Jamais Vu
-108-

隠れ家の謎
(8)

「狂ってる」
 萠黄のつぶやきは、電話向こうの真佐吉の耳に届いたらしい。

〈うれしいね、光嶋さん。最高の賛辞と受け止めさせてもらうよ〉

 さらに含み笑いが続く。
 萠黄は気分が悪くなった。とてつもない悪意を感じた。あまりに偏狭で独善的だ。
 萠黄が腹を押さえて前屈みになったので、むんはしゃがんで「どうしたの?」と気遣った。
「大丈夫」
と虚勢を張ったものの、萠黄の胃袋はひっくり返りそうだった。
 むんは萠黄の背中をさすりながら、伊里江に対して、
「あなたはこっそりお兄さんと連絡をとってたん?」
と詰問した。うつむいていたリアル伊里江は渋面を上げると、心外だという表情で、
「……まさか。兄のほうから突然かかってきたんです。これまでいくら連絡をとろうとしても、応答しなかったのに」
 そう言うと、ヴァーチャル伊里江に同意を求めた。
『……本当です』
 ふたりの言葉にウソはなさそうだった。むんはすっくと立ち上がると、凛とした姿勢で宙をにらんだ。
「初めまして、マッドサイエンティストさん。舞風むんと申します。あなたのせいで大切な友を失い、逃亡を余儀なくされ、今こうして親友の萠黄といっしょにあなたの弟さんのアジトにかくまってもらっています。
 わたしはあなたに問いたい。最後の大爆発が起これば、あなたも死ぬんですよ。それでもいいんですか?」

〈ほう、これはまた威勢の良いお嬢さんの登場だね。お姿を拝見できないのが残念だ。
 舞風さん、君のように利発的な女性にまで迷惑をかけたことを心からお詫びしよう。私はね、君たちのように優秀で前途有望な若者たちを失うことに、心から大きな痛みを感じている。そう、私の行いは神をも恐れぬ所業だ。私はその責任を痛切に感じている。だからなのだ。私こそ死んでお詫びせねばならない。でもな、私の行いそのものは間違っているとは思っていない。
 私は発見かつ発明したのは、人類が手に余るエネルギーであり、その制御装置だ。けれどもこんなものは作るべきではなかった。当初、私はそう思い、毎日後悔に暮れたものだ。
 だが長い逃亡生活が、私の近視眼的な俗物根性を払拭してくれた。そして気づいた。これは神が人類に与えた試練だ。人口ブラックホールは試金石なのだとな。神は人類に究極のエネルギーを持たせることで試そうとした。これからも繁栄を謳歌する資格があるのかどうかをな。その執行人に選ばれたのが私だったのだ。
 私は北海道を地上から消してみせ、彼らに最終決断を迫った。だが彼らは右往左往するばかりで、解答を出すことはおろか、意見をまとめることもできなかった。まあ予想はしていたがね。
 人類は自らの愚行の末に、滅びの道を選んだ。そして私は最期のお膳立てをするべく、こちらの世界にやってきた。私は最初から自分だけが生き残って助かろうなどとは、露ほども考えとらんよ〉

 むんは言葉に詰まったまま、両の拳をぐっと握りしめた。
 狂気の理論には何を言っても無駄だ。真佐吉はすでに、世界を道連れに地獄へ堕ちることを覚悟しているのだ。
 それでも言わずにいられなかった。
「あなたに神の代理人なんて資格はあらへんわ。自分の肉親まで犠牲にするなんて!」

〈ああ、その点だけは最も痛いところだ。
 弟がこちらに来たことは想定外だった。だから私はこうして電話をかけたのだよ。転送装置を使って元の世界に戻るよう、真佐夫を説得するためにな〉

 むんと萠黄は驚きと疑いの目をダブル伊里江に向けた。リアル伊里江は顔を曇らせながら、無言で頷いた。

〈爆発の高エネルギーは、リアルを源とするブラックホールによって生成されることは弟から聞いたね。このエネルギーが大爆発によって放出される際、リアルはたとえようもないほどの苦痛を受けることになる。私は弟をそんな目に遭わせたくない。
 舞風さん、光嶋さん、君たちからも頼んでくれないか。真佐夫に元の世界に帰るようにと〉

 むんも萠黄もあきれ顔でスピーカーを見つめた。何という身勝手な男だろう。この人にはいろんなものが欠けている。
 リアル伊里江は、さらに驚くことを告げた。
「……揣摩さんが受け取ったニセ総理の映像メールがありましたね。あれを送りつけたのは、兄だそうです」
 犯人は意外なところにいたのだった。


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