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-119- 隠れ家の謎 (19) |
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萠黄はたちまち喉に激しい痛みを感じ、目からはぽろぽろと涙があふれ出た。 (催涙弾──!) 気づいた時はすでに遅く、彼女は取り囲んだ煙の虜(とりこ)になっていた。 (全然前が見えへん) 煙に巻かれたばかりでなく、痛みに目を開けることができない。早く逃げなければと焦りばかりが先行し、こみ上げてくる息苦しさもあって、足はもつれるばかりだ。 さらに追い討ちをかけるように二個、三個と催涙弾が脱出口を滑り落ちてきた。米軍は自分たちがここにいることを察知したのか? 白煙が激しさを増していく。 とうとう彼女は動けなくなって、地面に手をついた。 (もうアカン) あきらめかけたその時、文字どおり一陣の風が辺りの煙を薙ぎ払った。これも敵側の攻撃のひとつと勘違いした萠黄は、顔を両手で覆って地面に這いつくばったが、 「……萠黄さん!」 すぐそばで伊里江の声がした。声のする方向に救いを求めて手を伸ばし、その手を伊里江がしっかりつかんだ。 「さあ立ちなさい!」 むんが背中にまわって萠黄の腰を引き上げようとする。萠黄は激しく咳き込みながら、ふたりに支えられて懸命に足を前に動かした。 「今さっきの風は、ゲホゲホ、もしかして……」 萠黄が訊ねると、 「……私がやりました」 伊里江が気負いもなく答えた。 意識を集中させることで対象物を操る能力。ガスを操った経験から、今度は空気を操って風を起こしたのであろうことは容易に想像がつく。 しかしそんな奇跡的な能力を、状況に応じて的確に使いこなす伊里江の頭の良さに、萠黄は舌を巻かずにはいられなかった。 「……萠黄さんにもできますよ」 「そんな、わたしなんかに──」 むんが萠黄の背中を叩いて、注意を促した。 「さあ、把手につかまって」 言われるままに手を差し出すと、ざらついた金属の手触りが指に触れた。萠黄に続いて伊里江とむんも探査船の別の把手に両腕を絡めた。 「……スタートボタンを押してください!」 伊里江は探査船の外殻に取り付けられた外部マイクに叫んだ。すると呼応するようにスクリューの回転する振動が伝わってきた。 いよいよ海に潜るのだ。萠黄はいやが上にも緊張した。 大量に涙を流したせいで、目の痛みが治まりつつあった。薄目を開くと、隣りで把手につかまる伊里江の姿があった。左手の人差し指を目の前に立て、怒ったような表情で指先を見つめている。何をしているのか。萠黄は声をかけるのがためらわれた。 「邪魔せんようにね!」 むんが耳許で叫んだ。探査船の推進音が大きくなったため、大声じゃないと聞こえないのだ。 探査船は急速潜航しつつあった。小さな窓越しに、なかで親指を立てる柳瀬の顔が見えた。その横には椅子に固定された揣摩の姿も。 萠黄の靴を海水が洗った。覚悟はしていても、これから深い海のなかへ出て行くのかと思うと、萠黄は鳥肌の立つのを覚えた。 振り返れば、背後ではさらに白煙が広がりつつある。 (進むも退くも地獄……) 萠黄はぎゅっと目を閉じた。すでに海水は膝上に達している。水は想像以上に冷たい。 「……わたしを見てください」 伊里江が言った。彼は指先を下に向けている。伊里江の下半身に目を移した萠黄は、ぎょっとなった。 彼はまったく濡れていなかったのだ。 「なんで?」 目を白黒させる萠黄に伊里江は笑って答えた。 「……空気の皮膜を作り、身体を覆いました。シャボン玉のなかに潜り込んでると考えてください」 それはまるで特撮映画のような光景だった。萠黄はしばし目を奪われた。なるほどこれも『空気を操る』ことで可能なのだ。彼女はすぐに納得した。 「……昨夜は眠らずにいろいろ実験していたのですが、それが功を奏しました。さあ、萠黄さんも試みてください。あなたにもできるはずですから」 「どうやればいいの?」 「……一番いいのは、私がやったように指を一本立てて、そこに意識を集中させる方法です。そして、ウッ──」 突然、伊里江は身体をねじると、握っていた把手にもたれかかった。一瞬にしてシャボン玉ははじけ飛び、水面が波立った。 「どないしたん、あっ!」 萠黄もむんも驚いた。 腰まで水に浸かった伊里江の背中に、ダーツの矢のようなものが突き立っていた。 |
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