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-60- 四十五歳の多感 (11) |
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雛田は急ブレーキをかけ、百二十キロ近いスピードで疾駆していた車を道路の端に寄せた。 「この唐変木! こんなところに停めやがって、景色でも眺めて休憩する腹か?」 影松は怒鳴るが、声にまったく力がこもっていない。雛田は車を降りると、駆けるように反対側にまわり、助手席のドアを開けた。 「ウッ──ひどい」 相棒の左脇腹のYシャツが、にじみ出した血で真っ赤に染まっている。当人の言うとおり、食い込んだバールをはずせば、温泉のように血が噴き出すだろう。 「くそっ」 雛田は激しく舌打ちし、ドアを静かに閉めて、運転席に戻った。そして再びスタートするべく、サイドブレーキを握ったが、その手に影松の手がかぶさった。 「お前、何を考えてる?」 「決まってるだろう、病院に行くんだ」 影松は相棒から手を離すと、鼻先を掻きながら、 「そいつは勘弁してくれ。子供の頃から病院は嫌いなんだ」 「強がりは止めろよ。誰が見たって、その傷が重傷であることは明らかだ」 「だから言ってるんだよ、寄り道してる時間はない」 雛田はハッとした。相棒を見ると、彼の顔からはすっかり血の気が失せ、息づかいも荒くなっている。 「しかし──」 その時だった。言葉に詰まった雛田の視界の隅に、小さな明かりがぽつぽつと灯った。朝もやの中、明かりは進行方向から次々と現れる。 「雛田、エンジンを切れ!」 相棒の鋭い声に、雛田の指はキーをつかんでエンジンを切った。 明かりの大群は、あっという間に接近してくると、ふたりの乗る四駆の横を猛スピードで通過して行く。それは多種多様な車の集団だった。スポーツカーあり、業務用ワゴンあり、タクシーあり。どの車も満杯の人間を積んでおり、彼らはめいめいに何ごとか大声で叫んでいる。ある中型トラックの横には垂幕状のものがひっかけてあり、そこには『長野を守れ』『細菌テロを断固阻止せよ』などの文字が手書きの墨染めで書かれていた。 暴走集団は、料金所にいる仲間の危機に加勢するためか、四駆の存在など目にも留めずに駆け抜けていった。 大量の排気ガスを残して遠ざかる後ろ姿を、呆然と見送る雛田に、影松は苦しい息の下から、 「奴らのお祭り騒ぎが、人体砂状化現象に起因していることは、間違いなさそうだな」 「ということは、この長野で大掛かりなテロ攻撃がなされたっていうのか?」雛田は影松を振り返る。 「そうじゃないだろう。奴らは明らかに、外からの侵入を防ごうとしている。それも妙に暴徒化してな。ウッ」 影松は咳き込むと、口から血反吐を吐いた。 「バ、バカ、しゃべるんじゃないよ」 雛田はあわてて相棒の背中に手を伸ばすが、影松はそれをはね飛ばして、 「いいか、聞け! 俺はそう長くは保たない」 「情けないことを言うなよ」 「うるさい、黙って聞けっつってんだろーが! これを見やがれ」 影松は右手をバールが刺さったままの脇腹に押し込むと、握りこぶしを作って、そのまま雛田の目の前に突き出した。 開かれた影松の手のひらから、朱に染まった砂がぽろぽろとこぼれ落ちた。 「──!」 「……俺も細菌とやらに、感染してたんだな」 「そ、そんな──やっぱり病院に行くべきだ。病院なら助かる手だてがあるはずだ。血清かワクチンか──」 「なあ、雛田よ」 影松は、それまでとは打って変わって、やわらかな目線を雛田に送った。 「お前は見たんだろ? 人間が砂になって崩れていくところを」 雛田は言葉に詰まって、視線をそらした。 「残された時間が、あとどのくらいなのか……。この相棒サマの最期の頼みを聞いてくれよ」 雛田はぎこちなく頷いた。 「ありがとう。さあ、先を急ごうぜ」 前を向いた雛田は、無言でエンジンを始動させた。クラッチをゆっくりと上げ、四駆のスピードを徐々に上げていく。車の振動が、影松の身体に障るのを恐れたためだ。 高速道路の上は、相変わらず他に一台の車も見えない。 四駆は夜明けの冷たい空気の中をひた走りに走った。 「俺、思うんだが……ひょっとすると清香が困ってることって、奴らの騒ぎに関係あるんじゃないかな?」 「──僕には判らない。判らないけど、清香ちゃんだったら、きっと、県内に不穏な動きがあることぐらい、警告してくれるんじゃないかな?」 「おお、さすが雛田。俺より清香に対する理解度が高いじゃないか。さすがだね」 「変な喜びかたをするなよ。気持ち悪いじゃないか」 雛田は泣き笑いの表情を浮かべながら、四駆をさらに加速させる。 「いや、さすがと言ったのはお世辞でもなんでもない」 「………」 「この際だ、ハッキリ言っておこう。──清香はな、俺の本当の娘じゃないんだ」 「──はあ?」 「お前だよ、雛田。お前が清香の、実の父親だ」 |
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