目の前に現れたのは、今にも倒れそうなプレハブ家屋だった。何十年も放置されたような朽ち果てかたで、とても人の住居には見えなかった。伊里江兄弟は本当にここに住んでいたんだろうか?
周囲には木々が何重にも繁茂している。おかげで家のまわりはかなり暗いが、海上からの目隠しになっているようだ。
揣摩が正面のドアに近づこうとするのを、伊里江が腕をつかんで止めた。
「……セキュリティを解除しますので」
伊里江はおもむろに太い木の一本に近づくと、手の平を幹にあて、指にぐいと力を入れた。すると幹の一部がスライドし、ボタンらしきものが現れた。伊里江はボタンの上のくぼみに人差し指をあてた。ボタンは反応し、光が灯った。と同時にブルンと小さな音がして、空中に電気が走ったような感触があった。
萠黄たちの眼前に驚くべき光景が展開した。倒壊寸前の家屋が波立ったのだ。
(立体映像や!)
萠黄が看破したとおり、それはホログラフィック立体映像で作られた家屋だったのだ。粟立つような波が干渉を起こし、やがて消えてしまうと、その下からは何の変哲もない、人の住めそうなプレハブ家屋が出現した。
「……私たちの手で住めるように改修したのですが、万が一、誰かが来たり、空から見られた時の用心にこうしてあるのです。さらに、知らずに近づくと感電する仕掛けがしてあります」
伊里江は幹のボタンを元通りにした。そして実物のドアに近づき、再び指をドアノブに押しつけた。指紋認証システムなのだ。ドアが開いた。
「どうして?」萠黄が声を上げた。「こっちの世界に来た時、指紋は逆さまになってしもたんとちゃうの?」
「……そうです。だから私はここを出るとき、現在の指紋データに更新しておきました」
なるほど。萠黄は納得した。でも──
「あなたはさっき船から降りる時も、何か気にしてはったね」
萠黄が指摘すると、伊里江は口許を少し曲げて、
「……見られてましたか。じつはあの船着き場にも山道にも簡易なセキュリティシステムが施してあって、そのチェックをしていたのです。おかげで、私の留守中、この島を訪れた者はいないことが判りました」
船着き場からここまでの間に、いったいいくつトラップを仕掛けていたのだろう? もし知らずにこの島を訪問する人間がいたら……。萠黄はぞっとした。
「……日が暮れます。さあ入りましょう」
伊里江に続いて、萠黄、むん、揣摩、柳瀬がドアをくぐった。ドアが閉められ、伊里江が壁際のスイッチを押すと、暗い玄関に内灯が灯った。
伊里江は靴を脱いで上がった。四人もそれにならう。まめに掃除が行き届いているようで、床の上に埃は見えなかった。
四人はすぐ前の部屋に招じ入れられた。
「殺風景な部屋だな。家具がひとつもないぞ」
部屋を見回した揣摩は率直な意見を口にした。六畳の部屋にはただ床と雨戸の閉じられた窓があるだけである。
「部屋はいくつあるの?」むんが訊ねた。
「……四つです。この島は昔、洲本の御大尽、つまり裕福な漁師の網元の所有物だったそうです。この家は、昭和三十年代にその子孫が別荘のつもりで建てたものらしいのですが、長年忘れられた存在でした」
「すると、あなたたちがお世話になった漁師さんというのは」
「……その息子さん夫婦です。私たち兄弟が逃亡中にお世話になった、数少ない篤志家のかたがたです」
『篤志家』の使い方が違うような気がしたが、言いたいことは萠黄にも伝わった。
伊里江兄弟は何ヶ月も人目を避けて逃げ続けた。そんな中で出会った人の情は、砂漠のオアシスのように彼らの心を潤したに違いない。しかし──しかしそんな人々の住むこの世界を、伊里江の兄は破滅に導こうとしている。そうまでしてこの世界に復讐したいのだろうか?
「……こちらへどうぞ」
伊里江はさらにみんなを部屋の奥に案内した。
そこは短い廊下になっていて、他の三つの部屋に通じている。伊里江が連れて行ったのは台所だった。
「……四つの部屋はあくまでダミーです」
「ダミーって、どういうこと?」
伊里江はそれに答えず、台所の隅に行くと腰を屈めた。そこには床収納のフタがあった。彼が把手をぐいと引くとフタが開き、大工道具などを入れた収納カゴが見えた。さらに伊里江はそれを丸ごと横にスライドさせた。するとそこに、ぽっかりと暗い穴が現れたではないか!
「地下室があるんですか──」
柳瀬が感動したようにつぶやいた。
「……私の後に」
伊里江はスッと暗い穴に姿を消した。四人は遅れじと穴に近寄った。
「階段だ」
揣摩の言うとおり、四角い穴の浅い底から斜め下の方向に階段が伸びていた。両側にオレンジ色の明かりが点々とついている。まるでトンネルのようだ。
四人は順々に穴の中へ降りていった。
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