瞼を開くと至近距離にあったのは、むんの泣きそうな顔だった。そして彼女の肩越しに覗き込んでいる揣摩のぽかんと開いた口。
萠黄は手足を伸ばして大きく欠伸をしようとした。しかしなぜか身体が思うように動かない。
「はえ、ふん、わらひふわふわ」
「アレ、むん、わたしフラフラ。そう言いたいんやね」
さすがはむん、すかさず解読した。
「はらだ、ひいれれう、ふちほうほはへん」
「からだ、しびれてる、くちもうごかへん、てか。──もーこのコはニヤニヤしてからに、人の気も知らんと〜。……どこも痛いところないの?」
萠黄は身体じゅうの関節を動ける範囲で動かしてみたが、何ら異常を感じなかったので、頷いて答えた。
むんは萠黄の両脇に腕を入れ、イヨッと掛け声一発、持ち上げると、そのまま萠黄をソファの上に座らせた。
くすぐったかったのか、萠黄の含み笑いが止まらない。
「気持ち悪いなぁ。アンタ、銃で撃たれたんやで。覚えてる?」
「ふたえた?」
「ホラあそこに」揣摩が指で部屋の隅を示す。「犯人は動けなくしてある。もっともヤツを倒したのは俺じゃないけどね」
揣摩は床の上でくの字に横たわっている侵入者に近寄ると、その腕を掴んで乱暴に立ち上がらせた。そして萠黄たちと向き合うように反対側のソファに突き倒した。
「オイ、お前もあの迷彩服どもの仲間なんだろ。連中は外でお前の連絡を待ってるのか? ン?」
侵入者の尖った顎をつかみながら、ドスの利いた声で尋問する姿は、刑事ドラマで主演した時そのままだ。
「……ち、違います」
後ろ手に縛られた侵入者は、必死の形相で言い返すが、声にまるで力がない。馬乗りになった揣摩にされるがままになっている。
「じゃあなんで萠黄さんを撃った?」
「………」
「言わないと、こうだぞ」
揣摩は侵入者の指をつかんで、軽く捻った。
「うぐ、ぐ……言います」
「そうそう、最初っから素直にそうすりゃいいんだよ」
科白まで萠黄には聞き覚えがあった。本当にドラマを観ているようだ。
「で、おたくの名前は?」
「……エリー」
(──エリー?)
それは、どうにか回転し出した萠黄の頭の記憶の片隅をチクッと刺激した。どこかで聞いたような──。
「誰がニックネームを言えっつったよ! 名前だ、名前!」
「……伊里江、です……伊里江真佐夫」
「イリエさんかい」
「伊東の伊、九十九里の里、江戸の江」
「あーーーーーーっ!」
尻を浮かせながら驚きの叫び声をあげた萠黄の身体から、一瞬にして痺れが消し飛んだ。
「萠黄の知ってる人?」
むんの問いに、視線を侵入者に向けたまま頷く。
「エリーの伊里江さん。上から読んでも下から読んでもエリーのイリエ」
それを聞いた揣摩は、泣き笑いのような顔で、
「その変態じみた名前を持つこの野郎は、萠黄さんの友達だってぇ?」
萠黄はしかし首を横に振った。
「友達というか、メールフレンドなんです。本名は聞いたことがあったけど、互いにほとんどハンドルネームで呼び合ってたから、ずっとエリーさんって呼んでました。これまで一度も直に会ったことなんかなくて、これが初めてなんです。……この人があのエリーさんだとしたらですけど」
「……私がそのエリーです……モエタン」
「──間違いありません……知ってるエリーさんです」
萠黄は消え入るような声で応えた。
「で、エリーさんはなんで萠黄さんの命を狙ったりしたんだ?」
揣摩は拳銃を持ち上げると、手の中でひらひらさせた。それを見た萠黄は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
アレでわたしは撃たれた……どこを?
「……萠黄さんに恨みがあったわけではありません」
腕と足は縛られたままで、きちんとソファに座らされた伊里江は三人に向かって話し始めた。彼の言葉遣いは至って丁寧だが、イントネーションはまるででたらめだった。棒読みのように抑揚がないと思うと、突然高く跳ね上がったりする。萠黄も彼の肉声は初めて聞いたが、吹き出しそうになるのを、むんと揣摩の真剣な表情に圧されて、なんとかこらえていた。
「……萠黄さんとは、数年前からメール交換をさせてもらっていました。ネット上の某プログラミング関係のサイトで知り合ったのですが、彼女の卓越した能力に興味を抱き、互いにアドバイスのやりとりを行うようになったのです」
「住所もやりとりしたの?」とむん。
「いいえ。ここ十年、ネット上のセキュリティは極めて堅固なものになりましたが、私のシステムをもってすれば調べるのに雑作はありません」
「そんなことより、なんで萠黄さんを殺そうとしたんだよ!」
妙に落ち着き払っている伊里江の態度に、苛立ちを抑えられなくなった揣摩は、声を荒げて噛みついた。
「……前置き抜きで、いきなり本題ですか?」
「ああ本題だよ、核心だよ!」
揣摩は威嚇するように顎を突き出す。しかし伊里江はあくまで姿勢を崩さない。
「……萠黄さんが生きていては、困るのです」
「どういうことだよ」
伊里江は悪びれたふうもなく、視線を前に戻すと、目を閉じ、そしておもむろに言い放った。
「……話すのは構いませんが、あなたがたに真相を受け入れるだけの覚悟はありますか?」
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