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-68- 四十五歳の多感 (19) |
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《ハハハ。脅かしが過ぎたかな。正直に言うと、俺はもちろん影松豊本人ではない。人格コピーされた、いわばクローンだ。人格クローンと称されることが多い》 「多いって、僕は聞いたことがない……」 《機械音痴でパソコンすらろくに触れないお前には無縁の話だろう。PAIは日々進化している。世間で流通している表向きの商品では電子的な愛玩動物でしかないが、裏世界では数多くの技術オタクがしのぎを削り合っている。その成果のひとつが俺さ》 カバは短い後ろ足で立ち上がり、短い両腕を広げてみせる。威張ってるつもりらしいが、カバはカバだ。 《人間の影松は、半年前にクローン生成ソフト『ジェミニIV』を手に入れると、PAIにおのれの人格を転写するべく、気弱なカバの特訓をスタートさせた》 「なんでそんなことを」 《理由か? 決まってるじゃないか。お前だって身体がふたつ欲しいと思うことがあるだろう?》 「じゃあ……」 《そうだ。ルーティンワークや、とりたてて判断を要しない事には、俺が本人に代わって対処する。そのために作られたのさ。なにしろお前と違って、最近のカゲはトイレに行く暇もないくらい忙しかったのでな》 初めの驚きが消えると、カバにお前呼ばわりされることが癇(かん)に触り始めた。カバは顔色からそれとなく悟ったのか、フフンと嗤(わら)って見せた。それがまたカチンとくる。 「……訓練は、どうやったんだ?」 雛田は精一杯、眼光を鋭くしてみる。 《訓練たって特別なモンじゃない。『ジェミニIV』を起動したままPAIのお相手をしてりゃ、それでOKなのさ》 「会話しながら、相手の話し方を盗むわけか」 《話し方だけじゃなく、嗜好や考え方、その裏に流れる思想まで取り込まないと意味がない。突拍子もない話に聞こえるだろうが、最新バージョンの『ジェミニW』では、革新的な改良がなされ、人格転写は実用化に向けて格段に進歩したんだ》 「……それがお前というわけか」 《そう、俺だ。言っとくが半端じゃないぞ。カゲが直に相手のできないときは、胸ポケットの中から言動に耳を澄まし、テーブルの上から見えるものを記録していく。同時に分析作業をおこない、人格データベースへ順次格納していく。彼が就寝中でも、過去に出演したテレビ録画やラジオ録音を教材にして訓練を続けた。だから雛田、お前のこともよく知っているぜ》 「呼び捨てにするな。PAIのくせに」 さすがに我慢ができず噛みついてみせたが、カバは意に介した風もなくカラカラと笑った。その笑い声がまた影松そっくりなので腹が立つ。 《まあそう怒るな。そのうち慣れる》 「慣れたかァないね。だいいち違法じゃないのか? PAIの知能を高めることは倫理的社会的に問題アリとして、有識者を交えた政府の審議委員会で、知能の向上に一定の制限がなされたはずだ」 《さっき言ったろ?“裏世界”の話だと》 「やっぱり違法だ」 しかしカバは動じない。 《技術の進歩が速過ぎて、法律は追いついていない。それに商品化されてるわけじゃないしな。あくまでインターネットでやりとりされる範囲内だ。そんなことより》カバは身を乗り出した。もっとも携帯から離れることはできないが。《俺はむちゃくちゃ役に立ったんだぜ》 「……どんな?」 聞きたくもないが。……いや、聞きたい。 《二ヶ月前、俺は満を持して表舞台にデビューした。実際にカゲ本人になりすまして電話の応対をやった。誰ひとり気づかなかったんだぞ。話し相手がPAIとはな。ハハハ》 得意げに鼻息を荒げて立ち上がる。漫画なら「えっへん」というところだ。 《お前だってそうだ。昨日、お前の携帯に入れたカゲの留守電メッセージ──あれは俺様だ。俺の声だ》 「なんだと!」 怒りが沸点に達した。雛田はカバの横っ面を張り飛ばしてやろうと右手を繰り出したが、相手は実体のないホログラフィック映像である。手は虚しく空を切った。 《まあそんなにいきり立つな。俺は手も足も出せないんだから、口だけでも達者に動かさないとやってられないんだよ。勘弁しろ》 「うるさい、こうしてやる!」 雛田は両手で携帯を掴むと、力まかせにダッシュボードから抜き取ろうとした。しかしどこかが引っかかっていて、びくともしない。 《おいおい、壊さないでくれよな》 雛田は涙で目がかすんだ。悔しい。 数時間前に非業の死を遂げた相棒に対する気持ち、それを土足で踏みにじられたような屈辱感に覆われ、この野郎め成仏しやがれと怒鳴りながら、彼は両手で携帯を叩き続ける。カバの映像は上下にぶれ、目が回るからやめてくれと叫び声を上げる。 《判った判った。右上のボタンを押せばいいんだ》 言われたボタンを押すと、いとも簡単に取り外すことができた。電源スイッチを見つけると、すかさず指をかける。 《オフにするのは構わんが、お前、俺に何か訊くことがあったんじゃないのか?》 スイッチに触れた指が止まった。 「……教えろ」 《何を?》 「決まってるだろ!」 《そう噛みつくなって。──ああ、間違いなく清香は、お前と碧の間にできた子供だ》 「証拠は?」 その時、アスファルトを小走りで近づく足音が聞こえた。 「おい、カバ公、話は後だ。よけいなことを言うなよ」 サイドウィンドウを清香が叩いた。 「誰と話してたの?」 「いやなに、コイツの相手をしてただけだよ」 雛田が携帯を上げてみせる。ピンクのカバは鼻の穴を広げながら、一声高く鳴いてみせた。 《フュウ〜ン》 |
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