むんは言い過ぎたと思ったのだろう。軽く喉を鳴らすと、座敷机の中央に置かれた盆から湯のみを取り上げ、伊里江と萠黄にお茶を注いでまわった。
サッシのガラス窓を通して見える空は、今日も抜けるような快晴である。外はさぞ暑いのだろうが、部屋の中は冷房のおかげで快適だ。熱いお茶もうまい。
一息ついたところで、エリーが口を開いた。
「……居場所を知らせてきたのは、萠黄さんとの約束を守るためなどではありませんね」
「うん」萠黄が後を継いだ。「この世界を丸ごと消してしまうには、リアルを一カ所に集める必要がある。そのXポイントが大津やとしたら、わたしを含めてリアル全員に何らかの方法で働きかけ、大津におびき寄せようとしてるんやわ」
「……つまりは、罠」
「そう。しかもお兄さんは格好の餌を持ってる」
「餌って?」むんが訊ねた。
「──転送装置」
アッとむんは叫ぶっと、急須を落としそうになった。
萠黄は湯のみを握りしめた手に力を込める。
「ゲームなんて言うてたけど、結局はお兄さんに都合のいいお膳立てになってるんや。エリーさんから最初に話を聞いた時、どうやって各地に散らばったリアルを集めるのか不思議に思ってたけど、『君たちはこの世界の人間ではない。元の世界に帰りたければ、ここまでおいで』、そう言って自分から来るように、仕向けるつもりなんやろね」
萠黄の見解に、伊里江は頷いて同意を示した。
「……残すところ、あと十日。日本列島の果てにいたとしても、集めるには十分な時間でしょう。そのために大津という日本の真ん中を選んだのかもしれません」
「でも、でもよ──」
むんが身を乗り出して、萠黄と伊里江の顔を見比べた。
「お兄さんはどんな手段を使って、他のリアルたちを発見するつもりなん? リアルは性別も年齢も住所も問わず、条件に合致した人をランダムに選んだんでしょ?」
伊里江がそうですと答える。
「そうやったら呼びかけようがないやんか。相手がどこの誰かもわからへんのに」
もっともだ。萠黄もその点がわからない。
「北海道が消えた時、犠牲になったリアルの子供はどうやって?」
「……ひとりの場合は規模も小さいですから、出現場所がひどく限定されるのですよ」
「リアル探知機みたいなモノは?」
「……ありません」
話はそこで行き止まりになった。
伊里江は米軍兵士に受けた麻酔弾の影響で体調が芳しくないらしく、青い顔を天井に向けると、目を閉じて、床柱にもたれかかった。その顔は血の気が薄く、まるで病み上がりの人間のように見えた。
萠黄とむんは表で買ってきたスナック菓子をテーブルに広げた。外出する時、人目につかないように細心の注意を心がけたつもりだが、ホテルの外も内も人の姿が皆目ないのにふたりはただただ驚いた。
ホテルのそばにはコンビニはなく、お菓子を購入したのは、近所の釣り客相手の雑貨屋だった。
指でつまんだポテトチップを見つめながら、むんが萠黄に訊ねた。
「リアルの人って、何人いるんやったっけ?」
萠黄はチラッと伊里江を見てから、
「十二人。『11人いる!』でもなく『十三人の刺客』でもなく」
「何それ?」
「わたしの生まれる前の、マンガと映画のタイトル」
むんはハァーっと息を吐くと、くたっと顔を伏せたが、またすぐ顔を上げて、
「選ばれしリアルのメンバーは、誰と誰でしょう?」
「やめてよ、クイズみたい」
萠黄は眉根を寄せながら苦笑いした。それでも少しばかり緊張がほぐれる思いを感じていた。
事態はきわめて深刻だし、タイムリミットはゆっくり、着実に迫ってきている。以前の萠黄のように、ぼーっとしていたら十日などアッという間に過ぎてしまうだろう。
ここまでの逃避行で四日が過ぎた。上辺は冷静さを装っていても、焦りは少しずつ頭の中を支配し始めている。さらには、いつどこから襲ってくるかわからない敵もいるのだから、四六時中緊張のゆるむ暇がない。
そんな萠黄にとって、むんはペースメーカーの役を担ってくれている。彼女のおかげでここまで自分のリズムを狂わせずに行動してくることができたと言っていいだろう。感謝してもし足りない。
でも、彼女は──むんはヴァーチャルだ。
怪我でもするようなことがあれば、この世界からあぶくのように消えてしまう、そんなひ弱な存在なのだ。
身体を張ってでも、自分が守ってあげないと。
もし逆の立場でもむんはきっとそうするだろう。
「──どないしたん?」
気がつくと、むんが萠黄の顔をしげしげと見つめていた。
「あ、いやいや」
「いやいややないでしょーが」
「えっと、リアルはね」お茶を一口すすり、「エリーさんを別にして、わたし、亡くなったハモリさん、それから揣摩さんによれば、ミュージシャンの影松清香さん」
「三人……ということは、残りまだ九人も、この広い日本のどこかに隠れてるんやね。まいったなあ」
「もうひとりが判明したぞ」
突然、閉め切っていた隣室のふすまが開き、揣摩が顔を出した。
「いまちょうどテレビに映ってる。見てごらんよ」 |