携帯画面の放つ鈍い光が、部屋の一角をぼんやりと浮き上がらせる。壁に貼ったポスターの文字が逆に読めるのも見える。萠黄は自分が裏返った世界にいるという現実感にあらためて引きずり戻された。
彼女はよけいなものが目に入らないよう、必要以上に顔を画面に寄せ、話しかけた。
「モジ……モジ……」
“モジ”とは彼女のPAIの名前。
呼びかけが聞こえたのか、画面の中央で、いびつな岩石のように鎮座していた物体がわずかに動いた。
突起状のものが岩石の表面からにょきっと現れた。それはどうやら手のようで、肉球らしきものが見える。岩石はポリボリと音を立てて自らの表面を掻くと、萠黄に対して一声返した。
《なんや?》
吐き捨てるような無愛想な返事。萠黄は気にせず微笑みながら、
「モジ、起きて。話したいことがあるんやけど」
《も〜、めんどくさいのぉ〜》
モジと呼ばれた物体は身を起こした。そして萠黄に顔を向けた。
《なんやねん、もえぎ〜》
怪獣ゴジラ。しかも二頭身。それがモジの正体だ。それはまさに、かつてスクリーンの中で暴れ回った怪獣のSD(スーパー・デフォルメ)版で、背中を縦に走る背びれが雄々しく揺れている。相手を威嚇する大きな二つの目はギロリと光り、突き出た両顎の間には鋭い牙が並んでいる。
萠黄のゴジラ。モ・ジラ──“モジ”である。
もちろん萠黄が作った3DCGの映像だ。アニメチックな輪郭線も加味されていて、強面(こわもて)のキャラなのにどことなくコミカルさが漂っている。
《せっかくよぉ寝とったのに》
モジは短い両手で瞼をゴシゴシとこすった。その仕草が存外に可愛らしいことにモジ当人は気づいていない。萠黄は思わずくすっと鼻で笑った。
《あ、笑(わろ)たな、ナニがおかしいねん!》
スゴんで見せても全然怖くない。モジは勢い余って画面から飛び出してきた。ふつうPAIが自ら立体画像となって画面から出てくることはない。モジは萠黄が長年培(つちか)った知識を総動員してフル・チューンアップされた強力なPAIだ。だからモジの知能レベルは、市販のPAIとは比較にならないほど高いし、当然会話能力もそこらへんのPAIが束になったって敵わない。
「笑てへんよ。それよりモジ、むんにメール書きたいから手伝(てつど)うて」
《そんなことで、ひとを煩わすなや〜》
観念した顔で座り直したモジは、あくびを噛み殺しながら、ドーゾと短い手を出す。いかにもエラそうだ。
「んーとね“むん、今日はいろいろ迷惑かけてしまってごめんなさい。昼寝が効いたせいか、気分はだいぶよくなりました。まだ右と左は逆転したまんまだけどね……。明日起きたら元通りになってたりするかもしれません。ちょっとだけ期待してます。もしよかったら朝、立ち寄ってください。甘えてばっかりでごめん”……」
《──そんだけ?》
モジはぞんざいな口調で訊ねてくる。
「うーん、もうちょい待って。今のじゃわたしが一方的に言いたいこと言うてるだけの気がする。むんへの感謝の気持ちが足らへんかも。そう思わへん?」
《さあねえ、別にエエんちゃう?》
「アンタ、テキトーに返事してるなぁ」
《そんなことより、右と左が逆転したまんまって、どういうことなん?》
モジは好奇心旺盛だ。萠黄は彼に顔を寄せる。
「わたしの顔見て、どっかおかしいと思わん? 言うとくけど、不細工とかそういうのと違うよ」
《先に言われてもぉたがな》
萠黄はさらに顔を近づける。モジも鼻面をこすりつけるほど接近してくる。ほとんどにらめっこだ。
《……肌荒れ気味》
「アホッ!」
萠黄は携帯をぽーんと机に放り投げた。
《コラなにすんねん!》
「ふん、痛くもないくせに」
《びっくりするやないか……言うてほしいんは、ホクロの位置が左右入れ替わってるってことか?》
萠黄はあわてて机に這い寄ると、顎を天板に乗せて、
「アンタにも判った?」
《判らんでどないする。毎日顔突き合わせとんのに》
「はあー。モジにまでバレたんじゃ、母さんと顔あわせるわけにはいかんなぁー」萠黄は肩を落とした。
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