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-107- 隠れ家の謎 (7) |
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〈……私は承服しかねます〉 伊里江の硬質な声が続いている。時折、噛んだりつっかえたりする様子から、感情が激しく揺れ動いていることが読み取れる。 萠黄はベッドを下りると、むんの枕元に駆け寄り、身体を揺すぶった。 「起きて、むん」 「──ううん、どないしたん?」 「シーッ。……聴いて」 萠黄は再び耳をそばだてた。 〈……なぜ、ここまでする必要があったのですか?〉 「ほら」 萠黄はむんの腕を叩いた。ところがむんは眠りから覚めきれないのか、 「何にも聞こえへんよぉ」 とにべもない。萠黄はたまらず、 「わたし、見てくるわ」 と部屋を出ようとしたが、Tシャツ一枚の姿であることに気づき、あわててベッドの脇にたたんでおいたジーンズに足を通した。 「待ってよぉ。わたしも行くわ」 むんもよろよろと布団から這い出した。疲れがとれてないらしく、動きが緩慢だ。 「先に行くね」 萠黄はドアを開けて、廊下に飛び出した。 地下なので窓はなく、夜が明けているのかどうかも判らない。薄暗い蛍光灯に照らされたドアはどれも閉じられていた。萠黄は研究室のドアに近づくと、もう一度、聞き耳を立ててみた。しかし伊里江らしい声はするものの、もごもごとして内容までは聴き取れない。萠黄は思い切ってドアノブを回した。 ダブル伊里江は研究室の奥にいた。受話器を手にしているのはリアルで、ヴァーチャルはそばで相方の様子を心配げに見守っている。萠黄がゆっくり近づいて行くと、ふたりはようやく彼女に気づいた。 『……どうしました?』 紺のTシャツのヴァーチャル伊里江が声をかけた。 「ごめんなさい。話してる声が聞こえたので。……相手はお兄さんでしょ?」 それを聞いたダブル伊里江は、ぎょっと目を剥いた。 「どうかした?」 『……いえ』 ヴァーチャル伊里江はリアル伊里江の顔色をうかがった。リアル伊里江は目顔で頷くと、 「……兄さん。今ここに私以外のリアルがいます。電話をスピーカーに変えますよ」 リアル伊里江は受話器のボタンを押した。同時にヴァーチャル伊里江が壁際の机に置いてある、アンプらしき筐体のスイッチを入れた。するとブチッという音と共に、電話の主がスピーカーからしゃべりかけてきた。 〈その女性というのは、光嶋萠黄さんかい?〉 いきなり聞き慣れない声に名前を呼ばれ、萠黄は緊張のあまり、その場に立ちすくんだ。 〈こんばんは光嶋さん。初めましてとご挨拶すべきかな。真佐夫がお世話になったそうで、どうもありがとう〉 伊里江真佐吉の声は弟とは違い、朗々とした通りの良い声だった。萠黄は何と返事していいのか判らず、後ろを振り向いた。ちょうどむんがドアから入ってくるところだった。萠黄はホッとした。 〈早朝から起こしてしまったようで済まないね、光嶋さん〉 重ねての呼びかけに、答えないわけにはいかなかった。 「あ、どうも。こんばんは」 萠黄はテンポのズレた自分の返答に自己嫌悪を感じた。むんがそばにくると抱きつくように腕を彼女の腕に巻きつけた。 〈あっはっは。なかなか素朴そうなお嬢さんだ。どうか真佐夫とは仲良くしてやってほしい〉 「……そんなことより兄さん、話の続きです」 リアル伊里江は、明らかにいらだっていた。今の彼は自分たちといるときの彼ではない。萠黄はそう思った。 〈さっき言ったとおりだよ。この計画を中止することはできない〉 兄・真佐吉の声は揺るぎない自信と断固たる決意に満ちていた。実際の彼はきっと恰幅のいい、貫禄のある男性に違いない。萠黄の中で膨らむ真佐吉像は、話し相手を射すくめるような眼光を放っていた。 「……それならやめなくてもいい。せめて規模を縮小してください。この国を吹き飛ばすなら、ひとりかふたりのリアルがいれば事足りるでしょう。それで十分なはずです」 スピーカーから深いため息が漏れた。 〈私の気持ちに十分などないのだよ。それにお前はふたつの思い違いをしている。ひとつは『私の仇』ではなく、『我々の仇』だ。そして──〉 「……わたしは滅ぼしてしまえ、などと思っていません」 〈それはお前の認識が甘いのだよ。いっしょに大学を逃げ出した時点で、お前も私と同じレベルで指名手配になっているのだ〉 「……そんな──」 〈まあ聞け。ふたつには、敵は我が国だけではないということだ。世界中の国が、私の研究を喉から手が出るほど欲している。奴らが手段を選ばないのはお前も身にしみているだろう? 連中はお前を捕えて、私に研究を渡すよう要求するつもりなのだ。判るだろう? 奴らには倫理も正義も存在しない。いや、禁断の果実を手に入れた私たちこそ悪だと思い込んでいるのだ。世界に吹聴しているのだ。誰もそれに異を唱えない。そんな愚民たちの棲む星など滅びてしまえばいいのだ。 お前はなぜあれほど多人数のリアルを必要としたのか理解に苦しむと言ったな。確かにたかだか地球ひとつを破壊するだけなら四、五人もいれば十分だ。しかしな、それでは爆発が起こるまでの期間が短すぎる。連中にはもっと苦しい目に遭わなければならない。それだけの業を背負っている。それに下手をするとリアルが全員、捕獲され、奴らに始末されないとも限らないからな。だから増やしたのだ。連中が見つけ出すのが早いか、爆発が早いか、これはゲームだ。二週間のあいだ、絶望にさいなまれ、おのれの罪を悔い、せいぜいドタバタ喜劇を演じればいいのだ。ハッハッハッハッハ〉 |
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