Jamais Vu
-46-

真相
(16)

「信じられない──」
 むんは自分の膝を叩いて抗議の意志を露わにした。
「どんな理由があろうと、許されることやないわ! 確かにお兄さんは誘拐されそうになったり、命を狙われたり、不当な扱いを受けたかもしれへん。けどなんで関係ない人たちを巻き添えにせなあかんのよ!」
「その通りだ!」横から揣摩も加勢する。「平和利用が目的だ? 笑わせるじゃないか。お前の兄貴のやってることは、国際指名手配のテロリストにも劣らない、いやそれ以上の悪行なんだよ!」
 伊里江は、非難の声を受け流すように、ひたすら無表情で宙を見つめていた。いやその視線の先には、萠黄のTシャツに空いた“穴”があった。
「……あなたがたの言い分は至極もっともだと思います。いくら本来の目的を取り戻すためとはいえ、大量破壊兵器にしてしまっては本末転倒も甚だしい。
 ……だから私は、兄の企みを阻止することを決意しました」
「えっ?」
 図らずも、聞く側三人の驚きの声がかぶった。
「──兄貴を裏切ったってのか?」
「……いいえ、間違いは諫めなくては、ということです。彼は警告と言いましたが、あれでは人工ブラックホールの威力を内外にアピールするようなものです。売り込みのための宣伝活動です。政府や警察などのサーバーを覗くと、北海道消滅以後、海外から潜入する武装集団が後を絶たないそうです。兄を拉致した者には、おそらく高額の報奨金が約束されているのでしょう。
 ……ここに至っては、躊躇などしている余裕はありません。残された道は──道を踏み外した兄を、私の手で葬り、研究データをこの世から抹消するだけです」
 言葉が途切れた。
 それを見計らっていたように、雨戸に何かがぶつかる音がして、四人は窓を振り向いた。風の勢いは依然変わらないようだ。
「……とはいえ、兄の居場所が判らないことにはどうしようもない。私はすぐに島にあるコンピュータをフル動員して、彼の次なる動きを予測しました。北海道の時には、ほぼ中心地にある大雪山にブラックホールを仕掛けられました。もしかしたらそこには何らかの法則があるのかも知れない。そう考えて、彼が島に残していったハードディスクや光磁気ディスクを片っ端からスキャンしたのです。
 ……あまり期待してはいなかったのですが、綿密なスキャンをかけた結果、消し残されたデータをいくつかリカバリーすることができました。ほとんどは私の理解を超える数式やら使途不明のデータばかりでしたが、中には設備のマニュアルのようなものも散見されました。
 ……設備というのは、兄が島で自作した研究設備のことです。どうやって入手したか、ですか? 私が全部やりました。インターネットを通じて購入したのです。購入先に使用目的を知られては困るので、部品単位で発注しました。受け取りは、島から舟で海岸に行き、そこで受け渡しです。もちろん裏ルートです。拳銃もそうやって仕入れました」
 萠黄を撃った銃だ。
「……設備の中に、未完成ながらやけに大きな容器を持つ妙な格好の機械がありました。マニュアルのタイトルに『転送装置』と明記されたこのマシン、大いに気になりましたが、当面は関係ないと思い、捨て置きました。
 ……やがて私は、兄が次に仕掛けるとしたら関西ではないかと思うようになりました。確信があったわけではありません。ただ彼の残したデータやファイルにやたら関西方面の地図や活断層に関する資料がありましたから。
 ……政府のほうでも、兄を捜すのに躍起になっていました。ちらほら目撃情報が届いていたようですが、残念ながら捕縛には至りません。しかし足跡を追うと、間違いなく日本列島を南下している。
 ……私は急ぎました。兄がXポイントにたどり着く前に迎え撃たねばなりません。
 ……しかし私はここで思いがけないものを発見したのです」
「えっ、なに?」とむん。
「なんだ?」と揣摩。
「な……」と萠黄。
「……おそらくここからの話は、これまで以上に荒唐無稽に聞こえるでしょう」
「能書きはいいって言ったろ」と揣摩。
「……そうでした。その消し残しファイルに書かれていたのは、私にも理解できるレベルのストーリーでした。人工ブラックホールがいかにして生成されるかという」
 伊里江の唇の端からまた血が垂れた。しかし誰も話を中断しようなどとは言わない。
「……用意された種となるべき生体、まずこの生体に巨大な圧力をかけるわけですが、その段階では生体は圧し潰れたりしません。生体は“向こうの世界”に放り込まれるのです。向こうの世界のことを兄は『鏡像宇宙』と呼んでいました」
「きょうぞう、って鏡の像?」とむん。
「……そう、英語でミラー・ユニバースともMUとも書かれていました。その鏡像宇宙では、すべてが鏡に映したように逆になっているのだそうです。
 ……つまり、生体が高圧によってある一線を越えるとき、さながらピンホールカメラのごとく、その穴を通して、こちらの風景を向こうに映し出すのです。逆向き、裏返しに。
 ……映し出すどころではありませんね。裏返っている以外は、本物と寸分違わぬ世界が突如現れるのです。向こうにある建物は左右逆になっている。人間も同じで左が右に、右が左に。ただ本人にはその自覚がないのですが。
 ……兄は、左右が逆になった人間を“ヴァーチャル”、種である人間を“リアル”と呼んで区別していました。
 ……萠黄さん、あなたがその“リアル”なのですよ」



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