Jamais Vu
-103-

隠れ家の謎
(3)

 地下はひんやりとした空気に満ちていた。階段の終点は縦に長い廊下につながっており、天井には薄暗い蛍光灯が点々と灯っている。
「……こちらへどうぞ」
 一番奥で伊里江が呼んでいた。廊下には右側だけにドアが三つある。半開きだったので萠黄たちはそれとなく覗き込みながら進んだ。一番手前の部屋にはベッドや衣装ケースが置いてあった。寝室だろう。
 二番目の部屋は食堂で、冷蔵庫や食卓テーブル、電子レンジなどが六畳ほどの部屋に押し込められている。狭く感じるのは、床の上にインスタント食品を詰めた段ボール箱が並んでいるからだ。
 伊里江は三番目の部屋の前で根気づよく待っていた。
「この部屋か?」
 揣摩が横柄に訊ねると、伊里江はこくりと頷いて部屋に入った。揣摩たちも続いて足を踏み入れる。
 そこはまさに研究室と呼ぶにふさわしかった。
 十二畳ほどの広さの中、壁際にはところ狭しとコンピュータが並んでいる。部屋の中央には大きなテーブルが並んでいて、図面やプログラムのプリントアウトといったものが置かれている、
 テーブルの向こうには、アングルを切断する機械や工具類が、これもまたきちんと整頓されて置かれている。この家の住人の性格を反映しているのだろう。
 萠黄は以前から自分の研究室が持てたらなあ、と夢に描いていた。それに近い光景がここにはあった。自分にもっと自信があったら、大学の工学部に進むこともできたろうに──。
 部屋の奥は、左右の壁に届くほど幅の広いカーテンで仕切られていた。伊里江が開けると、そこには見たこともない物体が鎮座しており、萠黄たちは息を飲んだ。
 巨大な地球ゴマ、というのが第一印象だった。
 外側は直径五、六メートルのリングが何層にも重なっているが、中は支えるものもなく空洞になっている。
「これでしょ? エリーさんが向こうの世界から来る時に使った機械は」萠黄は訊ねた。
「……そうです。元の宇宙と鏡像宇宙をつなぐ転送装置。兄は自分の書いたマニュアルの中で“ブリッジ”と呼んでいました」
 ふたつの世界の架け橋〈ブリッジ〉。
 まるで前世紀のSF映画に登場するようなやぼったいデザインだが、この機械の向こうに、懐かしく住み慣れた世界があるのか!
 横に並んだむんも同じことを考えていたらしい。
「この機械を使ったら、あなたや萠黄は元いた場所へ帰れるんでしょう?」
「……はい」
 伊里江はあっさりと肯定した。萠黄は興奮のまなざしで次の言葉を待った。
「……もちろんできますが、この機械は莫大な電力を消費するので、次から次へと送り出すというわけにはいきません。一回動作させるのに最低三日は充電時間が必要となります」
「三日も──」
「……ちょうど私が出かける前に充電を始めていたので、明日の朝には完了します」
「明日だって。萠黄」
 むんがよかったねという顔で振り向いたが、萠黄には返す言葉がなかった。伊里江が横から補足する。
「……もちろん萠黄さんが戻りたければ、使ってもらってもかまいません」
 ますます萠黄は言葉に困り、うつむいたままテーブルの上の分厚い本に手を伸ばした。表紙には『転送装置』という鏡文字が書かれていた。
 トゥルルルルル。
 突然、テーブル中央の電話が鳴った。萠黄もむんも、揣摩や柳瀬も飛び上がるほど驚いた。伊里江はつかつかと歩み寄ると、無造作に受話器を持ち上げた。まるで予期していたようなそぶりだった。
「……ああ、いいよ」
 それだけ言うと受話器を戻した。
「誰からだ?」
 揣摩が不安と疑惑の入り混じった目で訊ねた。伊里江はそれには直接答えず、全員の顔を眺め渡すと、
「……みなさんにご紹介したい人がいます。そのままお待ちください」
 伊里江の言葉が終わらないうちに、階段を下りてくる足音が聞こえてきた。四人は思わず身構えた。無人と思い込んでいたこの島に、他にも誰かいたのか?
 足音は廊下をこちらへと迫ってくる。萠黄は全身に鳥肌が立つのを抑えられなかった。



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