Jamais Vu
-95-

島へ
(7)

「そ、そうですね──気を悪くされるかもしれませんけど」
「心配はしなくていいさ」
 揣摩は笑顔を浮かべて、優しく先を促した。
「つまり映像の送り主はですね、いずれ偽物だとバレることを見越して、ああしたんじゃないかと思うんです。相反する指令を下したどちらが偽物か、揣摩さんに気づかせるために」
「判らないな。それで相手にどんなメリットがあるんだろう」
 萠黄は言いにくそうにモジモジした。
「……あくまで私の想像ですが……揣摩さんが次のアクションを起こしやすくするためじゃないかと」
「俺の? ハハハ」
 揣摩は笑ったが、萠黄は真剣なまなざしで続ける。
「仮に、揣摩さんに指示したのが本物の総理だったらどうしましたか?」
「そりゃ、俺や君をおびき寄せる罠だろうから、今となっては従ったりしないよ」
「偽物だったら?」
「手の込んだ映像を送りつけた相手は誰なのか、真意は何なのか、聞いてみたい気はするな」
「となると、唯一の手がかりは」
「なるほど、洲本にありってことか」
 揣摩はパンと手を叩いた。
「柳瀬、行き先が決まったぞ」
「淡路島に渡るのね。ラジャーよ」
 柳瀬はすぐさまカーナビを起動しようと手を伸ばした。
「ダメッ! GPSを使(つこ)たらアカン!」
 萠黄の声が柳瀬の手を止めた。
「そうだぞ柳瀬。連中はGPS衛星を手中にしてるんだから」
 最近のカーナビは、GPSなしでは使えないのだ。
「じゃあ、次のコンビニで道路地図を買いましょか」
 柳瀬は車の駐車灯を消し、静かに発進させた。
「ついで食料を買い込もう。朝のサンドイッチは食いっぱぐれたからな」
 揣摩が空腹そうに腹をさする。
「タロちゃん、サンドイッチはちゃんと持ってきたよ」
「ウソ、あの騒ぎの中で、いつ?」
「逃げる時に決まってるじゃない。あのね、命の次に大切なのは食べ物なんだからね。これ、戦争体験のある田舎のおばあちゃんの口癖だったんだよねぇ」
 萠黄は自分の後ろのサードシートを見た。確かにそこには、サンドイッチを詰めたコンビニ袋があった。
「お前は最強のマネージャーだよ」
 車内が少しなごんだ。萠黄はサンドイッチを皆に配った。誰もが空腹だったので、受け取るや、今度は邪魔されるものかとばかり、急いで食べ始めた。
 ひとり、むんを除いて。
 彼女は萠黄の差し出したドリンクさえ「いらない」と受け取らず、顔も向けてはくれなかった。
 探すコンビニはすぐ見つかった。柳瀬だけが車を降り、店に入った。店内の防犯ビデオに映ることを恐れたからだ。どこで追っ手の目に触れるとも限らない。
 そのとき、前の道を、自衛隊の輸送車が轟音を響かせて駆け抜けていった。本物の自衛隊員がすし詰めのように乗車していた。
 柳瀬はすぐに出てきた。お目当ての地図を抱えている。
「なあ柳瀬、戒厳令のこと、何か小耳にはさんでないかい?」
「そうそう、それよそれ」
 運転席に戻った柳瀬は、昨夜警察で聞いたことを話し出した。それによると、総理はテレビに緊急出演し、危険を伴う作業は極力控えるよう国民に訴えたという。各地で行われていた工事はすべて中止され、プロ野球などのスポーツも軒並み取りやめになった。
「総理の呼びかけは、それなりに効果があったらしいのよ。警察の調査でも、昨夜から今朝未明にかけての全国の交通事故の数が、ものすごく少なかったんだって。
 ただ、海岸から不法に入国してくる連中がいるとの情報が入ったため、自衛隊が各地で展開することになったらしくて。だから戒厳令なのね。
 人の身体が砂になる奇病は全国的に増えているみたい。ワクチンは二週間程度で完成するから、それまでは自重してなさいって繰り返し訴えてたのよね」
 揣摩は苦笑せざるを得なかった。
「二週間後か。その頃には、この世界は煙のように消え、総理のウソを糾弾する人間はどこにもいやしないさ」
 その通りだ。北海道が消えたのと同じことが、宇宙規模で起きるのだ。鏡像宇宙が誕生して今日で三日目。あと、まる十二日しかない。
 柳瀬は淡路島に渡る経路を確認すると、自ら元気よく出発の号令をかけ、エスティマを国道に乗せた。
「……あの、揣摩さん」
「何でしょう、エリーさん」
 揣摩は皮肉っぽい声で応えた。
「……お訊ねしたいのですが、目的地は洲本のどこなのでしょうか」
「うーん、痛いところを突かれたな。じつは、ニセ総理の奴、『行けば判る』としか言わなかったんだ」
「……そうですか」
「気になることでもあるのか」
「……私が兄と長年暮らしていた島は、洲本のそばなのですよ」



[TOP] [ページトップへ]