耳鳴りはしだいに遠のいていった。と同時に、焼け付くような全身の痛みも嘘のように引いていく。
(これが天に召されるってことなんかな──)
無彩色だった萠黄の頭の中の風景は、いつしかピンクのもやに包まれていた。
(すべての苦しみから解放されて、魂が肉体を離れ、頭の上に輪っかを乗せて、ふわふわ〜って浮き上がるんやろか)
痛みと入れ替わって身体の奥から湧いてきたのは、充足感とも満足感ともいえるような一種の快感だった。
(砂風呂にでも入ってるみたい。はぁ〜〜〜)
「どうなんだ、怪我の具合はひどいのかー?」
揣摩は手近にあったガムテープで手際よく侵入者の足首をグルグル巻きにすると、続いて両手を背中で縛り上げようとした。
「コイツなんで股間を押さえてんだ? おいコラ、手を離せ。まったく世話を焼かせやがる」
侵入者の首を両膝で押さえながら、力ずくで腕を揃えさせる。そうして手首を縛り上げながら、もう一度むんに向かっていらだつ声を放った。
「おい聞いてるのか? 出血はどうなんだ? ひどいのか?」
二度呼びかけられ、ようやくむんは我に返った。
(そや、今すぐ病院へ連れて行ったら助かるかもしれへん。もし銃弾が内臓をそれていたら──)
そう思うと、宙を漂っていた視線をあわてて親友の上に戻した。
(えっ?)
むんは信じられない思いで、萠黄の全身に目を走らせた。
(血の流れた跡が──ない)
じっさい穴の開いたTシャツにも、焦げ茶色のフローリングの床にも、赤い色は見あたらない。
(銃弾は、Tシャツを貫通して、そのまま身体に当たらずに飛び抜けた?)
「うふぅぅぅ」
そのとき萠黄の口から声が漏れた。
(生きてる! やっぱり外れて──なんて幸運!)
萠黄の声色は痛みに耐えているというより、気持ちよさげに聞こえた。
むんは萠黄の首の下に腕を回すと、ゆっくりと肩を抱き起こした。
「萠黄、萠黄」
むんはうれしさのあまり、涙と鼻水が頬を伝うのもかまわず、萠黄の身体を揺さぶった。
萠黄は目を閉じたまま、笑顔を浮かべている。
間違いない、無事だ!
コロン。
──異質な音がむんの耳を捕らえた。
床の上に転がり落ちたのは、鈍い光を放つ銀色の小さな金属のかたまり。
それは先端の潰れた弾丸だった。
いびつに変形した弾丸は、床の上では大して転がることもできず、蛇行するようにくねくねと転がると、すぐに動きを止めた。
むんは虫ケラでも見るように凝視していた。
(どういうこと?)
ワケも判らず、抱き寄せた萠黄の胸に顔を近づける。そこにはやはりぽっかりと、少し焦げた穴が開いている。
萠黄の頭を膝に乗せたまま、彼女のTシャツをたくし上げた。
そこには──。
赤く腫れた痕。軽い内出血。
それが左胸のブラの下、ちょうど心臓の辺りにあった。まるで『銃弾はココに命中しました』と主張するかのように。
いや、命中したのだ……はずなのだ。
「なんだよ、それー」
突然、素っ頓狂な揣摩の声が間近でした。侵入者を縛り上げた彼はいつの間にかそばに来ていたのだ。目は萠黄の胸に釘付けになっている。
「ナニ見てんのよ、失礼でしょーが」
むんはあわてて萠黄のTシャツを引きずりおろした。
しかし揣摩は驚きの表情のまま、ロボットのように首を巡らせてむんを見つめると、同じ言葉を口にした。
「なんだよ、それ」
「わたしに訊かれても……」
揣摩は床に屈み、足許に落ちている潰れた弾丸を拾おうとした。ところが、
「アチチッ」
と叫ぶや手をパタパタと振り、のけぞりながら後退すると、長い足をもつれさせ、ソファの上に仰向けにひっくり返ってしまった。
その様子にむんは思わず吹き出してしまった。瀕死の重傷でもおかしくない萠黄が無傷と知り、脱力感を感じていたこともあるだろう。それにしてもこの揣摩という男はかなりおっちょこちょいらしい。見た目はたしかに二枚目ではあるけれど。
ソファの上にむっくり起きあがった揣摩は、指先を点検しながら、
「俺さ、以前ドラマで刑事役やったときに、防弾チョッキの上から銃を撃たせてもらったことがあるんだ」
言いながら顎で床の上を指し示す。
「そのとき弾丸がこんなふうに変形してたのを覚えてる。本当に着用して撃たれたら、命は助かるにしてもかなり大きな衝撃を受けるんだよ。アザになったり、ときには骨折することもあるって」
きっとそうなのだろう。キャッチャーが胸のプロテクターで剛速球を受け止めるのとはワケが違う。
「……彼女は見えない防具でも付けてるのか? そんな話、あり得ないよな」
むんはおそるおそる右手で、Tシャツ越しに萠黄の胸に触れてみた。
熱い──!
まるでストーブに手をかざしているようだ。
でも肌は……あくまでやわらかい。
まぎれもなく女性の弾力ある柔肌。アクション映画のヒロインのように割れた筋肉すらない。もっとも銃弾を跳ね返す筋肉などマンガの世界でもお目にかからないが。
──だとしたら、この状況はどう説明がつくのか?
萠黄は、まどろみから今ようやく覚醒しようとしていた。
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