「……誰がいいと思いますか?」
「そやね。わたしはあのふたりかなと思うけど」
むんは肩越しに揣摩たちをうかがった。
「……同意見です」
ピンと張ったチェーンがキリキリと音を立て、探査船の巨体を持ち上げ始めた。
次にクレーンはゆっくりと向きを変えた。探査船はしずしずと海水の上に移動していく。
伊里江のハンドルさばきは手慣れたもので、頃合い良くウインチを逆回転させると、探査船は静かに降下し、見事、着水を完了した
伊里江は操作盤を離れると、萠黄を呼んだ。
「……チェーンの先にあるフックを探査船から外すのを手伝ってください」
萠黄はOKと答え、伊里江に続いて探査船に飛び移った。
丸くツルツルとしたボディは、それだけで上るのに苦労した。
作業は決して簡単ではなかった。フックはかなりの重量があり、取り外すには男性並みの腕力が必要だった。萠黄は自分のひ弱さを痛感したが、それでも懸命に伊里江の作業をサポートした。
ようやくひとつを外した萠黄は、息も絶え絶えになりながら、
「気をつけやんと、指をはさんだりしそうやね」
「……だからヴァーチャルにはまかせられないんです」
萠黄は納得した。
揣摩の様子を見に行っていたむんが戻ってきた。
「柳瀬さんは大丈夫やて言うてはるわ。鎮静剤を飲ませるって」
その揣摩が柳瀬の肩を借りて腰を上げようとしていた。足許がおぼつかない。とても大丈夫には見えない。
「エリーさん」むんが続ける。「これに乗らへん人は、小判ザメにでもならせるつもり?」
「……おっしゃるとおりです」
「小判ザメ? あ、そうか」
萠黄はむんの言い回しを理解した。
彼女もうすうす気づいてはいた。乗り込めないなら、かじり付いていくしかないと。でも──。
「でも、海に慣れてるエリーさんはともかく、わたしや萠黄は息が続かんかもしれへん。付近には敵がおるやろうから、すぐに浮上というわけにもいかへんでしょ?」
そう。しかも──。
「しかも、いきなり水深二十メートルの世界に飛び込むんやから、わたしらに耐えられるかなぁ」
そのとおり。とはいえ──。
「とはいえ、他に逃げ道がないんやから、当たって砕けろやね。ホンマに砕けてもうたら、シャレにならへんけど」
ホンマに──。
ところが伊里江の返事は、また明快だった。
「……ひとつ、とっておきの作戦を考えてあります」
それだけ言うと、萠黄に再度ウインチを巻き上げるよう指示し、探査船のハッチの中に消えた。
煙に巻かれたふたりは、不安と期待の入り混じった視線を交わした。
「また、リアルパワー?」
むんは肩をすくめながら柳瀬のところに戻った。萠黄も操作盤の前に行き、教えられたレバーを引いた。
フックが巻き取られ、クレーンが探査船から離れていく。代わりに柳瀬とむんに両側を抱えられた揣摩が、足を引きずるようにして探査船に近づいた。
まさにその時──。
コンコンッ。
どこか遠くで鍋でも叩いているような、そんなトボケた音を、萠黄の耳は聞き咎めた。
(なんやろ?)
コンコンコンッ。
今度はさっきよりはっきり聞こえる。
萠黄は目を閉じて、耳に神経を集中させた。
(こんな時こそ、リアル耳を使わんと)
両方の耳たぶに手のひらをかざしてみる。
すると突然、萠黄の両耳は身体を離脱し、すさまじい勢いで空中に飛び上がった。
耳はカーブを描きながら探査船に近づく。
『ごめんね迷惑かけて。タロちゃんは時々こうなっちゃう人なのよ。もともと線の細い性分だから頑張り過ぎると──』
耳は急降下し、探査船に潜り込む。
『……これで自動操縦モードになった、と』
さらに耳は分厚い外壁をすり抜け、空中に躍り出ると、せま苦しいパイプの中をぐんぐん上昇し始めた。
コンコンッ。音がさっきより大きく聞こえる。どうやら音の源はこの上らしい。萠黄の耳は隔壁を飛び越え、研究室へと舞い戻った。
研究室は、自分たちがいた時とは明らかに様子が違っていた。
室内には英語が渦巻いている。米兵たちが部屋を歩き回っている。彼らは壁や床を叩いていた。耳にした音はそれだったのだ。ターゲットの萠黄が直前までそこにいたと断定し、逃走経路を探しているのだろう。
『……もう少しだ』
(ヴァーチャルのエリーさんの声!)
呼びかけてみたが、もちろん彼に聞こえるはずもなく、彼のか細い声は、すぐ英語のざわめきにかき消された。
萠黄が一歩前に出ようとした時、部屋の隅で喚声が上がった。米兵たちが大声で呼び合っている。
(脱出口に気づかれた!)
萠黄は直感した。
目を開くと、耳と意識はちゃんと自分の身体に戻っていた。そのことを確認した萠黄は、探査船に向かうべく、すぐに操作盤を離れた。
(急げ急げ、急いで脱出や!)
その時、脱出口から白い煙を噴き出しながら転び落ちてきた物体があった。前を横切ろうとしていた彼女は、つい足を止めてしまい、運悪く、その煙を吸い込んでしまった。
|