Jamais Vu
-92-

島へ
(4)

 萠黄は絶句した。むんのカレシが──。
「わたし見たんや。撃たれるとこ」
 むんは力なくそう言うと、両手をタイルの上に落とした。
 萠黄はあわててむんに近寄り、
「軽い怪我かもしれへん。それより──」
「頭を撃たれて生きてるわけないでしょう!」
 むんは吐き捨てるように言い、両手で顔を覆うと、激しく泣き出した。
 萠黄はどうすればいいのか判らなかった。こんなに取り乱したむんはかつて見たことがない。慰めようにもやったことがないだけに、言葉が上手く出てこない。
「むん、むん」萠黄は親友の肩を揺すった。「耕平さんは生きてるよ、向こうの世界で生きてはるよ」
 エッという顔でむんは顔を上げた。
「生きてる……?」
「そうや、リアルの彼は死んでないよ」
「でも……わたしは二度と会われへん。そうやろ?」
 むんは顔を歪めて萠黄に問いかけた。
「わたしかて」萠黄はうつむいた。「わたしかてお母さん亡くしたもん」
 ドウンッ、ドウンッ。
 今度の音はノックではなかった。扉に銃弾が撃ち込まれたのだ。
 萠黄は無理矢理むんの脇に首を突っ込むと、自分より頭ひとつ大きな友人を持ち上げようと力を入れた。むんもなんとか立ち上がろうと膝を立てる。しかし腰が抜けたのか思うにまかせない。
 救世主はそのとき現れた。
「待ちきれないぞ」
「揣摩さん!」
 戻ってきた揣摩は軽々とむんを立たせ、機敏に背負い上げると、
「ついてこれるな?」
と萠黄を促した。彼女はウンと頷き、揣摩の後からフェンスを越えた。
 玄関のドアが開き、どやどやと迷彩服たちが侵入してきた。だがその時には揣摩も萠黄も地面に着地していた。
「舞風さん、レンタカーはどこだ」
 揣摩が走りながら早口で訊ねる。彼の背中に担がれたむんは、焦点の合わない目を開き、
「このまま行って……。裏のアパートをぐるっと回るとコンビニがある……。その駐車場に──」
「判った」
 揣摩と萠黄は路地を左に折れた。これでどうにか死角に入ることができた。萠黄はむんの背中で揺れるリュックだけを見つめ、必死に揣摩の後を追いかけた。
 コンビニは路地を抜けた目と鼻の先にあった。柳瀬と伊里江も駐車場の入口で待っていた。
「あれか。トヨタ・エスティマハイブリッド二〇一三年型八人乗り──。悪くない」
 揣摩はむんの手からキーをもぎ取ると、素早くドアを開けた。
「みんな乗れ、柳瀬、運転頼む」
「ラジャー!」
 キーを受け取った柳瀬は、威勢よく叫んで運転席に飛び込んだ。萠黄は後部ドアをスライドさせて乗り込み、中からむんの乗車を助けた。むんは依然力が入らない様子で、這うようにシートに昇った。伊里江が萠黄の隣りに座り、ドアを閉めた。
「よし、スタートOK!」
 助手席の揣摩が号令をかけた。すでにエンジンを始動させていた柳瀬がアクセルを踏む。エスティマは静かにコンビニの駐車場を出た。ベンツに比べて車高がかなり高い。萠黄はバスに乗っている気分がした。
「あっ」柳瀬が片手で口を押さえる。
「どうした」
「この道だとアパートの前を通過することになるわよ。Uターンもできないし、どうしましょう」
「うーん、しかたがない」揣摩は後ろを向いて「頭をできるだけ低くするんだ」
 セカンドシートの伊里江と萠黄は尻を前にずらして丸くなった。
 エスティマは狭い道路を徐行運転で進んでいく。
「どうだ、奴らはまだいるか?」
 揣摩も丸くなって柳瀬を見上げる。
「い……ますね、いるいる。階段にふたり、部屋の前にふたりほど」
 執拗な迷彩服の襲撃。萠黄はリュックをぎゅっと抱いたままシートに深々と顔を埋めた。
(何ごともありませんように……)
 ひたすら祈るしかなす術がなかった。そんな彼女の頭上に、ふいにむんの身体がのしかかってきた。
「むん、どうしたの」
 萠黄の問いかけにむんは答えず、さらに体重をかけてくる。
「重いよお」
「……むんさん、どうしました?」
 伊里江も問いかけるが返事はない。
 萠黄が親友の下からすり抜けると、むんは窓に額を付けて外を見ていた。
「あぶないよ。見つかってしまう!」
「あああ」むんの口から言葉にならない声が漏れた。
 彼女のさす指につられて萠黄は見た。通過しようとするアパートの階段にひっかかったTシャツと綿のパンツを。それらが耕平の着衣であることは間違いなかった。



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