Jamais Vu
-109-

隠れ家の謎
(9)

〈真佐夫がいきなり光嶋さんを探して島を飛び出したので、私はあわてたよ。よりによって鏡像の世界に不慣れなリアルのほうが飛び出すとは、まったく無茶をしたものだ。だから私はどうにかお前を研究所に引き戻す方策はないものかと散々頭を悩ませたんだ。その時、資料の中に、光嶋さんは揣摩太郎とかいうアイドルのファンだとの情報を発見した。都合の良いことに、現在彼は関西にいるという。だからダメ元で揣摩太郎君を誘導する偽りのメールを送ったわけさ〉

 ダブル伊里江が揃って身を乗り出した。
「……待ってください。萠黄さんの資料をどこから入手したのですか?」
 萠黄も気になった。柳瀬はファンクラブから漏れることはないと言っていたが。

〈お前だよ真佐夫。お前のパソコンだ。
 私は島を抜け出す直前、コンピュータのサーバを洗いざらいバックアップして、そのまま持ち出した。その中にお前と光嶋さんのチャットのログが残っていたんだ。彼女の発言が残っていたよ、熱烈なファンだと。真佐夫、覚えてないのか?〉

 ふたりの伊里江はお揃いの苦笑を浮かべ、同じタイミングで机をドンと叩いた。そして互いに相手の出した音に驚いた。
 萠黄自身は覚えていなかった。何度か書いたことはあったが、それがいつのことだったか記憶していない。ともかく伊里江が乗ってこない話題だったので、彼女も格別、意識はしていなかったのだ。

〈真佐夫の構築した研究所のコンピュータシステムは、外に対しては鉄壁だが、内には脆弱このうえない。まあ兄弟だから警戒などしてなかったのだろうがね。
 情報を得てからは、なかなか楽しい作業だった。揣摩太郎君のアドレスは簡単に見つかったが、送信元に総理のアドレスを偽装するのは少々骨が折れたな。総理のCGは、かつて彼がテレビCMに出演した時に作られた3Dデータを、制作スタジオのサーバからこっそり拝借した。完成映像にはちょっとしたいたずらを施したのだが、光嶋さんはそれを見事に見破ってくださった〉

 クッ! 萠黄は唇を噛んだ。まるで真佐吉の手の平で踊らされていたようなもんやんか! 真佐吉はやはり、世間の荒波にもまれ、何度も危地を脱してきただけのことはある。自分たちのような若者が束になっても勝てる相手ではない……。

〈それでも真佐夫が島に戻らない時のために、他にも予備の計画を立ててあったんだが、無駄になったな〉

 リアル伊里江がテーブルをガタッと鳴らした。ヴァーチャル伊里江が眉を上げて相方を見つめる。
「……どうして、どうして私のとった行動を知っているのですか? まるでずっと監視でもしていたように」

〈うむ……。このあたりでタネをバラさないと不公平かもしれんな。
 じつは島を出るとき、お前の愛機に細工させてもらったのだ。盗聴器をひとつ〉

 リアル伊里江は椅子を蹴ると、転がるように壁際のアングル棚に駆け寄った。彼がつかみ上げたのは、ずっと肌身離さず持っていたボロボロのリュックである。初めて見た時は着替えの下着やTシャツで多少膨らんでいたが、いまばペシャンコである。いったい何が出てくるのか?
 リアル伊里江は手に持ったリュックを元のテーブルに持ってくると、スーッとファスナーを開いた。
「えっ?」「そんな……」
 萠黄とむんは呆気にとられた。これが非常時でなければ「やられた!」と叫んで笑い出したかもしれない。
 思った通り中身は空だった。リアル伊里江はリュックのファスナーを全開にし、中に手を突っ込むと勢いよくリュックを裏返した。すると、まぎれもないディスプレイとキーボードがそこに現れた。
 リュックの裏面がパソコンになっていたのだ。
 フレキシブルパソコンは最近ようやく普及の兆しが見え始めたが、まさか伊里江の愛機がそうだったとは。

〈見つかったか?〉

 真佐吉はどこかとぼけた調子で、萠黄たちにとって緊迫したこの時間をも楽しんでいるように聞こえた。
 リアル伊里江は無言でリュックのポケットをまさぐっている。ヴァーチャル伊里江は、そばで落ちた埃を綿密に調べたりしている。
「……これか」
 リアル伊里江は筆立てに立て掛けていたピンセットをつかむと、ポケットの奥深くに貼り付けてあったものをつまみ上げた。
 一ミリ四方の黒いシール。それが盗聴器だった。


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