Jamais Vu
-2-

異常な朝
(1)

 痛ッ!
 イタタタタッ。
 何これ──頭痛?
 ひどーい、まるで頭の中が建築現場みたい。
 大型ハンマーが束になって脳みそ、打ち付けてるー。
 ガンガン響いて息もできない。
 目ぇも開けられへんやん!
 なんでこんな急に。
 そりゃ日頃から全然言うこと聞いてくれへんおつむやけど、こんな拷問みたいなの初めてやわ。
 うーーーー、いつまで続くんかなー。
 ああ、わたしったら、いつの間にかタオルケットに噛みついてたわ。ちょうどミッフィーちゃんのイラストのお耳のとこに。恨まんとってなー。
 ………。
 あぁー、少し痛みが引いてきた。
 永遠に続いたらどうしようかと心配した……。
 一時間も我慢してたような気がするけど、たいがいこんなのって、1分か数十秒ぐらいのこと。
 まだズキズキと痛むけど、ハンマーだったのが、小学校の時の先生の拳骨くらいになってきた。あともう少しの辛抱や。
 タオルケットから口を引き離す。薄目を開けてみる。
 なんや、まだ夜明け前やん。
 頭痛に邪魔された分、もう一眠りさせてください。お願いします、神さま仏さまミッフィーさま。

 目覚まし時計が、りんりんと鳴ったようだ。
 誰かが「起きなさい」と声をかけたようだ。
 まどろみの中、どちらも遠い汽笛のように、おぼろに聞こえた。
 ようやく、ぱっちりと目覚めた両目に飛び込んできたのは、カーテン越しの残暑厳しい陽光に照り映えた、乳白色の天井だった。
「しまった、起きなきゃ!」
 萠黄(もえぎ)は、タオルケットを蹴り飛ばすと、反動をつけてベッドから降りようとした。
 ドンッ。彼女の行動は正体不明の障害物によって阻まれた。つまり、膝をイヤというほど激しく壁にぶつけてしまったのだ。
 萠黄は跳ね返されてベッドの上に大の字になった。
「……だ、誰よ、こんなとこに物を置いたりして」
 彼女は膝を左手でさすりながら、右手をベッドの右側に伸ばした。
 確かにそこには厳然として障害物が存在した。しかし指の手触りがさらに彼女の頭を混乱させた。
「これって、壁紙じゃないの……」
 急におかしさが込み上げてきた萠黄は、お腹を抱えて笑い出した。わたしってば上下ひっくり返って寝てたんや。あはは──げっ、てことは北枕? ヤバヤバ。
 萠黄はベッドの上に上体を起こすと、今度はゆっくり、壁と反対方向に足を向け、カーペットの上に降り立った。光に誘われるように窓辺に進み、カーテンをサッと開いた。細かな波ガラスなので外の景色は見えない。彼女の住む家はマンションの六階であり、窓の外はすぐ共用通路に当たっているからだ。
 萠黄は、大きなあくびを噛み殺しながら室内を振り返った。その瞬間、彼女は自分の目を疑った。
 部屋は、間違いなく自分の部屋である。
 ベッドがある。中学の頃から使っている勉強机がある。その脇にはパソコンデスクもある。ファンシーケースもある。お気に入りのトートバッグも、くまのプーさんのぬいぐるみも、オレンジ色の小銭入れも!
 全部、見慣れたもの、使い慣れたものばかりだ。なのに、この違和感はどうだろう。
 萠黄は一瞬、笑いそうになったが、やがて背中から迫り上がってきた恐怖の波に、全身が総毛立った。彼女は窓に寄りかかりながら、ずるずるとカーペットの上に座り込んでしまった。
 まぎれもなく自分の部屋。
 まぎれもなく普段使い慣れたものばかりというのに。
 そのすべてが、まるで鏡に映したように“逆”、つまり、左右が正反対になっていたのだ。


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