Jamais Vu
-57-

四十五歳の多感
(8)

 雛田は十メートルほど手前で四駆を止めた。
 それは確かに料金所だった。数年前、日本全国の料金所はすべてETC化されたが、最低ひとりの人員を配置することが義務付けられている。
 雛田はフロントウィンドウ越しに観察したが、ブースの中には人がいそうな気配がなく、電灯すら灯っていない。
 奇妙なのは通行レーンだ。数本あるレーンの前にはどれも、丸太を置いてあったり板を打ち付けてあったりして、通せんぼしてある。まるでバリケードだ。
 おかしなことはまだある。手前に二台の車が横転しているのだ。四駆のライトに照らされて、どちらの車からも煙がたなびいているのが見える。
 ちょうどその間には、焚き火が威勢良く燃えていた。遠くから見えた明かりは、この火だったのだ。
「カゲ、どう思う?」
「……ここから先は通さない、と言いたいらしいな。誰かさんは」
「戻った方が良さそうだな」
「ああ。……ちょっと待て。出てきたぞ」
 いつの間にか焚き火の前に人影が現れていた。男が五人。彼らは兵隊のように横並びに整列すると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。手に手に棒切れやバールのようなものを持っている。
「どうやらお友達にはなりたくない連中のようだな──エンジンは切るなよ。いつでも走り出せるようにしておけ」
 影松は言うと、サイドウィンドウを五センチほど下ろした。雛田はごくりとツバを飲み込む。
 五人の内、ふたりが車の左右に廻った。残りの三人は前に立ち塞がっている。影松はつとめて明るい声で近寄ってきた男に話しかけた。
「何かあったんですか?」
 二十代半ばと思しき男は、無言のまま車内を見渡していたが、やがて口を開くと、
「ここから先は通れない。戻れ」
 ぞっとするような冷たい声で言い放った。
「すみません。家族が待ってるもので、急ぐんですよ。なんとか通してもらえませんかね?」
 影松はざっくばらんな口調で話し続ける。雛田は気が気ではない。自分の側の窓から覗き込む男が、身振りでエンジンを切れと言っているようだ。雛田はわざと首を傾げて判らないふりをした。
「ダメだ」
 男の返事は変わらなかった。
「そうですか。じゃあ戻って下の道を行くことにしますよ」
「それもダメだ。長野に入る道はどこにもない」
 エッ? 雛田と影松は驚いて顔を見合わせた。
 その時だった。ドンと大きな音が雛田を飛び上がらせた。前にいた連中のひとりが、持っていたバットでボンネットを叩いたのだ。焚き火に照らされたボンネットが無惨にもへこんでいる。
「帰れっつったら素直に帰れよ!」
「てめえらも病原菌を持ち込もうとしてるんだろ!」
「テロリストどもが!」
 車の前に陣取った三人は、声からしてどうやら十代の少年のようだ。彼らは口々に悪態をつくと、持っていた獲物を振り回し始めた。
「判りました。引き返します」
 影松の態度はあくまでも冷静だ。そして雛田に向かって後退するように指示した。雛田は震える手でギアをバックに入れると、ゆっくりアクセルを踏んだ。
 車は徐々に男たちから離れていく。
 影松がそのままの姿勢で雛田に話しかけた。
「──いいか。俺がゴーと言ったら、右側の転けてる車の向こうに突っ込め。それで、そのまま全速力で料金所を突っ切るんだ」
 雛田は驚いて影松を見たが、彼は前を向いたまま不敵な笑いを唇の端に浮かべていた。
 男たちと四駆との距離が十メートルほどに開いた。
「ゴーッ!」
 否も応もない。雛田は反射的にギアをドライブに入れ、アクセルをベタ踏みした。
 四駆は大きな咆哮をあげ、野獣のように前に向かって突進した。
 男たちの何人かは、料金所に取って返そうと身体を反転させた時だった。影松はその瞬間を狙ったのだ。
 男たちの反応がわずかに遅れた。
 しかし、雛田と会話を交わしたリーダーと目される男は俊敏だった。彼はムササビのように跳躍すると、四駆の屋根めがけて、握ったバールを振り下ろした。
 ガツンッ!
 大きな金属音に雛田は首をすくめる。しかし怯んではいられない。アクセルを踏み続ける。四駆の鼻面が横転している車と道路の横壁の間に滑り込んだ。ガリガリガリ。ボディを擦る嫌な音に耳を覆いたくなる。それでも四駆のスピードは落ちない。さすがはカゲ。彼の読みどおり車一台の幅があったのだ。すり抜けると目の前に通行レーンがあった。しかしそこにもバリケードがある。「一気に突っ切れ!」と影松が怒鳴った。雛田は身体を縮めて衝撃に備えると、猛スピードのままバリケードに突入した。
 ドンッ! ガシガシッ!
 激しい衝撃が雛田を襲った。
 尻がシートから浮き上がったと思うと、次の瞬間、ウィンドウに額をガツンと打ち付けていた。
 雛田は、意識がスーッと遠のいて行くのを感じた。


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