Jamais Vu
-79-

脱出の朝
(2)

 巨大な翼を広げたキングギドラは、じつに優雅に宇宙空間を飛翔していた。
(ようできたアニメーションや)
 萠黄は素直に感心した。
 モジを作った時、萠黄は参考のために昔の東宝怪獣映画をすべて観た。映像を何度も静止させ、怪獣たちをスケッチした。ゴジラも描いたしキングギドラも描いた。だから彼女には判った。このキングギドラの映像を作った人は、かなりコアなファンだ。
 PAIのような携帯の組み込みキャラはデフォルメされたものが主流だ。だからこれほどリアルなものは最近では滅多にお目にかからない。
 キングギドラはさらに近づいてくる。
 しかしその姿が大きくなるにつれて、彼女の感動はしだいに不審へと変わっていった。
 巨大な図体を覆う金色の鱗。独立してうねうねと動く三本の長い首、ドラゴンを思わせる頭、ギロリと睨む真っ赤な目、鋭く尖った角、大きく裂けた口からはてらてらと光る長い舌が出たり入ったりしている。
(携帯レベルにしては、造りがマニアック過ぎる)
(これで対話的(インタラクティブ)な動きを見せられたら驚きやけど、録画映像ならあってもおかしくはない)
(そやない! わたしの携帯にこんなモンがまぎれ込んでること自体、そもそも問題やんか!)
 混乱したが、萠黄はようやく核心にたどり着いた。
 その間にもキングギドラは接近してくる。
 そしてとうとう画面が金色でいっぱいになったとき、真ん中奥に位置する首の一本が、視線を萠黄に据えた。
(わたしを見てる!)
 萠黄はそう確信した。
 キングギドラは、いびつに並ぶ牙を光らせながら、初めて声を口にした。
《おはよう、萠黄さん》
 萠黄は声にならない叫びをあげ、携帯を手から放した。携帯は床に落ち、カタンコトンと音を立てて部屋の隅に転がった。
《乱暴だなあ。君の携帯だよ》
 キングギドラの冷静な声が壁に反射して聞こえてくる。落ち着いた大人の男性の雰囲気を持つ声だ。深みがあり、余裕があり、映画の吹き替えなら無理なく主人公を担当できるだろう。とてもPAIの声とは思えない。
《突然のことで驚かせてしまったようだね。ごめん》
 三つ首の怪獣は詫びながら、携帯の外にその姿を現した。
 立体映像として立ち上がったキングギドラは、液晶画面にいた時よりもさらに風格を感じさせた。キングギドラは周囲に金粉をまき散らしながら三つの首を萠黄の方に向けた。その動きは優雅な緩慢さといったもので、怪獣のスケールが途方もなく巨大であることを表現していた。
《ご挨拶が遅れました。──キングギドラです》
 真ん中奥の首がぺこりと前に垂れる。しかし動かない左右の首に気づき、顎でそれぞれの首筋を叩くと、左右の首も彼にならって頭を下げた。その様子があまりにコミカルだったので萠黄は少し緊張がやわらいだ。
「あの……キングギドラさん、どうしてわたしの携帯にいるの? そこにいるはずのモジは?」
《萠黄さんのPAIだね。仲良くなろうと務めたんだけど、残念ながら聞き分けてもらえなくて、しかたなく今は眠ってもらってるんだ。でも手荒なことは全然してないから安心して。それからボクのことだね。──ボクは旅怪獣なのさ》
「たびかいじゅう?」
《ほら、旅烏(たびがらす)って言うだろ? ボクは特定の携帯に縛られず、携帯から携帯へ、旅から旅の流れ者なんだ》
「そんなこと、技術的にできるはずが──」
《できるんだよ。ボクがその動かぬ証拠さ。動いてるけどね》
 キングギドラは咳払いした。したように見えた。
《携帯のセキュリティーは万全だと誰もが思ってる。自分の携帯の周囲には高い塀と鉄条網が張り巡らせてあって、PAIは絶対に飛び越えられないし、逆に外からの侵入も不可能だとみんな思ってる。だからPAIは自分だけの友達で、最高に親密な話し相手になってくれる。何だって話せる。現実のペットみたいに首輪をちぎって逃げていくこともない。外部から盗み聞きしにくる奴もいない。すべての携帯ユーザーがそう思ってる。
 でもね。ネットワークでつながってる限り、超えられない壁なんてありえないんだ。破れないセキュリティーなんてこの世界にはないのさ。君の携帯の場合は特にハイレベルな鍵がかかっていたので外すのに苦労したよ》
 しゃべりながらキングギドラは、ゆらゆらと三つの首を揺らめかせている。しゃべっているのはずっと真ん中奥の首で、彼の口の動きは話し言葉とぴったり合っていた。あらかじめ作られた動きではない。ということは、実時間表示(リアルタイムレンダリング)を可能にするため、裏で高速な3D演算を行っていることになる。萠黄の携帯はメモリを最大限に増設していえるとはいえ、モジのプログラムが大部分を占めている。もし──仮にモジが削除されてしまったのだとしても、やはり携帯の能力を超えているのではないか? 単純に暗算しても、萠黄にはそういう結論しか出てこない。
《なんだか考え込んでるみたいだね。でもそんな暇はないよ》
「?」萠黄は思考を中断して顔を上げた。
《敵がこの家に迫ってる。早く逃げた方がいい。ボクはそれを伝えるために出てきたんだ》
「敵って?」
《忘れたのかい? 昨日君たちを襲った連中さ》
 萠黄の脳裏に昨日の恐怖がよみがえった。
「ど、どうして──もう発見されたの?」
《だって君はさっき、この携帯でセンターにアクセスしただろう? 敵は法律も常識も無視して君を追いかけている。敵はGPS衛星をハッキングしていて、君の居場所が判ったらすぐ知らせる仕組みになっているんだ。すでに敵は近くまで来ていると考えるべきだね》



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