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-13- 敵と味方 I (2) |
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ハモリさんが亡くなった──。 萠黄はまじろぎもせず虚空を見つめた。 どこか遠くでサイレンの音がする。また救急車が走っているのだ。その音がイヤになるくらい萠黄の心をかき乱し、不安を煽った。 萠黄は“お笑い”が大好きだ。ごひいきの芸人は山ほどいて、そんな彼らのテレビ&ラジオ出演をチェックするのが彼女の日課になっていた。 特に高校生時代、学校が休みがちになると、昼間から家でお笑い系の番組を観る機会が増えた。中でもお気に入りだったのが『ハモっていいとも』だ。ハモリの美声とハズし気味のギャグにはずいぶんと現実逃避させてもらった。 そんなハモリさんが??? 「テレビのニュースでやってるかもよぉー」 娘の気も知らず、母の脳天気な声が廊下に反響する。 むんが扉のところで萠黄を振り向いた。 「どうする?」 「ん……観る」 答えると萠黄はベッドを這い出した。その時になって自分がちゃんと寝間着に着替えていることに気がついた。むんが着替えさせてくれたのだ。ああやっぱりふがいないなあ、わたしって。 リビングはコーヒーメーカーから溢れるかぐわしい匂いで満ちていた。萠黄はリモコンを取り上げるとスイッチを押そうとした。しかしオンオフボタンがいつもと反対側に付いていることに気づき、いまいましい、と憤慨しながら指を滑らせてボタンを押し直した。テレビは鈍い音をたて、液晶画面が明るくなった。 いきなりレポーターらしい女性の声が流れてきた。 「──再びアルタ前です。訃報を聞いて駆けつけたファンの方々で、ここはご覧のように溢れかえっています。新宿東口付近は、後から後から押し寄せる人波で完全に埋め尽くされています。誰もがハモリさんの突然の死を悼んでいます。 あ、お待ちください! 今、アルタ壁面の大型ビジョンにハモリさんの姿が映りました。在りし日のハモリさんです。聞こえますでしょうか、ファンのみなさんのハモリコールです。悲しいコールです──」 画面がスタジオに切り替わった。沈痛な面もちの男性キャスターが話し始める。 「以上、現場の新宿からでした。──何度もお伝えしていますように、今日午後三時過ぎ、タレントのハモリこと森葉一芳さんが、楽屋で首を吊っているのが発見されました。すでにハモリさんは死亡しており、自殺と断定されました。 ハモリさんは、今日昼放送された番組『ハモっていいとも』の本番開始直後、カメラの前で意味不明の言葉を口走り、共演者に暴行をはたらくなどの姿が放送されました。番組は即時中断され、ハモリさんはマネージャーを通じて本番中の失態を陳謝し、《疲れがたまっていたせいでご迷惑をおかけしました。私のしゃべった内容は全く意味がありません》とのコメントを発表しました。その後、楽屋で横になりたいという本人の希望で、関係者はしばらく様子をみようということになったのですが、約2時間後、ハモリさんは変わり果てた姿で発見されることになりました」 画面には、カメラに噛みつかんばかりに身を乗り出したハモリの写真が映し出された。さすがに動く映像は差し障りがあったのだろう。写真は次々と切り替わっていく。混乱していくスタジオの有り様が手に取るように判った。 再びキャスターが登場した。隣には有名な芸能レポーターがいる。キャスターが口を開いた。 「梨之元さん、ハモリさんは最後の出演で意味不明の話をされたとのことですが、どのように思われますか?」 梨之元は自分の太い眉を指で掻きながら、 「“今朝起きると、右と左が逆になっていた”と言った彼の真意が何なのか、私にも判りません。溜まりに溜まったストレスがあらぬ妄想を産んだとしか言いようがない……。責任感の強い彼でしたから自分のとった行動を激しく反省し、あのような悲劇的な形でけじめをつけたんじゃないかと、もはや推測するしかありませんね」 萠黄は両手で口をふさいで、あげそうになった声を必死で押しとどめた。 ハモリさんも左右が逆だと? しかも今朝起きてから? わたしと全く同じやないの! 彼女は画面に映るハモリをじっと見つめていた。彼のマイクを握る右の手を。 |
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