Jamais Vu
-94-

島へ
(6)

 揣摩が驚倒したのも無理はない。指摘した萠黄でさえ、わけが判らず、困惑した。
 仰天のシーンはこうだ。
 山寺総理は執務室の大きな書斎机に軽くもたれながら、独特のもの柔らかな口調で、揣摩に対するメッセージを流れるように語っていた。
 問題の場面はこの直後。総理は話の継ぎ目に腰を浮かすと、画面左に向かってゆっくり歩き始めた。
 ところがである。カメラに対して斜めを向いた総理に、奇妙な現象が起きた。
「総理の背中が綻(ほころ)びてる!」
 漫然と見ていたのなら気づかないほど小さな綻びだった。しかしそれは単なる綻びではなかった。
「……CGですか」伊里江がつぶやいた。
「なんだと?」
 揣摩はまさかという顔で萠黄を見た。
「そうみたいです」
 萠黄は頷くと、柳瀬から受け取ったリモコンを操作して映像を巻き戻し、問題の箇所をコマ送りで見せた。
 驚愕の波が再び彼らを襲った。
 総理の上着の後ろ半分、その部分が布地にあり得ないギザギザの形状をなしていたのだ。まるで黒い厚紙を折って乱暴に作ったように。
「通常、CGで複雑な立体を描くには、表面形状を三角形の集合体で近似します。最終的には滑らかな曲面に見えるよう複雑な計算処理を施すんですが、テストの段階ではテクスチャも影も付かない、単純な多面体の状態で形状や動きのチェックを行います。もちろん本物の質感を表現するには時間もコストもかかるわけですから、不必要な部分は処理から除外したり、質の粗いまま放っておいたりします」
「つまり、君はこう言うのかい?」揣摩は考え考え質問した。「この総理の背中は手抜きCGだと」
「はい」
「向こう側だけ作り物なんておかしいじゃないか。──てことは、もしかすると」
 揣摩はハッとして視線を画面に戻した。
「──総理そのものがCGなのか?」
「注意して良く見てください。背景の部屋もです」
「そんな!」
 揣摩の受けた衝撃は小さくなかった。彼はまばたきを忘れて総理の静止画を長い間凝視していた。そして窓の外を見やり、天井を向き、最後にがっくりと両肩を落とした。
「俺は、でっち上げの映像に騙されていたのか」
「それは……しかたがないと思います。携帯の画面は小さいですし」
 すかさず萠黄がフォローしたが、
「君は二度目で気づいた。やっぱりスゴいな。俺なんて確認のために何度も見たというのに。恥ずかしいよ」
 揣摩は自嘲気味に肩をすくめた。
「そんな……慣れてるだけです」
 萠黄は消え入るような声で謙遜したが、柳瀬まで賞賛の目を向け、小さな拍手を送った。彼女は耐えきれなくなり、話の矛先を変えた。
「で、でも変ですよね。動いたり話したりする総理をここまで精巧に作れるなら、背中もちゃんと作れたはずです。これじゃまるでワザと──」
 萠黄は言葉を切った。問題の核心に気づいたのだ。
 揣摩も同じだったらしい。
「ワザと──つまり、手抜きなんかじゃなく、意図的なものだと?」
「あるいは」
「するってぇと、どうなるんです?」柳瀬が話に割って入ってきた。どうやら昂奮すると江戸っ子の血が現れるらしい。「総理から直々に映像メールを受け取ったときは、なんで芸能人にそんなこと頼むのかなって首を傾げたの。でも発信元アドレスが本人を証明する認証パターン付きだったから信用したわけ。その映像がまがい物だということは、誰かが総理になりすましてたってことよね? ──ふてぇ野郎だ!」
 業界人の言葉遣いと江戸弁が微妙に入り混じっている。
「しかし、それなら筋が通る」揣摩は膝を打った。「迷彩服に萠黄さん襲撃を命じたのは本物の総理で、俺に萠黄さんを無事に洲本まで連れてこいと指示したのは真っ赤な偽物なんだな。チクショー、人を担ぎやがって!」
 揣摩は憤懣やるかたないといった鼻息で、見えない相手を睨みつけた。
「でも変ねえ」柳瀬はさらに首をひねる。「総理を騙った偽物さんは、萠黄ちゃんがタロちゃんの大ファンだと知ってたんでしょ? だからタロちゃんご指名で依頼が来たんだし。……いったいそいつはどこで耳にしたんでしょうね、萠黄ちゃんのことを」
「萠黄さん、俺のファンクラブに入ってる?」
「……はい、一応」
「うーん」柳瀬の首はひねる角度をさらに深める。「ウチの個人情報保護対策はピカイチなんだけど」
「複雑な情報化時代に、完璧はないさ」
「でもねえ」
 柳瀬は納得いかない様子だ。
 揣摩は冷静さを取り戻すと、肩越しに萠黄を見た。
「ひょっとして君は、CGがチャチな理由についても意見があるんじゃないのかい」



[TOP] [ページトップへ]