萠黄は火照った顔を空に向けた。その眼に二階の大屋根がバキバキと音を立てながら迫ってきた。一階の鉄骨が折れ、耐えられなくなったのだ。
「戻れ!」
揣摩の叫びにむんも伊里江も敏捷に反応した。萠黄はむんの手に引きずられて、転けそうになりながらもどうにかついていく。
「潜り込め!」
さっきくぐり抜けた北屋根の残骸に、四人は頭から滑り込んだ。と同時に大きな音がして、大屋根は道路と植栽の上に落下した。
「しまった、柳瀬が、車が──柳瀬ぇ!」
揣摩が携帯に怒鳴る。耳を塞ぐウランの姿が液晶の隅に映っている。
「柳瀬さん!」
むんも脇から乗り出すようにして呼びかける。
《………ヒーローは………死なない》
「柳瀬、怪我はないか!?」
これまで幾度、互いの怪我の有無を気にかけたことだろう。この世界では常に『怪我=死』のイメージがつきまとう。萠黄は頭痛を感じた。鐘を打ち鳴らすようにハンマーが脳髄を直撃し始める。
《私は無傷。車が守ってくれたわ。そんなことより今がチャンスよ。急いで!》
「チャンスやて?」
むんが三人の顔を順繰りに見る。
「行ってみよう」
答えながら揣摩は北屋根の下を抜け出した。三人も後を追う。
道路には途方もない粉塵が舞っていた。火の粉がぱらぱらと降り注いでくる。目を開けているのが難しい。
「柳瀬!」
揣摩が携帯に向かって吠える。すると呼応するようにドアの開く音がした。煙が風に流れていく。
揣摩たちは息を飲んだ。焼け落ちた大屋根が車体の上に覆い被さっている。くすぶり続けるそれは、巨大な手が車を包み込んだようにも見え、ぞっとする光景だった.
「這い出せるか?」
揣摩が携帯に問いかける。
《その必要はなし。それよりドアを開けたから、乗ってちょうだい!》
揣摩は三人を振り返った。さすがにりりしい顔付きになっている。彼は軽く頷くと先頭を切って路上に飛び出した。間を置かず伊里江も続く。むんも萠黄の手を引いて植栽の隙間から道路に飛び降りる。
「早く!」
屋根の下では、柳瀬が開いた後部ドアに手をかけて四人の到着を待っていた。むんと萠黄が滑り込む。伊里江が乗り込むと急いでドアを閉めた。
揣摩が柳瀬に続いて前部座席に転げ込む。間一髪でひしゃげた鉄骨がドアの前に落下した。
揣摩はヒューッと口笛を鳴らし、周囲に目を走らせた。まるで巨大な皿を伏せられたように、大屋根が前後左右を覆っている。偶然にもそれが目隠しの役割を果たしていた。
「よく潰れなかったなぁ。さすがベンツだ」
「つかまっててくださいよ」
柳瀬はギアを入れると、アクセルを踏み込んだ。車は屋根を載せたまま前進を始める。想定外の重量が車体のあちこちを軋(きし)ませる。
揣摩は舌打ちした。
「重過ぎてダメだ。屋根を下ろさないと」
伊里江が前方を指差した。
「……道の左にトレーラーが停まってます。あれに引っ掛ける作戦はどうでしょう?」
人混みに囲まれ、真崎の司令車は立ち往生していた。
「岩村たちと連絡はとれんのか!?」
怒りに身体を震わせながら、何度目かの同じ質問を部下にぶつける。
「ハッ、いまだ応答がありません」
くそっ。真崎は拳で自分の膝を叩いた。
こんなはずではなかった。たかが小娘とその友人どもが立て籠ってるだけだ。岩村たち十数人を差し向けるのも大げさだと考えていたのに。
奴らを見くびった? まさか!
「隊長代理、妙な物が接近してきます」
車外カメラがいびつな瓦礫の山を捉えた。瓦礫は亀のようにゆっくり動きながら司令車に近寄ってくる。
「攻撃して排除しますか?」
「待て、正体も判らんのにみだりに動いてはならん」
そうこうしている間にも動く瓦礫は距離を縮め、ついに先端が司令車の鼻面をこすった。
ガガガガ。不快な音が司令室に響き渡った。画面では割れた屋根瓦や雨戸らしきものが司令車の前にうずたかく積もっていく。周囲の人垣は瓦礫の動きに合わせてよけていくが、司令車は側溝ギリギリに停車しているため、どうすることもできない。
「催涙弾を打ち込め」
「──やり過ぎでは?」
「尋常のやり方では二週間以内にリアルを全滅させることなど不可能。そう言ったはずだ。戒厳令にもかかわらずフラフラ出歩く平和ボケのヴァーチャルどもが悪いのだ。なんなら奴らをタイヤの下敷きにしてもいいぞ」
「──判りました」
司令車の側面が開き、白い煙を放つボール状のものが転々と路面にころがった。たちまち辺りにいた一般市民たちが咳き込み始めた。
目鼻を押さえて逃げ惑う人々の姿に、揣摩は驚きの声を上げた。
「催涙ガスか?」
車にのしかかった瓦礫は、半分がたこそげ落ちていた。おかげで周囲の様子を観察できるようになった。
「……トレーラーから発射されたように思えますが」
「そういやこのトレーラー、異様に大きいな。まるで装甲車だ──まさか迷彩服の……」
ズズーン。ついにすべての瓦礫が車の上から滑り落ちた。よくやったと揣摩は柳瀬の肩を叩いた。
「よし、長居は無用だ。スピード全開!」
「了解、ベルトの風車もフル回転です!」
柳瀬はグッと親指を立ててウインクした。
車は通りに出たところで右折すると、ゆるやかな坂道をまっしぐらに降りていった。昨日苦労して越えた踏切が車窓を過ぎていく。
「ひとまず助かったね」
むんは安堵のため息をつきながら、萠黄の髪を優しく撫でた。
道路に小さなくぼみがあって、車体がわずかに跳ねた。あおりを受けて萠黄の上体がぐらりと傾き、そのまま前席シートの間に倒れ込んだ。
「萠黄!」 |