あとがき  (本編の内容に触れています。どうか本編をお読みになったあとで、ご覧ください)

 第一作『きっかけの一歩』が完結しました。
 最後までお付き合いいただき、心から感謝いたします。

 生まれて初めての小説なので、力加減が分からず、どこまで準備すればいいのか判断できず、未熟さも相まって、かなりお目汚しになってしまったことを心配しています。

 第一作の目標は「最後まで書きとおす」の一点に尽きました。作品は完結してこそ評価されるもの。途中で悩むことはあっても決して投げ出したり立ち止まったりしないよう、一日に最低一回分の原稿は掲載することを心掛けました。ちなみに一回分の分量は新聞の連載小説を参考に、同じ行数、同じ文字数に設定しました。一日の執筆ノルマを課したことは、元来ものぐさな私に合っていたようです。おまけに新聞小説のような縦書きの体裁をとったことは、本当に連載小説を書いてるような気がして、いい張り合いになりました。

『きっかけの一歩』の着想は、本サイトを開いた時にはまだありませんでした。以前から温めていた2、3の中から選ぶつもりでしたが、どれも思うように構想がまとまらず、それならいっそ自分自身のスタートに相応しい作品をと、一から考えました。そのため当初は『スタートライン』という仮タイトルが付けられていました。スタートならいっそ人類のスタートの物語はどうだ?というところからアイデアを広げていったわけです。

 執筆前のメモを見ると、章立ては三つ。
 第一章 四百万年前(明記しない)
 第二章 現代
 第三章 四百万年前
となっていました。主人公の年齢は八歳だったり、実家には母親の兄夫婦がいて、その子供つまり甥には頭が上がらないなど、本編とは違う設定もありました。アフリカも大地溝帯も出てこない。
 だいいち設定メモの分量が少なすぎる……。当初は小手調べのつもりだったので、三十話ぐらいで終わる短編を考えていました。結果はご覧のように6倍近い長さになってしまいました。

 長くなった理由を説明させてください。
 書き進むうち、自分の中で「ライヴ感覚をだいじにしよう」と心構えが醸成されていきました。頭の中であれこれ考えるより、原稿用紙のマス目を埋めながら、その時々に必要と思ったことを書く。この人物はこう言いたいだろうと思えば発言させるし、何か足りないと思えばその場の情景を浮かべて何かの登場を待つ。いや実際は待つより先に降りてきました。書いてくれ!という感じで。

 その中で、どんなことを書きたいのか?どんなことを書くのが得意なのか?という疑問をつねに自分に向けて投げかけていました。さらに、自分にはどんな執筆スタイルが合っているのだろう、どんなバランス感覚を持っているのだろうと、自分の頭の仕組みを解析する日々でもありました。

 ライヴ感覚とは、悪くいえば行き当たりばったり。だからメモられた設定はどんどん変わっていきました。第四章を書く直前、いくらライヴ感覚とはいえラフな設定では結末がおぼつかないと心配になり、ストーリーの細かい流れを整理しました。以後はほとんどこれに忠実に書きました。それでもタンクの名前はまだなく、キョウスケ&ムネオ&サユリに至っては第六章の山崩れの際に「三人衆あえない最期」と書かれています。
 他にも小説のいくつかの山場を大きく変更しました。結果オーライとはいえ、設定が変わるのは最小限度に止めなければ、破綻したとき収拾がつかなくなるのは自明。反省すべき点です。

 反省点を挙げれば、際限なく出てきます。
 一話分の文字数は諸刃の剣となり、張り合いになる反面、縛りになることもありました。どうしてもその中でまとめてしまう癖が出て、無理して文章を詰め込んだり、端折ったこともあります。

 語彙の面では、言葉を知っているからといって、使えるとは限らないなと痛感しました。振り返れば、あそこはこの言葉が良かったのでは、この表現が良かったのでは、と思うことばかりです。稚拙な箇所も多々あり、まだまだ未熟です。一層の精進が求められます……。

 ひとつ言い訳させていただくと、十歳の少年を主人公にしたことが制約になりました。言葉遣いにブレーキをかけ、書き直すこともたびたび。途中から、この作品はジュブナイル(少年少女向けの物語)と割り切りました。それでも中途半端になったことは否めないでしょう。
 ジャンルという点からも、この作品をひと言で表すのは難しいかと思います。SFなのかサスペンスなのか冒険ものなのか。私の中では「ひとりの少年の成長の物語」ということにして書き進めていたのでした。

 未処理の伏線、説明不足な点もいくつかあり申し訳なく思っています。後半に突入した頃、アッと声をあげるほど驚いたことがあります。「博士はどうやって生活してるの?」。考えてませんでした。恥ずかしい。なので「じつは親の莫大な遺産の上にあぐらをかいてる穀潰しサイエンティスト」という説明をどこかに突っ込もうとタイミングを狙っていたのですが……。

 しかし小説を書くという作業が思わぬ副次的効果を生むことを知りました。何のことはありません、書くからには調べないといけないということです。今回はアフリカの地理、人類の祖先に関する文献をいくつか読みました。とくに人類史については学説がいまだ諸説紛々で、なかには荒唐無稽ながら小説にしたら面白いなあというのもありました。残念ながら反映させることはできませんでしたが。

 現在のアフリカ大地溝帯は、小説に書いたような谷ではなく、大きく広がった低地といった様相をしています。湖も対岸が見えないくらい大きい。日本人の想像を絶する光景がアフリカというところです。もちろん私は行ったことがありませんが、想像して書くという作業は楽しいものでした。

 しかしながら、この小説はフィクションであり登場する人名、地名、設定は架空のものであり、実在するものと同じ名前が登場しても何ら関係ありません……。山形に物語と符合する町や崩れそうな山があるわけではありません。その他もろもろを含めて、すべて作者の空想です。細かなところまで調べていては書けません。あくまで物語を書く“訓練”ですし、この作品は“習作”ですから……。

 そんなテスト走行にみなさんの大切な時間を割いていただくなど不届き至極、というお叱りは重々承知の上で、読者のみなさんにはお付き合いいただきました。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 それでもこの二ヶ月半を振り返って強く感じることは、私は小説を書くのが好きだということです。突き詰めて言えば、物語を紡ぐのが好き、なのですね。これを再認識、再実感しました。だから書けば書くほどまた書きたくなります。この作品をラストまで書き上げたことで、作品づくりの加減が分かったような気がします。

 数多い反省点が、次回作を書く動機になります。
 今後ともごひいきのほど、よろしくお願い致します。
2004年2月23日  野口 典正 記す


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