伊里江は、三個目のあんパンを、最後の一切れまで口に入れると、喉を鳴らしながらコーラをあおり、いかにも満足といった感じでソファにもたれた。
それでも大事な双眼鏡は、食べている間も首から外さなかった。
「オイ、自分の食った分はちゃんと払えよ」
揣摩が眉をくもらせて迫る。
「……私に話しかけたのですか?」
「当たり前だろうが。他に誰がいる」
「この人たちが」と、萠黄とむんを指さす。
「アホか。彼女らは友達だからいいの」
「私は違うのですか?」
「俺には犯罪者を友達にする趣味はない!」
激する揣摩とは対照的に、伊里江はあくまでマイペース。シリアスな顔を崩さない。
「揣摩さん、わたしらの分はちゃんと払いますから」
と、むんが口をはさむ。
「あーもー、チャチャ入れないでくれよ」
揣摩は自分の長髪を荒々しく手櫛で梳く。何度もそうしているから、だんだんボサボサになってきた。
「とにかくこれじゃ話が進まないや。俺は黙ってるから、むんさん、司会進行を任せますよ」
「馴れ馴れしいわ。舞風さんって呼んで」
「──美人なのに、いちいちキツイよなあ」
何気なく放った揣摩の言葉が、萠黄の中に小さな鉛の重しを落とした。
むんとふたりでいるとこういう場面によく出くわす。母がそうだったし、近所のおばさん連もそうだった。みんな口を揃えて『むんちゃん、また綺麗になったんちゃう?』と誉めそやす。
昔はそれでも誇らしく思っていた。今でもそれは変わらないが。
むんは自慢の親友であり、うれしいときには共に喜んでくれ、悩んでいるときには的確なアドバイスをくれる。互いに切磋琢磨しあえる存在。……わたしのほうがお世話になりっぱなしだけど。
最近つい思ってしまう。むんを賛美する人って、横にいるわたしと比較してるんじゃないかな、と。
そうかもしれない。きっとそうだ。
だから複雑な心境に陥ることが、たまにある。
今みたいに、あこがれの揣摩さんにまで言われてしまうと、なんか、ちょっとみじめだ。
(──いや違う。みじめなのは、ウジウジこんなことを考えてる自分だ。こんな時に……ああ情けない)
その揣摩は、無言で伊里江の背後にまわると、再び彼の両手首を後ろ手に縛り上げた。
「本名は、伊里江真佐夫さん、でしたね」
「……そうです」
むんの訊問が開始された。萠黄は頭を降って、もやもやした考えを払拭する。
「年齢は?」
「……二十三歳です」
意外に若い。雨に降られて、煤けた髪もボロボロの衣服もズブ濡れのままだから、年齢を類推するのに困難ではあったが。
「職業は?」
「……研究者、と言いたいところですが、現段階ではプログラマーの端くれです」
「萠黄が生きていると困るって言うたね。彼女を撃った理由は?」
さらりと核心に入った。萠黄は息を飲んで成り行きを見守る。
「……萠黄さんは“時限爆弾”なのです。だから早期に解除する必要があります」
「???」
「……もし、このまま萠黄さんが生き続けていると、いずれ、この世界は崩壊します」
「──この世界って、つまり日本?」
「……いいえ、私は誇張して言っているのではありません。文字どおり、この世界全体です」
むんは絶句した。何を言い出すのかこの男は。そんな顔をして萠黄に顔を向けると、ひょいっと肩をすくめて見せた。
わたし達は狂人を相手にしているのかもしれない。
「……あなた達は、北海道が消滅した事件を知ってますね」
いきなり話題が飛んだ──ように感じた。
「もちろんよ」
「……あれはたったひとりの人間が“時限爆弾”にされて起きた事件なのです」
「──!」
いきなり度肝を抜かれた。
「ちょっと待って! あの事件は“人災”なの?」
「……そうです」
頭をハンマーで殴られた思いとは、このことだ。特にむんと揣摩は家族が被災している。驚きは萠黄の及ぶところではないはずだ。
「……事件は、ひとりの科学者によって引き起こされました」
「な、なんのために!」
横合いから揣摩も訊ねずにはいられなかった。
「……警告です」
「警告──」
「……要求を飲まなければ、今度は一大陸や一国家どころか、この世界ごと消滅させるぞ、という」
伊里江は淡々と言葉を続ける。
「……そして警告は無視されました。だから昨日の朝、この世界を消滅させる“時限爆弾”のスイッチが押されたのです」
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