながらずっと鼻歌を歌っている。ミドルシートにいる若い従業員たちが、後ろのむんにちょっかいを出そうとするのを「お嬢さんがたの邪魔をするな」と一喝してくれた。 ライトバンは順調に走行距離を伸ばし、和歌山と奈良の県境を越えようとしていた。最初の目的地の吉野で従業員をひとり降ろすのだという。 萠黄はリアシートの真ん中に腰掛け、むんの膝の上の画面と、伊里江の膝の上の画面を交互に眺めていた。 いま最も気になるのは、例のSS広告の反響である。無断アップロード&無断配信からすでに三時間。伊里江がアクセス状況を調査したところ、投稿フォームのページまで進んだ数は三千件を超えている。文面を読まず、やみくもに次へ進むボタンを押した輩もいただろう。返信文が送られてきたのが約四百件。そこに書かれていたのは、落書きを除けば対象外の鏡文字(この世界ではまともな文字)ばかりだった。 逐一それらをチェックしていく。振動する車の中では両目は疲れるし、手書きなだけに読み解くのさえ一苦労だ。 「ひやかしみたいなのが多いね。なかには『取材させてください』なんて真面目なのもあるけど……。企画倒れやったかなぁ」 萠黄がため息をつきながら愚痴をこぼすと、 「焦ることないよ。まだまだこれから」 むんは明るい声で答えた。 そんなむんの横顔をあらためて見つめ、萠黄はオヤッと思った。リアウィンドウから差し込む夕陽が、むんの頬にくぼみを作っていたのだ。 (そういえばさっきの料理も、むんはあんまり食べてへんかった) 「アッ」突然、むんが叫んだ。「これ、当たりと違うかな?」 言われて萠黄は目を画面に戻した。 |
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