− 第1回 −
第一章 溝の帯 1
 ツンと鼻を刺すようなにおいがした。
 少し湿り気が含まれている。大きな石をひっくり返したときに立ち昇るようなにおいだ。僕は反射的に身をかがめた。頭の奥がやたらにチカチカする。
 ンモロモロモロモロモロ…。
 遠くで太鼓を叩くような音がしたかと思うと、突然、地面が大きく揺れた。体が宙に跳ねた。あわてるな。僕は自分に言い聞かせながら、着地するや、両手を広げて地面に腹這いになった。
 ギャアギャア喚(わめ)く鳥の声がする。顔を上げると、いつもはきれいな群れで飛んでるのに、やたらめったら、バラバラの方角に飛んでいくのが見えた。その空は真っ赤だ。
 そう、時刻はちょうど夕暮れで、僕はお腹がすいてきたので、遊ぶのをやめて家に帰る途中だったんだ。でもあの真っ赤さは普通じゃない。毒々しいって言葉がピッタリくるような色合いだ。
 ンモロゴロゴロゴゴゴゴゴ。
 揺れはさらに激しくなってきた。僕がいる場所は、ちょうど沢のようになっていて、道が両側からせり出した崖に挟まれている。崖の上に目を向けると岩のかけらがパラパラと落ちてきた。
 ここは危ない。危険すぎる。
 あわてて周囲に目を走らせた。記憶ではたしかこの辺りにあったはずだ…あった! 
 20メートルほど離れた場所に大きな老木が立っている。その木はずっと以前に生きることをやめたのに、変わらずそこにいて、地上に露出した根っこが出っ張りになって、雨やどりするのにちょうどいい空間になっている。
 僕は手で頭をかばいながら老木をめざして駆けた。途中でひとかかえもある岩が左脇をかすめて落ちてきた。ヒヤッとしたけど、無事に根っこの下にたどりついた。
 揺れはまだ続いている。これ以上ひっくり返らないように、手頃な根を両手でつかんだ。
 何かが落ちる音、転がっていく音が続いている。根っこの隙間(すきま)から、砂ぼこりが舞い込んでくる。
 その時、悲鳴が聞こえた。逃げ惑ってる人たちが近くにいるんだ。視界が悪くて姿は見えないが、安全な場所が見つからないんだろう。
 ざまあみろ、と僕は心の中で叫んだ。
 あんな奴らは皆、岩や木の下敷きになってしまえばいいんだ。怖い思いをすればいいんだ。泣き叫んで命乞いすればいいんだ。
 何人かがこちらに駆けてきた。と、地面が突然裂け、彼らが飲み込まれた。僕はアッと叫んだ。
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