伊里江が投じた一石は、新たな緊張の種となって皆を驚かせた。とりわけ揣摩太郎は大いに憤慨し、萠黄が心配するほど激しく膝を叩いて怒りを表した。
「なんでそんな大事なことを今まで黙ってたんだ!」
揣摩はツバを飛ばしてなじったが、
「……誰も質問しなかったからです」
と伊里江は少しも悪びれない。
さらに「お前がここにいること自体、おかしい」と揣摩が怒鳴れば「降りますから止めてください」と伊里江は感情を交えずに平然と答える。
萠黄はため息をついた。ふたりは基本的に肌が合わないのだ。長年、人気グループのリーダーとして個性的なメンバーをまとめてきた揣摩としては、協調性の感じられない伊里江に我慢がならないのだ。
「そうは行かねえよ。お前は兄貴を見つけるための情報源であり人質でもあるんだからな」
「……私は役に立つ情報など持っていません。それに、兄は私の命など眼中にありません」
「そもそもリアルを退治しに出張ってきたんだろうが。本音は迷彩服を着て敵側に入隊したいんじゃないのか?
俺たちの居場所を手土産にな」
「……申し上げた通り、私は既にリアル抹殺計画を放棄していますし、手段を選ばない敵側のやり方には反撥を感じています」
揣摩の口調は徐々に激しさを増し、感情的な口論に発展していった。
「お前のもったいぶった話し方にはイラつくんだよ。いちいち“……”みたいに間を取るな!」
「……ナビの役割をちゃんと果たしてください。地図を広げながら運転する柳瀬さんが気の毒です」
「何だと!」
シートの前後で取っ組み合いを始めかねない剣幕だ。萠黄は仕方なく「ストップ、ストップ」と仲裁に出た。もっとも興奮しているのは揣摩だけだったが。
萠黄は伊里江を自分のほうに向かせると、
「エリーさんの住んでた島は、洲本からどれぐらい離れてるの?」
と話の流れを戻した。
「……漁船で三十分ほどです」
頷くと今度は揣摩のほうを向き、
「もしかしたら、ニセ総理はわたしたちをエリーさんの島に誘導してるのかも。そんな気がしませんか?」
「判んないよ、そんなこと」彼は吐き捨てるように言ったが、さすがに恥じたらしく、声を落として「まあ可能性はないとは言えないな」
そして居住まいと正すと、車内に向かって宣言した。
「他に具体的な行き先も出てこないしな。こうなったらエリーの家庭訪問でもやるか」
萠黄はほっと胸をなで下ろした。とりあえずこの場をしのぐことができた。同時に目的地をはっきり決めることができたのだ。
「そこに何があろうと、どんな恐ろしい罠が待ち構えていようと、我々は進まねばならない。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。柳瀬隊員、頼んだぞ」
柳瀬はラジャーと応答し、揣摩の差し出した手に地図を渡した。
「淡路島へは、明石から渡るのが一番いいようです、隊長」
エスティマは、ぐんぐんと昇っていく太陽のように、西へ向けて速度を上げた。
道中は、高速道路をできるだけ避け、一般道をひたすら進んだ。時間はかかったが、安全が何よりも最優先だった。
トイレ休憩には、人混みの多い百貨店や大型スーパーなどを選んだ(それでも人出は明らかに少なかった)。彼らは途中で購入した帽子を目深にかぶって、交替で用を足した。
大阪市内に入った時、あちこちで自衛隊の車輛を目撃した。検問には出会わなかったが、一般車の走行量は地方以上に少なかった。彼らは慎重を期して、できるだけ裏道を選んだ。そのため大阪市内を抜けた時には、午後一時をまわっていた。
昼食調達係を仰せつかった萠黄は、揣摩に借りた帽子をかぶって車を降りた。西宮市内のスーパーだった。
周囲に注意しながら入口に近づく。買い物客はそれなりにいた。意識的にうつむきながら自動ドアをくぐる。その彼女を後ろからむんが追いかけてきた。やはり帽子をかぶった上にサングラスをかけている。
「わたしも付き合うわ」
ふたりはいっしょに食品売り場をまわった。パックの寿司や菓子パンなどを買い物かごに入れていく。
「柳瀬さんには栄養ドリンクと目覚ましガムも買っていこうか」
萠黄は提案し、ふたりはお菓子売り場へと進んだ。
「ごめんな」
むんがぽつりと言った。
「あ……」
萠黄はむんを見上げた。サングラスの奥の表情は読み取れなかった。
「萠黄のほうがずっと大変やったのに、心配かけてしもたね」
「ううん」
萠黄は首を振った。
「いつもの元気なむんに戻るから」
「うん。でも無理せんでええよ」
「ありがとう」
むんは萠黄の手を取ると、強く握った。 |