萠黄はじっと壁を見つめていた。
いつ目が醒めたのか覚えていない。気がつくと驚くほどの充足感が身体に満ち満ちていた。
──なんてすがすがしい気分。おとついまで不眠症に悩まされてたのが嘘みたい。必死で逃げ回ったせいで疲れたからやろか。
カーテンの隙間から差し込む光が、壁の上に小さな陽だまりを作っている。雨戸の外に植えられた植物のせいだろう、陽だまりは段だら模様を描きながら、ゆらゆらと揺れている。朝だ。
──この世界がすべて作り物やなんて。
向かいのソファでは、むんがすやすやと寝息を立てていた。
彼女もまた作り物──。たった二日前に生まれたばかりの人間。それは桁外れに衝撃的な事実だったが、昨日は衝撃的な展開があまりに多過ぎた。おかげで感覚が麻痺してしまった。あれよあれよという間に一日が終わってしまった。
でも、むんはむんだ。かけがえのない親友だ。たとえヴァーチャル≠ナあっても、萠黄の知るむんと同じように、笑い、励ましてくれる。
床の上には、ふたりの男が身を横たえている。タオルケットをかぶり、カブトムシの幼虫のように丸くなっている伊里江。そして揣摩は軽く鼾をかきながら、へその辺りをぼりぼり掻いている。
(まるで友達同士で海の家に遊びに来たみたい)
萠黄は吹き出しそうになり、口を押さえた。
昨日のことを思い出せば、もっと緊張感があっていいはずなのに……。映画や小説と違って、現実はこんなものなんだろうかと萠黄は思う。
頭を起こして時計の針を見る。午前七時半? いや裏返しだから五時半だ。
Tシャツを上げて、胸の辺りを確認する。銃弾の跡は見えないくらい小さくなっている。
萠黄はソファを降り、リュックを持って静かに部屋を出た。家の中も外も物音ひとつしない。風雨は去った。怖いほど静寂な朝だ。
トイレで用を足し、顔を洗い、鏡を見ながらブラシで軽く髪をすく。
(この世界でも髪の毛は普通に伸びてくんかな?)
昨夜寝る前に、全員六時起床と決めた。まだ少し時間がある。
萠黄は階段を昇って二階に上がった。南向きの一室で出窓が朝陽を招じ入れていた。
(今日は快晴やね。逃げるには不向きかなぁ)
まあそれはみんなが起きてから考えよう。
萠黄はリュックから携帯を取り出した。
「あれ?」
液晶画面を覗き込んだ彼女は目を丸くした。電源がオフになっていたのだ。
消した記憶などない。何かの拍子で押したのだろうか。
彼女はあわてて電源を入れた。ピアノのアルペジオがスピーカーから鳴り響き、携帯は眠りから目覚めた。
「モジ、おっはよー」
画面に向かって呼びかける。しかし返事はなかった。(なによ。いつも《なんや!?》やの《うるさいのー》やの、すぐ生意気な返事するくせに)
「モジ〜、どないしたん?」
萠黄は携帯に顔を寄せた。画面にはモジが好んで住む火山の噴火口が見える。もちろんCGによる映像だ。
「もしもし、モジさ〜ん、怪獣の王、モジさま〜」
猫なで声にもまったく反応がない。地鳴りの音がかすかにするだけだ。地鳴りはモジの世界の基本設定なので不思議でもなんでもない。
昨日、マンションを出る直前に声をかけた時、モジは妙に具合の悪そうな様子をしていた。何か悪いもの(ウイルス)でも食べたんだろうか。
萠黄は過去の着信メールを確認した。五通のメールマガジンが届いていたが、ウイルスの跡はなかった。ついでに電話会社のサーバにアクセスして過去の履歴を確認してみた。影響を受けそうな不具合は発生していない。
そもそも萠黄の携帯は自作のワクチンソフトによってガードは万全のはず。とはいえ二〇一四年になっても日々進化を続けるウイルスの存在は脅威だ。安心は禁物である。
「モジ〜、いいかげん出ておいでよ〜」
スネてるのかな? と思ったその時だった。
噴火口の映像がスルスルと動き出した。カメラ(視点)が移動しているのだ。そのまま山を離れると、画面は満天の星空になった。
(エッ……宇宙? なんで?)
まぎれもなくカメラは宇宙空間を漂っていた。
やがて画面の中央にひときわ大きな光点が現れた。光点はぐんぐんと輝きを増しながら迫ってくる。
(彗星? ……違う、これは!)
光点は一匹の怪獣の姿をとりつつあった。
大きく左右に広げた翼。
大蛇のようにのたうつ三本の首。
金色に光る身体。
「キングギドラ!?」
まさしくそれはゴジラの宿命のライバル、キングギドラだった。
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