Jamais Vu
-86-

脱出の朝
(9)

 銃口が揣摩の眼前でゆらゆらと揺れる。
「言えばお前の命は助けてやる。言わねば四人ともあの世行きだ」
 岩村は本気だ。目が据わっている。
 横に立つサキが短く刈った髪をかきながら、
「もうすぐボスが到着するんだ。そしたら検査機が使える。あわてることないじゃないか」
 しかし岩村は聞く耳を持たない。
「片足だけ撃ち抜いてやろうか。ヴァーチャルなら傷口からみるみる砂になっていくぞ」
 岩村の薄気味悪い笑みに萠黄は心の底から震え上がった。むんが砂になっていく。揣摩の身体が崩れていく。そんなもの見たくない。
「わ、わたしです」
 萠黄はむんの手を振りほどいて立ち上がった。
「ほう」
 岩村とサキの目が萠黄に集中した。
「見た目じゃリアルかヴァーチャルかなんて、まったく判別がつかないわね、これは」
 サキがしげしげと萠黄の全身を観察する。
「お友達の三人を撃って砂になれば、消去法でこいつがリアルということさ」
 岩村の言葉に、萠黄はぎょっとした。まさか本気で?
 しかしマシンガンの銃口は再び揣摩に照準を合わせた。
「芸能界に戻って俺たちのことをとやかく発言されては困るんでな。悪いが死んでくれ」
 そこへぞろぞろと他の迷彩服たちが集まってきた。誰も岩村を止めようとはしない。くくくと笑う声さえする。絶体絶命だ。萠黄は観念した。自分が盾になれば、あるいは銃弾を跳ね返すことができるかもしれない。でもこれだけの包囲の輪を突破するのは無理だ。悔しい。でもここまでなのか。
 サキが大きくため息をついた。
「やるならやればいいさ。ただし、ガス漏れをどうにかしてからのほうがいいんじゃないか? 今撃ったらエラいことになるぜ」
 そうなのだ。ガスのシューッという排出音はまだ途切れていない。キッチンの上のガスコックは爆発で跡形もなく吹っ飛んでいる。さっき岩村の仲間が外に廻ったはずだが。
「おーい、山崎。まだ止められんのか!」
 岩村の怒声に外から返事があった。
「誰か手伝ってくれ。二階から落ちた壁がじゃましてるんだよ」
「しょうがないな。岩隈、上原、手伝ってやれ」
「了解」
 ふたりの迷彩服が外に向かおうとした時。岩村の目が萠黄たちを離れた、その時を待ち構えていたように、伊里江はガバッと立ち上がった。
 彼の動きを察して、岩村はすぐさま銃口を向け直す。
 萠黄は反射的にむんに抱きついた。そしてそのまま岩村に背中を向けるようにして彼女を押し倒した。
 伊里江は右手を横に力いっぱい振った。
 同時にドンという銃声が谺(こだま)した。
 銃弾は伊里江にも揣摩にも萠黄にも届かなかった。
 伊里江の払った手刀によってはじけ飛んだのだ。しかも彼の手が空中に描いた弧は目映い光を放っていた。
 背を向けた萠黄には見えなかったが、その場にいた誰もが、信じがたい光景に身体を硬直させた。
 それが伊里江に幸いした。
 彼は手のひらをひるがえし、身体を伸ばしながら指先を岩村に向かって突き出した。すると伊里江の手から光の鞭が現れた。光の鞭はビュンと空気を裂いて岩村のマシンガンを真っ二つに切断した。
「うわわっ」
 何が起きたのか理解できないまま、岩村は両手に泣き分かれたマシンガンを交互に見比べた。
「燃えてるよ!」
 サキの絶叫に顔を上げ、自分を指す指先に視線を落とすと、岩村はさらに仰天した。燃えない破れない素材で作られたはずの戦闘服の胸元が横一文字に裂け、燃え上がっているではないか。
 なぜだ──?
 彼は壊れたマシンガンを手放すと、みずからテラスの外へと転げ落ちていった。
 ダイニングでの騒動はそれで終わりではなかった。
 伊里江はさらに両腕を重ねて縦横に振り回す。
 床に倒れた萠黄とむんは首をねじるようにしてその様子を見ていた。揣摩は眼前に展開する光の芸術に、口をぽかんと開けたまま魅入っていた。
 鞭は銃口を向けてくる岩隈と上原を真横に薙ぎ払った。
 萠黄はあっと叫んだ。
 迷彩服のふたりの身体は胴体から寸断され、床に転がり落ちた。鞭の勢いはそれだけにとどまらない。背後の壁をあたかもショベルカーが鉄の腕のごとく、バリバリと剥がしていく。剥がれた跡がパッと燃え上がる。
「バケモノめ!」
 サキのマシンガンがついに火を噴いた。伊里江はわずかにのけぞったが、それでも腕を振り続ける。彼の腕と一体化した炎の鞭は、残った迷彩服たちに刃(やいば)を向けた。
(やり過ぎや!)
 萠黄は思わず伊里江の足首をつかんだ。伊里江の姿勢は崩れなかったが、鞭はサキたちを逸れて、床に食い込み、迷彩服たちを残らず転倒させ、床下へと叩き落とした。
 萠黄は涙目を伊里江に向けながら哀願した。
「もういいよ。これ以上見たくない!」
 伊里江の能面は何も語らなかったが、彼は左右の腕を静かに下ろした。炎の鞭もすーっと短くなり、やがて消えた。
「……リアルの能力なんですよ。意識を集中させると物を操ることができる。私の操ったのは火ではありません。ガスです。ガスを紐の用に操れたんです。爆発の時にその能力に気づきました。おかげで──」
 彼は天井を見上げた。萠黄も見上げる。そうか、家をこんなに破壊したのは彼だったのだ。



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