Jamais Vu
-65-

四十五歳の多感
(16)

 雛田は、高速道路の料金所を不法に占拠していた若者たちを思い出した。彼らが長野防衛隊? 名称のわりには組織立った様子も、統制のとれた気配もなかった。せいぜい暴走族同士の抗争に毛が生えたようなものだ。どこが県民は一丸≠ネんだ?
「おじさま」
 清香の呼びかけに、雛田は思考を中断させる。
「ん?」
「お父さんは?」
 ついにきた。雛田は、自分を見つめる清香の視線を逃れ、間接照明にぼんやり浮かび上がる録音スタジオを見やった。隅には彼女のものだろう、アルパが二台、立て掛けられていた。
「やっぱり」清香のため息が聞こえた。「お父さん、来てくれなかったのね。お仕事が忙しいとか言い訳して」
「違う」雛田はあわてて顔を戻した。「そうじゃないんだよ。これにはその、理由があって──」
「いいの。……お父さん、何かあったらいつでも連絡して来いって言ってたのに。
 お母さんは日本にいないし、おじさまとは緊急連絡がとれないし、妙な防衛隊メールはどんどん届くし。悩みに悩み抜いて送ったメールなのに、おじさまに代役を押しつけて自分は来ないなんて……ヒドい」
「違うんだ!」
 雛田は自分の膝を両手で叩いた。
「……違うって?」
「お父さんは──影松は来たんだ。昨夜車に乗っていっしょに東京を出発したんだよ」
「じゃあ、いま外にいるの?」
「清香ちゃん。僕の話をしっかり聞いてほしい。影松は亡くなったんだよ」
「………」
「今朝まだ暗いうちに高速道路を走って、長野に入ったんだ。ところが料金所が不逞な輩(やから)に襲われて、バリケードが作られていた。僕たちは車ごと強行突破しようとしたんだ。でも失敗した。僕がはさまった車を動かしている間、彼は身体を張って、連中の攻撃をくい止めてくれた。おかげで車はバリケードを突破することができたんだけど、彼は大怪我を負った。そして、ここに来る途中に、命を落とした」
「そんな──」
「僕だって、嘘だったらと思うよ。でも本当なんだ」
 清香は大きく目を見開き、雛田の顔をじっと見つめた。そして嘘ではないと知ると、雛田の膝に取りすがり、激しく嗚咽の声をあげた。
 雛田も相棒の死にあらためて涙を流した。そして彼は思った。今は本当の父親が誰であるか、彼女に話す時期ではないと。

「お父さんは、本当に来ようとしてくれたのね。わたしのメールに応えて」
 清香は涙を出し尽くすと、消え入りそうな声で雛田に尋ねた。
「うん。たまには父親らしいことをしてやりたいとね」
「フフフ、らしくないこと言っちゃって」
 清香は無理に微笑んでみせた。
「でもどうしてこんな早朝から、ひとりでここにいたんだい?」雛田は先から不審に思っていたことを尋ねた。「しかも大音量で音を鳴らしたりして。宿泊棟の部屋にいたんじゃなかったの?」
「そうだったんだけど……お父さんにメールを送った後、いつこちらへ到着するか判らないと思って、起きてたの。でもただ起きてるのはつらかったから、真夜中にこっちへ来たの」
「お父さんは何度か電話をかけたらしいよ。つながらないとぼやいてたけど」
「それはこちらからも同じだった。昨日の夜あたりから受信状態がひどく悪いの」
 それも例の長野防衛隊のせいかもしれない。雛田はそうにらんだが、これ以上怖がらせたくないと思って口にしなかった。
「聴いていたのは新曲かい?」
 さっきまでスピーカーから小さく流れていたが、最後まで再生し終えたのか、今は静かだ。
「うん、三日前に録音したばかりの曲」そう言うと、清香は座ったまま、意味ありげに膝を進めた。
「おじさま」
「うん?」
「お父さんの……亡骸(なきがら)は?」
 雛田は目を閉じた。やはり話さないわけにいかないのか。
「──君の携帯に、細菌テロ云々っていうメールが届いたと言ったね?」
「うん」
「お父さんは、細菌兵器にやられたんだ。だから亡くなると同時に、遺体は砂になってしまった」
「……見せて」
 雛田は彼女の要望を退けることができなかった。

 太陽はぐんぐんと上昇を始めている。徹夜明けの雛田には厳しい陽光だ。しかし、遠くの空に怪しい雲が少しばかり浮いている。午後には天気が崩れるかもしれない。
 雛田は清香を連れて駐車場に出た。彼をここまで運んだ四駆は、ボンネットが大きくへこみ、車体は痛々しい擦り傷だらけだ。
 彼は助手席を開けてみせた。そこにはていねいにたたまれた影松豊の着衣と、ひとかかえもあるビニール袋に詰まった砂が置かれていた。ここに到着する前に、雛田が備え付けの携帯用掃除機を使って必死にかき集めた相棒の残骸である。
 清香は袋越しに中の砂を撫でた後、しばらく両手を合わせて拝んでいた。その時、後部座席の足許(あしもと)に置かれたクーラーボックスに気づいて、あれは何と尋ねた。
「お父さんの頭が入ってる」
「……見たい」
 雛田は今さらながら自分の処置を後悔したが、観念してクーラーボックスを車外に取り出し、中を開いた。
 四駆の揺れは予想以上だった。新聞紙を丸めて緩衝剤にしていたものの、影松の頭部は半分がた崩れていた。それでも、土人形のようなその塊は、影松豊の面影をじゅうぶん残していた。
「お父さん……誰がこんなひどいことを」
 清香は、泣き顔に続いて、かつて雛田に見せたことのない表情を浮かべた。
 怒り、だった。



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