萠黄は身を乗り出して水中を透かし見た。海水は透明度が高く、カンテラの強い光が水底にまで達していた。
「……あそこです。崩れた岩が見えるでしょう?」
言われてみると、確かに黒々とした岩塊が三つ四つ積み重なっている。
「……探査船で押して岩をどかそうにも、探査船自体を降ろせるだけの空間がないのです」
なるほど転がり落ちた岩塊がひとつ、手前に転がっている。相撲取りが三人束になったぐらいの大きさで、とても人力で動かせそうにない。
「ひひひ。ざまあねえや」
奇妙な笑い声を上げたのは揣摩だった。隅のほうで壁にもたれ、へらへらと狂的な笑みを浮かべている。小刻みに震える親指と人差し指のあいだからは、煙草の煙がゆらゆらとたなびいていた。
「タロちゃん、やめなさい」
柳瀬が諌めても、揣摩は笑うのを止めなかった。
「エリーさんよう。もういいじゃねえか、ここらであきらめようぜ。ホールドアップして投降すりゃ、まさか米軍も撃ったりはしないんじゃないのぉ?」
伊里江は揣摩を無視すると、水辺にしゃがみ込んだ。萠黄も並んで屈み、彼の横顔を見つめたが、何を考えているのか想像がつかなかった。それでもあきらめてはいないらしいことは読み取れた。
彼の視線はずっと水中の岩塊に注がれている。とくに一番手前で探査船の邪魔をしてるヤツだ。萠黄も真似をして視線を岩塊に向けた。ひょっとすると、リアルの目ヂカラで岩を動かすことができるんじゃないかと思ったが、岩塊はびくともしなかった。
伊里江はふと立ち上がると、リュック型パソコン──裏返すとパソコンになる──を放り出し、そのまま水の中に足を踏み入れた。萠黄はアッと叫んで彼の服に手を伸ばしたが、伊里江の足は速く、彼女の手は空をつかんだ。
「ど、どうするつもりなん!?」
むんが訊くと、伊里江は意外な答えを返した。
「……押して動かします」
「動かす──って、あんなに大きな岩を?」
「……はい」
「よしっ、手伝いますわ!」
柳瀬は威勢良く上着を脱ぎ、ネクタイをゆるめた。しかしそんな柳瀬を伊里江はあわてて制止した。
「……危険ですから私にまかせてください。じつは私に考えがあるのです」
そう言うと、彼は頭の先まで水の中に没してしまった。
萠黄は固唾をのんで見守った。
伊里江は両手を掻きながら器用に水の中を進んでいく。そして岩塊にたどり着くと、両足を底に降ろし、踏ん張るような姿勢をとった。
「本気なの? あの人」
柳瀬もむんも不安げに見守っている。
その時、誰の目にも岩塊が動いたように映った。
「やだ、ホント? すごい」
「ホンマや、動いてんで!」
東京弁と関西弁の混ざった歓声が交互にあがった。
岩塊はまるで発泡スチロールで作られた舞台セットのように軽々と浮いた。伊里江は両手を添えたまま押し続ける。
とうとう岩塊は、出口を塞いでいる他の岩塊の上に載せられた。
「そういやエリーさん、ガス爆発の時に言うてたね。意識を集中させると物を操ることができるって──」
むんがつぶやいた。
「やるねぇ、あの人。それに息がよく続くこと」と柳瀬。
「かれこれ三分以上は潜ってるんとちゃう?」
これで探査船を水中に下ろすことができる。見守っていた一同がホッと安堵の息を吐いた時だった。
ドンッ。
鈍い破裂音がしたかと思うと、激しい水柱が噴き上がり、辺り一面に水しぶきが飛散した。
「エラいこっちゃ、岩が爆発した!」
「エリーさんは!?」
全員の顔に緊張が走った。
しかし心配は杞憂だった。泡立つ水の中からぽっかりと顔を出した伊里江は、手を振りながらこちらに戻ってくる。
萠黄たちは急ぎ駆け寄り、伊里江を引き上げた。
伊里江は地面に濡れた身体を横たえると、
「……脅かしてしまったでしょうか。最初は邪魔にならないところへ移動させるだけのつもりでしたが、いちかばちかで丸ごと粉砕作戦を試みました。結果はどうでしょう?」
「結果?」
伊里江は息が半身を起こすと、穏やかになりつつある水面を指さした。
「あっ」「おーっ!」「すげーっ!」
柳瀬も萠黄もむんも、口々に驚きと喜びを表した。
出口を塞いでいた岩は影も形もなく、深い藍色の外海が萠黄たちを手招きするように微笑みかけているではないか!
「……探査船をクレーンで吊り上げ、水の上に浮かべます。みなさんも手伝ってください」
伊里江は立ち上がり、濡れた髪もそのままにクレーン操作盤に飛びつくと、電源を入れ、レバーをぐいと引いた。
モーターが威勢良く動き始め、探査船の上部に繋がれたチェーンが電動ウインチによって徐々に巻き取られていく。
長時間の潜水。見慣れない機械の操作。萠黄は伊里江に逞しさを感じずにはいられなかった。彼女がそう言うと、伊里江は少し照れたようにはにかみ、
「……泳ぎの上手いのは、この島で育ったおかげですよ。パソコンに向かってる時以外は、林の中を駆け巡ったり、海で泳いだりしていたわけですから」
「うーん、負けたなあ」
萠黄は脱帽した。そこへむんが寄ってきた。
「ねえ、探査船には誰を乗せよう?」
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