Jamais Vu
-93-

島へ
(5)

 たわわに実った稲穂が朝の風にそよいでいる。その中をエスティマがシルバーメタリックのボディーを煌(きら)めかせながら巡航速度で駆け抜けていく。
「これからどちらへ?」
 運転手の柳瀬が質問した。車内は単調な走行音だけがBGMのように流れていた。
「さあ、どこへ行こうか」
 ようやく揣摩が口を開いたのは、田舎道の信号を三つも過ぎてからだった。
「どこか安全な場所はないかなぁ。萠黄さん、いいところがあったら教えてよ」
「はあ……」
 そんな都合のいい場所があったら、とっくに提案している。いくら地元民だからって、わたしは引きこもり予備軍だったんだから、と萠黄は心の中で文句を並べ立てた。
「俺ってさあ」揣摩が両手を頭の後ろに回して続ける。「十五歳からずっとアイドルだったから、君たちに比べれば遥かに外の世界を知らないんだ。コンサートツアーやロケで日本中をまわってるじゃないかって? とんでもない。八年前に大きなスキャンダルに見舞われてから会社の方針が厳しくなってね。四六時中ガイドという名の見張りがつくようになった。マネージャーとは別に」
 車は信号で停止した。交差点だが横切る車の姿はない。対向車さえ、さきほどからほとんど出会わない。
「自分で言うのも何だが、俺の場合、模範的な私生活が認められてガイド抜きになった。今は柳瀬だけだ。それも二年前にようやくね。だから──」
 信号が青に変わり、エスティマは再び走り出した。
「だから一人旅なんていまだに経験ないんだ。憧れはあるけど怖いという気持ちもある。今みたいに知らない場所を目的地もなしに走るのもあまりいい気持ちはしない。できればどこでもいい、あそこに行ってくれと指示してほしいな」
(そんなこと言われても……)
 萠黄はチラッと左右に目をやった。むんはずっと窓を向いたまま微動だにしない。伊里江は奈良の風景が珍しいらしく、キョロキョロと首を巡らせている。
「あのぉ」
 柳瀬が片手を天井に向けて小さく上げた。
「なんだい?」揣摩が受ける。
「洲本の件は消えたのでしょうか」
 その発言にピクッと反応したのは意外にも伊里江だった。
「……洲本とは淡路島の、ですか?」
「ああ、そうだ」
 揣摩は手を頭からおろすと、思わせぶりに胸の前で組んだ。
「萠黄さんを連れてくるよう総理に指定された場所が、じつは洲本なんだ」
「エッ」萠黄は驚きのあまり、身体が浮いた。「モデルハウスで『東京に』って言ったのは」
「もちろんウソだよ」揣摩は振り向くと白い歯を見せた。「敵にこちらの手の内を見せる必要はないからね」
「でも、あのとき話に出た矛盾点はどうなるの?」
「総理が俺に言ったのと、連中に下した命令の異なる点だな。それは俺にも謎だ。俺には命に代えても君を守れなんて言っときながらな」
 揣摩はポケットから携帯を取り出した。そしてウランに、例のモノをもう一度見せるよう指示した。
《……唐突な依頼で誠に申し訳ないのだが──》
 山寺総理から揣摩太郎宛に送られてきたムービーである。萠黄は食い入るように覗き込んだ。
 執務室らしき部屋で正面を向いた総理が静かな口調で話している。夜だろうか、後ろに見える窓は暗い。
「──ン???」
 萠黄はさらに身を乗り出した。
「どうしたの? 昨日見せたのと同じ映像だけど」
「ええ。でも」
 つぶやいた次の瞬間、萠黄は揣摩のシートを叩いて叫んだ。
「止めて、映像を止めて!」
 間違えて柳瀬がブレーキを踏んだ。後続車がなかったのが幸いだった。
「なんだよ急に」揣摩が咎(とが)めるように言う。
「いいから止めて、少し前に戻して」
「ウラン、二十秒前からもう一度再生してくれ」
 映像は時間をさかのぼり、再び流れ出した。
「揣摩さん、この映像のサイズはいくつですか」
「普通の液晶サイズじゃないのかな。なあウラン」
《違うわよ〜》
「違う? じゃあいくつなんだい」
《ん〜っとね、パソコンのXGAサイズよ》
「そんなにデカいのか。どうしてまたそんな無駄な」
 揣摩は首をひねった。
「柳瀬さん」萠黄は運転席に話しかけた。「この車にテレビは付いてますか」
「はい、高精細デジタルテレビが標準装備ですよ」
 すかさずボタンが押され、ダッシュボードから液晶テレビが現れた。パソコンの十七インチワイドスクリーンほどの大きさがある。
 萠黄が頼むより先に、揣摩は携帯をダッシュボードのコネクタにはめ込んだ。
「再生するよ」
 総理が拡大サイズで画面に現れた。確かに鮮明で粒の立った映像だ。
「マイったな。これほど高画質だったなんて」
「ほら、よーく見て」
 萠黄が指さした。
「──ありゃりゃ、何だコレ!」



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