Jamais Vu
-105-

隠れ家の謎
(5)

 むんがひとまずお茶にしましょうと提案した。
 船に乗る前に買ってきたインスタントコーヒーを取り出し、湯は伊里江が提供した。テーブルの隅を片付けると、六人はそれぞれ回転椅子を引き寄せて座った。
「ビールも買ってくればよかったな」
 揣摩はひとりごちた。伊里江兄弟はどちらも下戸なのでアルコール類は一切置いてないという。
「揣摩さん、疲れてるみたいやね」
 むんが心配そうにささやいた。萠黄も同感だった。銃は仕舞ったものの、さっきの興奮がまだ冷めないのか、落ち着きのなさが気にかかる。柳瀬が「横にならせてもらったら」と勧めても耳を貸さなかった。この即席チームのリーダーであるとの自負が、それを許さないのだ。
 リアル伊里江はヴァーチャル伊里江に、島を出てからの経緯を話した。ヴァーチャル伊里江はふんふんと頷きながら聞いている。質問を挟まないのは、リアル伊里江の説明が過不足ないからだろう。さすがクローンだと萠黄は感心した。
『……今宵はここに泊まってください。もちろんいつまでいてもらっても構いません』
 ヴァーチャル伊里江は両手を広げ、あらためて歓迎の意を表した。
 むんと萠黄、柳瀬は頭を下げたが、揣摩は無視するように喉を鳴らし、
「洲本をキーワードにここまで必死にやってきたけど、問題はこれからだよな。どうするべきか」
 誰も答えることができなかった。洲本にたどり着けば何かが起こる。そんな予感はあったものの、結果は伊里江がひとり増えただけ。
「ねえ、リアルってあと何人いるんやったっけ?」
 むんが問を投げると、萠黄がそれを受け、
「全部で十二人やったよね、エリーさん」
 伊里江は、そうですと返事した。
「そのうちのひとり、ハモリさんは既に亡くなってるから、残るは十一人か」
 言いながら顔を上げると、萠黄と揣摩の目が合った。
「そう、その中のひとりが俺の友達だ」
「ホンマに?」ごほっとむせたむんは床にコーヒーをこぼした。「ごめんなさい──その人はどこにいるの?」
 揣摩は、あっそうかという顔をして、
「舞風さんには教えてなかったな。彼女は長野県在住のミュージシャンなんだ。アルパ奏者で、名前は影松清香という──」
「えーーーっ!」
 今度の驚きはむんと萠黄の合唱だった。ふたりは自分の頬に手を当て、互いに顔を見交わした。
「影松さんって、今年の春、3Dライブに出演した人やんか!」
「背が高くて、すっごくキュートな女性でしょ?」
 3Dライブとは、この春、テレビで試験的に行われた立体映像の放送番組のことで、影松清香はライブショーのトリをつとめた。むんも萠黄も彼女の大ファンで、携帯のデジタルプレーヤーにもアルバムを何枚分か保存している。
「影松さん、自分のことリアルやて、揣摩さんに告白しはったん?」
「いや。彼女はただ、鏡の国みたいと表現していたよ」
「鏡の──」
 萠黄は我知らず、ヴァーチャル伊里江へと視線を動かした。むんも揣摩も柳瀬もつられるように伊里江を見た。ダブル伊里江の間には、本当に鏡が置かれているようだ。誰もがそう思った。
「影松さんは、その後どうしてはるの?」
「判らない。電話が通じないんだ」
「そうなん……。心配やね」
 萠黄は合点が行った。揣摩の気を重くしている理由はそこにもあったのだ。
「彼女を含めて、萠黄さん、ハモリさんで三人。他に九人がこの空の下のどこかにいるのか」
「そのリアル全員を政府の特殊部隊が狙ってる。彼らを亡きものにすれば、爆発は未然に防げるんやから」
「ひどい話だ。本人たちには何の罪もないのにな」
 揣摩の燃えるような目がダブル伊里江に注がれる。すると意外なことにリアル伊里江が頭を下げた。
「……兄がみなさんに多大なご迷惑をおかけしたこと、心からお詫び致します」
 その謝罪の言葉には感情がこもっていた。彼の両手の爪が太ももに食い込んでいた。
 伊里江は決してロボットではない。長年の逃亡生活が、彼の感情を心の奥底に押し込めていただけなのだ。こうして出会ったばかりの人たちといっしょに行動しているうちに、何かが彼の心の琴線に触れたのだろう。現に隣でボーッと相方を見つめるヴァーチャル伊里江が滑稽にさえ映る。
 怒りの矛先を体よくかわされた揣摩は「ちくしょう」とひと言怒鳴ると、憤激を抱えたまま、テーブルの上に突っ伏した。
 空気を変えようと、むんが明るい声を出した。
「なあ、こうしたらどない? わたしらが先にリアルを全員見つけ出して、ここから元の世界に送り返すんよ。名案ちゃう?」
 むんの発案に、萠黄も一瞬、顔を輝かせたが、
「……無理です。くり返しますが、一度の運転に三日の充電が必要なのですよ。残りの日数では三、四人が限度です」
「もっと作れないの? あの装置を」
「……無理です。わたしにはそんな技術はありません」
「機械なんていらん!」萠黄は思いあまったように叫んだ。「そんなことせんでもええ。リアルを集めたら、説得して、みんなで死んだらええねん!」



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