Jamais Vu
-33-

真相
(3)

 しまった!
 あわてて口を押さえたが一度出た言葉は取り返せない。
 萠黄は唇を噛みながら、心の中は後悔の念でいっぱいになった。
(むんと言い争うなんて、今まで一度もなかったのに)
 萠黄は考えるより先に頭を下げていた。
「ごめん」
「ごめんね」
 ふたりの声は合わせたように重なった。萠黄はそれに勇気を得て笑顔を見せようとしたが、泣き笑いのような表情になってしまった。
 むんは黒のパンツで隠した長い足を組み直すと、体裁を取り繕うような咳払いをして、
「ひどい言い方してしもたわ。許して」
「ううん、わたしも疲れてたから。それに……」
「ん?」
「怖いし」
「そうやね。萠黄の今日一日に起きた事件って、どれもこれも──」
「昨日からよ」
「……昨日からって、アレまだ続いてるん?」
「うん、世の中ひっくり返ったまま。もう何が何やら、謎ばっかり。いい加減にしてほしいわ」
 萠黄はぴったりと閉じられた雨戸に目をやった。外の雨音はさっきより勢いを増している。
 むんは優しげな声で、
「だからよ。だから解けそうな糸口があったら掴んでおきたいんよ。萠黄はわたしよりはるかに頭いいし」
「プログラミングだけよ」
「そう、論理思考がね。だから手を貸して。わたし、あの揣摩さんともう少しお話してみたい」
 むんはあくまで揣摩の好意を疑ってる。だからこそ自分を気遣って「問い質したい」とは言わず「話したい」と表現したのだ。
(むんはいつも冷静だ。これまでも、これからも)
 リビングの入口に渦中の人物が戻ってきた。携帯に話しかけており「それじゃ頼んだよ」と告げると通話を切り、大股の足取りでふたりのそばに寄ってきた。
「このモデルハウス、使えそうだ。水道も出るしガスも通じてる。風呂を焚こうか」
「今の電話はどなたと?」とむん。
「マネージャーの柳瀬さ。ほら俺の車を運転していた。やっと連絡が取れてね。ずっと警察に職務質問されてたらしい。俺が萠黄さんと逃げてるんだろうって警察がなかなか放してくれないと嘆いてたけど、もうすぐ解放されるだろうって。もちろん俺たちが逃げてここにいることはしゃべらないよう言い含めておいた」
 揣摩は向かいのソファに背中からダイヴすると、手足を伸ばして「疲れたー」と一声叫んだ。
「揣摩さん」
 むんが震える声で、口を開いた。
「どうして、こんなにまでして萠黄を助けてくれたんですか?」
 揣摩はエッと声をあげると、ソファの上に起きあがった。
「どうしてって……入ったばかりの大学で案内してくれたし、俺のファンだから大切にしないといけないし」
「萠黄に聞いたんですけど、あなたって国民的なアイドルだそうですね。そんな超有名人がたったひとりのファンのために?」
「いけないかな」
「いけなくはありません。萠黄にすればおあつらえ向きの助っ人だし」
 揣摩はわずかに眉をひそめた。
「何が言いたいの?」
「素朴な疑問です。売れっ子スターのあなたが、会ったばかりのファンのために貴重な時間を割いてまでして、逃げるのを手伝ってるのが腑に落ちないんです。さっきのように命がけで助けてくれたり」
「目の前で困ってる人がいるのを、放っておけないだけだよ」
「警察に追われても?」
 むんのそのひと言に、揣摩は初めて視線を逸らした。
「あなたのような芸能人が一番嫌うのがスキャンダルですよね。ましてや警察沙汰なんて起こしたくないはず」
 むんの声は知らず知らず、険を含んでいた。
「マネージャーさんは気が気じゃないと思いますよ。警察はきっと萠黄やパトカーを攻撃した連中とあなたがつながってるんじゃないかと疑ってるでしょう。ふつうならすぐ警察に連絡を取って、萠黄の身柄の安全を要請するのが当然だと思うんですけど」
「だから警察はアテにならないって!」
「じゃあ、あなたに警察以上のことができるの?」
「デキる!」
 叫ぶと揣摩は立ち上がり、部屋の中を歩き始めた。
 むんと萠黄は顔を見合わせた。
 揣摩は隅に置かれた姿見の前で立ち止まり、しばらく顔にかかる前髪をいじっていたが、やがて大きく息を吐くと振り向いた。
「じつは今朝方、電話がかかってきたんだよ。萠黄さんを命に代えても守れってね」
「わたしを……誰が」
 いつしか萠黄の喉はカラカラに渇いていた。
「山寺鋭一。内閣総理大臣だよ」



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