Jamais Vu
-59-

四十五歳の多感
(10)

 肩を揺すぶられて、雛田は正気を取り戻した。
「……夢を見てた」
「のんきな奴だなっ。怪我はないか?」影松が訊ねる。
「大丈夫……こぶを作ったぐらいだ」
 雛田は額に手を当ててみる。血は出ていない。じんじんと鈍く痛むが、大したことはなさそうだ。
 どれぐらい気を失ってたんだろう。雛田は周囲を見渡す。およそ十秒ぐらいか。
「ちと無謀だったな。車がはさまっちまった」
 相棒に言われて外を見た。なるほど四駆は通行レーンの両側に前後を食い込ませた形で停まっている。
 背後で嬌声があがり、足音が近づいてきた。
「奴らが来る。どうにかして抜け出すんだ!」
「わ、判った」
 雛田はギアをバックに入れると、エンジンを噴かした。しかし車体はほとんど動こうとしない。
「ダメだ」雛田は両手で万歳しながら叫んだ。「車を捨てて逃げよう」
「バカ、あきらめるな! 少しずつでいい。車を前後に動かせ」
 言われるままに雛田はハンドルを操作し、アクセルを踏み込んだ。バンパーがブースを押しやり、少しずつ空間ができていく。
「やるじゃないか。あと少しだ、慌てず急げ」
 影松はそう言って、ドアを開いて降りようとした。
「おい、どこへ行く?」
「俺が時間を稼ぐ」
「やめろ! 武器もないのに──」影松は雛田の制止も聞かず、車外に出るとドアを閉めた。
 その時にはもうリーダーの男が目と鼻の先まで迫っていた。
「お前たちを通しはしない。他の連中みたいに車ごと丸焼きにして──」
「黙れ、クソガキ!」
 影松の大音声があたりに轟いた。リーダーの男はわずかに怯んだ様子を見せた。後ろから駆けつけた子分たちも足を止める。
「俺とタイマンで勝負だ。言っとくが俺は空手五段だ。お前のその生意気そうなアゴを、一撃で砕いてやるから覚悟しな!」
 そう言うと両手を前に構え、一歩前に踏み出した。
 雛田は耳で相棒の台詞を聞きながら、こんなときに芸人根性丸出しでハッタリをかますなんて自分にはとてもできない芸当だ、と舌を巻いた。
 じりじりと影松は間合いを詰めようとする。
 五人の男たちは完全に気を呑まれてしまったようだ。互いに顔を見合わせると、後ろに下がり始めた。
 その様子をバックミラーで見ながら、雛田は四駆を何度も切り返す。
「なんとかしてくれよー」
 幼さの残る子分のひとりが、苛立ちの声を発した。それが引き金になったのか、リーダーはウォォォと雄叫びをあげると、両手で持ったバールで、影松を横ざまになぎ払おうとした。
 影松は慌てなかった。左腕と脇腹ではさむようにバールを受け止めると、同時に右の拳をリーダーの顔に叩き込んだ。
「ぐはっ」
 噴き出した鼻血が弧を描いた。リーダーは道路に倒れ込み、両手で顔を覆いながらのたうち回る。
「済まねえな。アゴじゃなくて」
 影松はバールを小脇に抱えたまま、他の四人に迫っていく。しかし相手はすでに戦意を喪失していた。
 と、その時。
 東京側の道路から数台の車が、サイレンを鳴らしつつ近づいて来た。メガホンを通した声があたりに響く。
《料金所を違法占拠している者たちに告ぐ。ただちに武器を捨てて投降しなさい》
 続いて、いくつものサーチライトが光を投げかけてきた。
「チッ、公僕のするこたぁ、いつも遅いんだよ」
 ガタンッと背中で音がした。振り向くと四駆が今ようやくレーンの呪縛から解き放たれたらしい。
「坊主ども。あとは大人たちに慰めてもらえ。あばよ」
 言い残すと影松は駆け出し、雛田が開いたドアに勢い良く飛び乗った。
「全速ダッシュだ。これ以上、足止めを食っちゃたまらんからな」
「オッケー。カゲヒナタ号の再スタートだ!」
 四駆のエンジンはうなり声を上げ、アッという間に料金所を離れていった。

 日の出が近いのだろう。周囲が明るさを増してきた。
「それにしても胸のすくタンカだったなあ。久しぶりに聞いたよ。カゲのハッタリ芸」
「なーに。ガキども相手じゃ、張り合いがなかったよ」
「言ってくれるねえ。僕は生きた心地がしなかったんだから」
 雛田は笑いながら相棒に尊敬のまなざしを送った。相棒は眠そうな目をしながら、まだ小脇にバールを抱えたままだった。
「どうするんだい、それ。戦利品のつもりかい?」
「これか。……取れないんだ」
「?」
「だって、抜いたら最後、車の中が血の海になるぜ」
「な──!」
 雛田は我が耳を疑った。



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