Jamais Vu
-15-

敵と味方 I
(4)

 むんは大きな声で喜びを表し、萠黄を抱きしめた。
「いやあお客さん、今回は大仕事でしたよー」
「ねえねえ、この新しい子って、前からいる子のコピーやないの?」むんがはしゃいだ声をあげる。
「違いますねー、まったく別人格」
「うう、スゴい」
「話しかけてあげて」
「うん……」
 むんは両手で包んだ携帯を目の高さに押し上げると、「もしもし」と声をかけてみた。
《こんにちはー》携帯から新しいリスが、玉の転がるような声で返事をした。《あなたがむんちゃんですね?》
「うわわ、萠黄、この子もうわたしのこと知ってるで」
「そこだけプログラムに書いといた」
「へえ」再び携帯に顔を向ける。「ねえ、新入りさん。あなたのお名前は何ていうの?」
《ボク? 名前はまだないよ》
「あら、あなた男の子やね」
《そうだよ。むんちゃん、お名前付けてよ》
「わたしが? ……それじゃね“もん”にしましょ」
《“もん”。いい名前だね。ありがとう》
 するとそれまで脇でやりとりを見ていたもう一方のリスが前に出た。
《ようこそ、もんちゃん。ワタシは“みん”よ》
《みんちゃんは女の子だね。ボクのお姉さんかな》
《そうね、じゃあ今日からお姉さんになったげる》
《よろしく、みんちゃん》
《よろしく、もんちゃん》
 二匹は液晶の中で握手を交わした。
 むんは携帯を目の高さに掲げたまま、萠黄に顔を向けた。「すごいよ、この子ら、自分らで勝手に自己紹介してやる。萠黄ぃ〜、やっぱりあんたって天才やわ!」
 むんはもう一度、萠黄を抱きしめた。すると二匹のリスもそれを見てハグし合った。

 携帯電話でペットを飼うのは、5年ほど前に新しい機能として誕生した。当初は昔流行った“たまごっち”のようなものだったが、徐々に改良を重ね、簡単な会話を人間と交わしたり、ものを覚えたりすることができるようになった。呼び名も《携帯AI》が正式名だが、今は通称PAI(Personal Artificial Intelligence)と呼ばれる。こうして“パイ”は誕生した。
 近年、PAIは好きなキャラクタを選べるようになって爆発的に広まった。特に動物を模したものが圧倒的な人気を誇り、犬、猫、小鳥などの種類別、描かれる絵のタッチ別と、豊富な選択肢がそれぞれ商品となって流通した。絵心のある者はPAIのキャラを自作した。ただし最近普及著しいホログラフィック液晶で使うなら、三次元CG画像として用意する必要がある。
 萠黄はむんといっしょに芸術学部に進学したほどだから絵心には少なからず自信があった。さらに萠黄はむんと違ってコンピュータに精通していた。彼女の書棚を眺めれば、並んでいる本の半分はコンピュータ関係である。家にこもりがちという性格もうまく合ったのかもしれない。彼女は三次元CGソフトを駆使してPAIキャラを作ることができるのだ。現にむんの一匹目のリスのPAIキャラだって萠黄の作だ。ショップにオーダーすれば五万円はかかるだろう。
 萠黄のすごいところはそれだけにとどまらない。彼女はPAIの知能を飛躍的に向上させることに成功した。独学だというから舌を巻く。市販されているPAIはそこまでのレベルにまだ到達していない。彼女いわく、無から作り上げたわけじゃない、インターネット上に散在しているPAI用のサブルーチンをかき集め、いいところばかりを選び出し、ひとつにまとめただけだという。それにしてもプログラミングのセンスがなければできない技だ。
 高三の時、むんを含めて、萠黄の担任も周囲の誰もが、萠黄は情報系の学部学科に進学すべきとアドバイスした。しかし萠黄にその気は全然なく、ただむんに付いていくことしか考えていなかった。皆は彼女の才を惜しんだが、むんは萠黄の肩を持って周囲を説得する側に回った。今の時代、芸術学部だってコンピュータを使うことはある。そのうち彼氏ができれば、むんにべったりということもなくなるだろうし──。

《むんちゃん、むんちゃん》
 えっ。むんは驚いて萠黄から身体を離した。
「みんちゃんが呼んでるよ」と萠黄。
 あわてて携帯に目をやる。
《むんちゃん、急がないとバイトに遅れるよ》
「……ああ、もうこんな時間。ヤバい!」
 むんはバッグを引き寄せると、萠黄にもう一度礼を述べた。「ほんっとにありがとね。ものすごうれしいわ」
「いえいえ、バイトがんばってね」
 むんはプチシューを一つつまんでポイッと口に放り込むと、軽く身支度して部屋を出た。
「あわただしくてごめんな。また電話するわ」そしてリビングに向かって「萠黄のお母さん、お邪魔しました」。
 あらもう帰るの? と母親が見送りに出てくる気配がしたので、萠黄はあわてて扉を閉めた。
 外が静かになると、萠黄は机の上のコーヒーに手を伸ばした。中味はすっかり冷めていた。


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