萠黄たちの作ったCMはいたってシンプルで、黒の背景に文字がひとつずつ浮かび上がるというものだ。
文面は次のとおりである。
「この文章がすんなりと読めたアナタへ。
アナタは私たちの仲間です。
アナタがもし元の世界へ戻りたいと願うなら、
すぐ私たちに連絡をください。
アナタが元の世界へ帰る手助けをします」
これらの文字は、すべて鏡文字(萠黄や伊里江にとってはまともな文字)で表示されるのだ。
画面に映るのはわずか十秒。そのあいだに文末に添えられたボタンを押さなければ、次の画面に進めず、CMは終了する。
次の画面では、こちらにメッセージを送るための投稿フォームが用意されている。投稿フォームは、通常のキーボード入力を受け付けないようにしておいた。メッセージはマウスで書くよう促している。
「つまり、このSS広告の肝心な点は」むんが感心したように感想を述べる。「文面以上に、鏡文字を短時間で読めるかどうかってことよね。読み終えて次の投稿画面に行き着けたら、今度はキーボードやなくて、マウスだけで返信メッセージを書けという。リアルだったら苦もなく鏡文字で書くことができるはずだから。
萠黄、これがあなたのいう二段構えやったんやね」
「そうやねんけど……」
萠黄は不満そうに唇を尖らせている。
「ん、気に入らんことでもあるの?」とむん。
萠黄はチラッと伊里江の顔色をうかがった。CMの内容については萠黄を中心にむんが手伝って練り上げたのだが、形にする作業はすべて伊里江がおこなったのだ。
「ちょっと地味過ぎる気がするんやけど……」
伊里江がビクッと肩を震わせた。
萠黄は小さな声でごめんなさいと言った。ところが、むんの講評はストレートだった。
「同感やね。広告にしては黒字に白抜き文字の羅列じゃ、ちょっと怖いなあ。読む前に引かれるかも」
「……すみません」
伊里江が両手を畳に付いた。
萌黄はびっくりした。伊里江の顔がさらに青くなっていたからだ。
「……私は芸術的素養など、ゼロなものですから」
そう言って頭を下げた伊里江は大げさなほど恐縮している。
萌黄はハッとした。もしかすると彼にとって“芸術”は禁句だったのか?
「エリーさん、そんなに謝らんでも──謝らんといてください。わたしらかて芸術の素養なんてないんやから」
萌黄が伊里江の手を取ろうとすると、むんが背後から首を伸ばし、
「それは言い過ぎや。わたしら芸術学部の学生やんか」
伊里江が顔を上げる。目がこれ以上ないほど開いている。
「……そ、そうなんですか? ……スゴい」
「スゴくないスゴくない。わたしなんて落第ギリギリの出席日数やし」と萌黄。
「わたしは目下、休学中」とむん。
伊里江はどう答えていいのか判らず、目をうろうろさせるばかりだった。
さらに一時間、協議を重ねた結果、文字に薄暮色のグラデーションを付けることでデザインは決着した。
しかし修正版のCMを前にして、新たな疑問が噴出した。
「……このようなメッセージだけで信用してくれるものでしょうか?」
かつてさまざまな人間の裏表を目の当たりにし、長年、逃亡生活を続けてきた伊里江ならではの疑問だった。
「信用──かあ」
「……ええ、とくに私たちはサーバに不正侵入している身ですからね。第三者に電子認証してもらうわけにもいかないし……困りましたね」
「困ることないよ」萌黄は言った。「わたしが同じリアル仲間として、顔を出したらええやんか」
「えっ」
唐突な萠黄の提案に、むんも伊里江もぽかんと口を開けた。
「そうでしょ? CMの隅っこにでもわたしの写真を乗せたらどない? 悪い考えやないと思うけど──」
「アカンアカン。そんなことしたら、全部の敵に顔がバレてしまうで」
むんは険しい顔で萠黄の意見を却下した。
「……そのとおりです。しかも萠黄さんが生存していることが敵にさとられてしまう」
「生存──って、どういうこと」むんが訊ねた。
「……考えてもみてください。私たちは命からがら、島を脱出しました。米軍を始め、迷彩服たちさえも、私たちの生死を確認できないでいるでしょう?」
「──なるほど」
「……さらに私の兄です。彼も同じで、私や萠黄さんの消息を知り得ません。私のパソコンからは盗聴器を除去しましたし、逃亡に使用した探査船にも発信器のたぐいは一切付いていませんでした。
……兄がよこした『約束だ』というメール。あれも罠です。うかつに返信しようものなら、こちらが生きてることが兄に知れてしまう。
……今はまだ私たちは消息不明、死んだかもしれないと思わせておくのが得策です。判りますよね?」
むんは判ると言って頷くと、
「だったら萌黄の写真を使うわけにはいかへんかぁ。わたしかてお兄さんには電話で名乗ってるし、迷彩服には襲撃された時に顔を見られてるし」
「……揣摩さん──もダメですね。迷彩服の女性が生きてたら、きっと上に報告しているでしょう」
「柳瀬さんじゃ無名やし」萌黄がつぶやく。
しばらく沈黙が続いた。
先ほどアップロードした修正版のSS広告は、すでに日本中で配信されているはずだ。反応は来るだろうか。それともあれでは信頼性が低すぎて相手にしてもらえないのだろうか。
むんがふいに後ろを振り返り、自分のリュックを手元に寄せた。中から携帯電話を取り出し、何かを検索していたが、探し物が見つかったのだろう、口を真一文字にすると、萌黄たちに液晶画面を向けた。
「この写真を使ってやって」 |