分厚いガラスの向こうで警官たちは、広大なスタジオをどこから訪問すればいいのか迷っている風だったが、宿泊棟から結城氏が飛び出してきたのを見て、そちらに足を向けた。
刑事のふたりは、若手と初老といった組み合わせ。その後ろから、いかにも無骨な叩き上げといった、頑固そうな警官ふたりが付き従う。
初老の刑事がガラス越しに、鋭い視線を投げよこした。雛田の心臓が激しく飛び上がった。
「……僕かな」
「え?」清香が表に目を向けたまま顔を寄せる。
「高速道路の料金所を突破した時、警察だか機動隊だかが、占拠していた連中を包囲したんだ。僕たちはその直前に現場から逃走した。だから──」
「一味の疑いをかけられた?」
「可能性はある」
若い刑事が警官たちを代表して結城氏に話しかけた。結城氏は意表を突かれたという顔をしながら、二、三度首を縦に振った。刑事はお愛想程度の笑顔を浮かべて、さらに何ごとか問いかけた。彼らの会話はまったく聞こえてこない。
「覚悟した方がよさそうだ」
雛田が椅子をがたつかせて立ち上がったのと、警官たちが結城氏を先導に食堂へと歩を進めたのが同時だった。
扉が開く。外気が静かに流れ込んできた。芝生の上で動くスプリンクラーの音がいやに大きく聞こえる。
不安げな結城氏を押しのけて前に出た若い刑事は、
「影松清香さんですか?」
と問うてきた。
(──?)
刑事の視線は自分へではなく、背後に向けられていた。雛田は混乱した。彼らの目的は清香?
「わたしですが……」
おずおずと腰を上げる彼女。その姿を認めた刑事たちの顔に、感に打たれたとでもいうような表情が走った。おそらく彼らは清香が何者なのかも知らずにここへ来たのだ。すらりとした彼女の全身に目を走らせた若い刑事は、少しばかり相好を崩した。
「いやあ、あなたが影松さんですか。朝早くから失礼します。私どもは長野県警から参りました」
そう言って会釈した若い刑事は、短く刈り込んだ髪を撫で上げると、田村ですと名乗った。
(まるでヒットラーユーゲントを卒業したばかりのナチス親衛隊員だな)
初老の男も一歩前に出て、成瀬ですと頭を下げた。歩くたびにズボンのベルトが悲鳴を上げている。
(こちらはゲーリング元帥か)
残りの警官は名乗る機会を与えられず、入口に並んで立ち塞がった。
「影松豊さんは、あなたのお父様?」と田村が訊いた。
「そうですが……」
「さきほどお父様が東京都内の某所で発見されました。瀕死の重傷を負われていて、意識不明のまま病院へ搬送されたそうです。我々はあなたをお迎えするためにやって参りました」
雛田は「エッ」と声を上げた。ゲーリング成瀬刑事が、あなたはと問いかけてきた。
「影松の友人です……。しかし彼は死んだはずでは」
「ほう」成瀬の目が怪しいを光った。「どういうことですかな?」
雛田は料金所で影松が暴漢に襲われ、それが致命傷になり、ここに到着する直前に亡くなったことを話した。成瀬の目はますます鋭さを増す。
「そりゃおかしな話ですな。我々が警視庁から受けた連絡とはまるで違う。影松さんは今朝事務所近くの公園で血を流して倒れているところを、偶然通りかかったサラリーマンに発見されましてな。現在、集中治療室で手術中だと、そう聞いておりますが?」
「まさか! 彼は僕の目の前で亡くなったんですよ」
雛田は叫ぶが、成瀬の表情は変わらない。
「では影松さんの御遺体はどこに?」
「そ、それは……砂になって、崩れてしまいました」
「砂ぁ?」
成瀬は田村親衛隊員と目を見交わすと、腹を揺すってカラカラと笑った。
「清香さん」田村が含み笑いをかみ殺しながら、馴れ馴れしく声を掛ける。「人間が砂になったなんて話を、あなたは信じたのですか?」
ハッとして雛田は清香を振り返った。彼女は言葉をなくしたように立ち尽くし、目を左右に泳がせている。
「だって、現に昨夜は山手線でも」雛田が言い募る。
「雛田さん──」成瀬が一転、地面を這うような低い声で雛田の発言を遮った。「思い出したよ、アンタ、かつて一世を風靡したカゲヒナタの片割れさんですな?」
片割れなどとは心外だがそれどころではない。ゲーリングは何を言いたいのか?
「いやなに、影松さんの羽振りの良さは、芸能ニュースに疎(うと)い私でも知ってますよ。元コンビだったアンタが芸能界で犯した失態もね。当時はずいぶんと面白おかしく報道されましたからな。あれは何年前のことでしたっけ。アンタもひとかたならぬ苦労をされたことでしょう。おおかた、元相棒さんに借金を申し出たが断られてしまい、腹いせに……といったところですかな。ハハハ」
成瀬の底意地の悪い嘲笑が、雛田の肝を冷たい水に突き落とした。
「待ってくれ、そんなことはない。そんなはずはない」
食い下がろうとした雛田の腕を田村が横から掴んだ。
「どうやらあなたには詳しい話を聞く必要がありそうですね」
親衛隊員はそう言うと、入口に控えた警官を手招きした。
(バカな! 僕が逮捕される!?)
雛田はますます混乱した。自分は夢を見ているのか?
「待って、刑事さん!」
その時、清香の声がレストランに響き渡った。ふたりの刑事、ふたりの警官、雛田、結城氏の視線が一斉に彼女に注がれる。
清香は迷いのない足取りで雛田のそばに歩み寄ると、彼の二の腕に手を回し、毅然たる顔を成瀬に向けた。
「刑事さんにお訊ねします。わたしがこのスタジオにいることを、いったい誰からお聞きになりましたか?」 |