Jamais Vu
-32-

真相
(2)

 カンカンカンカン。
 穏やかな夜の空気を無機質な音が切り裂いた。
 それは遮断機の鳴らす警報に過ぎなかったが、瞬間、萠黄の身体は硬直し、踏切の真ん中で立ち往生してしまった。
(この音とリズム。昨日の朝の頭痛とそっくりや……)
 カンカンカン。音は鳴り続ける。
 ふと視界の隅に、ふたつ並んだ灯りが映った。
(頭痛の直前、これとよく似た夢を見たなぁ……もしかして世界がひっくり返ったのと関係が──)
 萠黄は迫ってくる灯りをぼんやり眺めていた。
「アブない!」
 背後から鋭い叫び声がしたと同時に逞しい腕が腰に巻き付き、萠黄の身体はそのまま線路脇の窪みへと転がり落ちた。間一髪、電車が横を通過していく。
「バカッ、電車に向かってってどうする!」
 轟音の中、揣摩は腕の中の萠黄を激しく非難した。
「ご、ごめんなさい」
 謝りながらも萠黄はどぎまぎせずにはいられなかった。いま自分は揣摩太郎に抱かれている。憧れの人の腕の中に。
 電車はブレーキを軋ませながら踏切を通過していく。萠黄はぞっとした。あのまま線路の上にいたら──。
 素早く身を起こした揣摩は、
「マズいぞ、電車が止まっちまう。騒ぎになったらヤツらに見つかる!」
 揣摩は立ち上がると、萠黄を抱きかかえたまま線路の外へと向かった。しかしそこには萠黄の背丈くらいの柵が行く手を塞いでいた。
「萠黄!」
 柵の向こうでむんが呼んだ。
 背後で電車の乗務員扉が開く音がした。踏切まで戻っている暇はない。揣摩はリュックを萠黄の両肩からはがすと、
「受け取れ!」
と柵外のむんに放り投げた。
「登るんだ」
 言いながら揣摩はひらりと柵の上にまたがり、萠黄の手を取って引き上げようとする。
「おおーい、大丈夫かー」
 線路に降りた乗務員が懐中電灯の光を柵へと向けた。しかしその時にはもう三人の姿はどこにもなかった。

 揣摩が連れてきたのは一軒の家だった。彼はふたりに勝手口で待つよう言い置くと、庭の奥へと入っていった。
 日はとっぷりと暮れ、街灯の光が雨に鈍く煙っている。反対側の庭に目を凝らすと、四角いものが雨に打たれている。
「ねえ萠黄。アレ、看板やない?」
「ウン」
 遠くで電車発着のアナウンスが聞こえる。隣駅の近鉄学園前駅は目と鼻の先のようだ。
「たしかこの辺の家って」
 カチャッ。勝手口の扉が内側から開き、揣摩が顔をのぞかせた。
「いらっしゃいませ。お入りください」
 妙に得意げな顔で、おいでおいでをしている。
「なあ、揣摩さんやったっけ。ここってモデルハウスやないの?」とむん。
 駅近くのこのあたりは『学園前ハウジングフェア』と銘打った総合住宅展示場になっている。
「そうだけど、何か?」
「何かやあらへんよ。不法侵入やん」
「非常時だからカタいこと抜き。さあさあ濡れるから」
 むんは厳しい顔をしたが、萠黄が恨めしげな目で見上げるのでしかたなく中に入った。
「灯りが漏れるといけないから、電灯はむやみに付けないように。こっちのリビングは雨戸が閉まってるから大丈夫だろう」
 室内はひんやりとしていて、萠黄はようやく人心地つけた気がした。
「さっき俺が通りかかったら、社員さんがちょうど鍵を閉めて帰ろうとしててさ。でグルリと見て回ったら二階の窓が半開きなのを発見してね。天は我に味方したーって思ったよ」
「それじゃ二階から入ったんですか?」
「そうさ。木から屋根にひらりと飛び移ってね」
「……カッコいい」
 萠黄の目はすっかりハート形になっている。
「家の中の様子を見てくるから休んでて」
 揣摩はリビングを出ていった。萠黄はその後ろ姿を潤んだ目で見送ったが、むんはハーッとため息をついて、ピンクのソファにどすんと腰をおろした。
 リビングにはテレビやサイドボードなどがソファを囲むように置かれていて、シャンデリアめいた照明が部屋の隅々まで照らしている。
「ねえ、お母さんが亡くなったって本当?」
 萠黄はむんの隣に座ると、うんとうなずいた。
「話してよ。今日どんなことがあったのか」
 萠黄は、揣摩の車で帰宅してからのことをかいつまんで話した。さすがに母親の身体が砂になって砕けたところではむんの顔は青くなり、パトカーが攻撃を受けた話に至っては信じられないと首を振った。
「わたしの空想やないよ。ホンマやねんから」
「でもなんで萠黄が狙われてるんよ?」
「知らーん」
「突拍子もない話ばっかり。大怪我した人がみんな砂になってしまうやなんて、SFやわ」
 萠黄は変わり果てた母の顔を思い出すと、全身が粟立つ思いがした。じっさいにその目で見ないことには信じられないに違いない。
「萠黄、ウチに来ぇへん?」
「むんのアパートに?」
「せまいけどここより安心できると思うよ。あんなよく知らん人に付いていくより──」
「揣摩さんのこと、悪く言わんといて!」



[TOP] [ページトップへ]