Jamais Vu
-47-

真相
(17)

(わたしは“リアル”……)
 萠黄は周囲を見回した。
 一見、何の変哲もないモデルハウスのリビングだが、よく見ると、そこここに不自然なところがある。マントルピースの上の上品な置き時計は、文字盤が左右逆で秒針も“反時計回り”に動いている。
 壁に貼られたカレンダーや、住宅会社の販促ポスターの文字も裏返っている。
 これらはすべて“鏡像”だったのか。
(わたしの頭がどうかなったんじゃなかったんだ──)
 それでも「なぜ?」という疑問が次々に浮かぶ。
 疑問がさらなる疑問を呼ぶ。
「……元々の世界が正物質からできているのに対して」伊里江の説明が続いている。「鏡像宇宙は反物質でできています。物質と反物質は、出会った途端に大爆発を起こす、相容れない間柄なのです。
 ……ところが、先ほど種のことを“時限爆弾”と形容したように、リアルが鏡像宇宙に放り込まれても、すぐには爆発しません。生体エネルギーがリアルの中で十分満ちるまで、ある一定の時間が必要なのです。
 ……生体エネルギーが限界点を超えた時、エネルギーは放射され、反物質との間で反応を起こし、この鏡像世界全体は瞬時に爆発します。この爆発によってブラックホールが生まれ、元の世界を吸い込み、粒子レベルまで粉々に砕いてしまう──。
 ……北海道の時は、ひとりの子供の生体エネルギーで北海道の鏡像が生まれ、その爆発で正反両方の北海道が消えました。これがあの事件のからくりです」
 誰からともなくため息が漏れた。
 ほかにどうしようもないではないか。
「……反物質の中で、なぜリアルがすぐ爆発したりせず、平気でいるかというと、リアルは内包されたエネルギーによって守られているからだそうです」
 揣摩が両手で髪をくしゃくしゃにしながら、頭の中がこんがらがってきたぞと愚痴る。
「……つまり、高い生体エネルギーを持つがゆえに種として鏡像宇宙に送り込まれたリアルは、そのエネルギー自体に身体を守られている、という仕組みなのです。
 ……ただ、萠黄さんの場合は予測をはるかに超えていました。わずか一日半で、銃弾を跳ね返すほどのエネルギーを身につけていたとは」
 揣摩が目を丸くしながら、テーブルの上のひしゃげた銃弾を持ち上げ、萠黄の目の高さに掲げた。
 生身の萠黄は、至近距離から銃弾を浴びても傷一つなかった。伊里江の話を裏付ける、これほど説得力のある証拠は他にないだろう。
「……まあ私も殺人犯にならずに済んだわけですが」
「そう、それよ!」むんが声を張り上げた。「どうして萠黄を撃ったりしたのよ?」
「……当然でしょう。生体エネルギーが最大になる前にリアルの命を絶てば、爆発は未然に防げるのですから」
「あ──」
 なるほど、筋は通っている。でも──。
「でも、それじゃ、わたしや揣摩さんはヴァーチャルなの?」むんが問い質す。
「……そうです」
「わたしやこの世界は、昨日の朝、急にできたわけ?」
「……はい」
「それじゃあ、まるで」揣摩の声が虚ろに響く。「俺たちはクローン人間じゃないか!」
「……鏡に映った、ね」
「クソったれ、俺は絶対に信じないぞ!」
 揣摩は拳を握ると、鼻息荒く、伊里江に掴みかかろうとした。
「……私を殴るのは自由ですが、怪我しないよう注意してくださいね」
「ど、どういうことだよ?」
「……急ごしらえの鏡像宇宙はヤワなのです。ヴァーチャルの身体もしかり。うっかり怪我をすると、身体が砂状化しますよ」
 揣摩の顔が強ばった。横からむんが尋ねる。
「あなたはどうなの?」
「……言うのが遅れました。私はリアルです。
 ……兄を止めるのが間に合わないと知った時、例の『転送装置』を思い出したのです。マニュアルを見直すと、思ったとおりそれは鏡像宇宙に物質を転送する装置でした。時限爆弾のスイッチが押されるとセンサーが感応し起動するようになっています。私は装置が動き出すと同時に、装置に飛び込みました。
 ……気がつくとこの鏡像宇宙にいました。すぐ私は左右逆になった銃とパソコンを持ち、島を後にしました。準備していた地図も左右逆になっていたので、方向を間違えることはありませんでしたが、文字まで逆なのには少しばかり苦労しました。
 ……本土に渡ってからも、政府や警察のサーバーには侵入し続けていました。ところが兄の目撃情報は、滋賀県境を越えた辺りでプツリと切れていたのです。
 ……どうすべきか悩みました。すると次に飛び込んできたのは“リアル”発見の報です。政府もブラックホールの仕組みを知っていたことに驚きました。すぐに判ったのですが、先に兄が送りつけていた警告ファイルに付記されていたそうです。政府は兄の傲慢さのなせるワザだと受け取っていました。しかしあらかじめ知り得たからこそ、政府は特殊部隊を準備しておくことができ、リアル探索の態勢を整えておくことができたのです。
 ……萠黄さん、あなたの家を襲ったのは、政府が派遣した連中なのですよ」
 衝撃だった。萠黄を狙った迷彩服たちは、政府の回し者だったとは。
 母の仇は、政府なのだ──。



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