ズズズーーーン。ゴゴゴーーーッ。
想像を超えた衝撃が、部屋全体をゆりかごのように揺らした。萠黄の身体は紙切れのように宙に浮き、受け身をとる間もなく、リノリウムの床に叩きつけられた。
「あうっ」
後頭部を押さえて顔をしかめる彼女の頬に、硬い砂粒のようなものがパラパラと当たった。目を開くと、天井に黒い亀裂が走っているのが見えた。砂粒は崩れたコンクリートの欠片だったのだ。
「天井が、天井が落ちる!」
思わず叫んだ萠黄の口に、落ちてきた破片が飛び込んだ。
「ウゲッ」
たまらず咳き込んだ彼女に、横から声が飛んできた。
『……こっちに入って!』
声の主は意外にもヴァーチャル伊里江だった。テーブルの下から長い腕を伸ばしている。
彼が直接声をかけてきたのは初めて? そんな思いが一瞬頭をよぎったが、「早く!」と急かす言葉で我に返り、両足で床を蹴ると、頭から彼の横に滑り込んだ。
天井からは、後から後から大小の欠片が落ちてくる。
「むんは?」
身体を立て直した萠黄は親友の身を案じた。しかし当の親友は、
「おまたせ!」
と、萠黄に続いて駆け込んできた。リアル伊里江も少し離れたところで手を挙げてみせる。
萠黄はホッとしたが、それも束の間、突然、部屋中の蛍光灯の明かりが消え、視界が暗転した。
(停電──!)
しかし闇に包まれていたのは、わずか二、三秒で、再び明かりが灯った。
『……バックアップ電源に切り替わりました。あまり時間はもちませんが』
部屋の揺れは、やがてすぐに治まった。萠黄たちはテーブルの下で身を寄せ合ったまま、辺りの様子をうかがっていたが、
「助けてくれーーー」
という揣摩の声に顔を見合わせ、急いでテーブルの下から這い出した。
揣摩は倒れた書棚の下敷きになっていた。さらに天井から崩れ落ちた瓦礫の一部が書棚の上にのしかかっている。柳瀬が泣きそうな顔で必死にそれらを取り除いていた。
萠黄とむんはすぐに加勢した。大きな瓦礫は協力して動かし、かけ声と共に書棚を持ち上げた。
書物やコンクリートの破片にまみれた揣摩は、それでも無傷だった。萠黄たちはホッと胸をなで下ろし、柳瀬は涙を流さんばかりに喜んだが、
「俺、もうこんなこと耐えられないよ。お願いだから、どこか安全な場所に連れてってくれよー」
揣摩はそう言うと、両膝を抱えて激しく嗚咽した。
萠黄は慰めの言葉をかけようとしたが、その腰にむんの腕が巻きついた。エッと思う間もなく、萠黄の足は床を離れた。
「むん、何すんの」
「あんたはな、アホなこと言うてんと、元の世界に戻ればええんよ」
むんが萠黄を下ろしたのは転送装置の前だった。装置は幸い、傷ひとつないようだったが、先ほどまで点滅していたインジケータはすべて消え、コントローラは物言わぬ箱になっている。
「エリーさん、装置がオフになってるけど──」
言いかけて伊里江を振り向いたむんは言葉を切った。萠黄は怪訝な顔でむんの視線を追った。
そこにはダブル伊里江がうずくまっていた。
「どないしたん!」
むんは萠黄を離し、あわててテーブルのそばに駆け戻った。むんも後を追う。
うずくまってるように見えたのは、片方がもう片方に覆い被さっていたからだ。リアル伊里江はヴァーチャル伊里江の両脇をかかえて、テーブルの下から出て来ようともがいていた。
むんと萠黄は、左右からリアル伊里江に手を貸し、ようやくふたりを明かりの下に引きずり出すことができた。
ヴァーチャル伊里江の顔を覗き込んだ途端、萠黄は激しいショックを受けた。目を閉じた彼の端正な顔は紙のように真っ白で、口許からは一筋の血が垂れている。
「……逃げ込む時に、落ちてきたコンクリートの塊が直撃したのです」
リアル伊里江の視線の先に、ボーリングの球ぐらいの塊が転がっていた。こわごわ天井を仰ぐと、まるで蜘蛛の巣のように亀裂が走り、いびつな黒い穴が何カ所も空いていた。
萠黄に声をかけた時、彼はすでに手負いの状態だったのだ。この研究室を訪れてから、リアル伊里江の生き写しという奇妙さもあって、つい距離を置いていたが、彼も自分とメールをやりとりした記憶を持つ人なのだ。もしかすると初めて見るナマの萠黄と話してみたいと思っていたかもしれない。
萠黄は破片の散らばる床に膝をつくと、彼の指を自分の指でそっと持ち上げた。
それを待っていたかのように、ヴァーチャル伊里江のまぶたが開いた。彼はリアル伊里江に支えられた頭を動かさず、目だけで萠黄を見つめた。 |