ドゴール空港内 9月10日(土)


 夜中に何度も目が覚めた。
 緊張しているのだ。
 目覚しのアラームは午前5時20分としていたのに、その前に目が冴えてしまったので私は起きることにした。それでも予定通り私は急いて支度した。
 服を着てトイレに行って荷物を担いで、6時前にホテルの玄関へと降りて行った。
 フロントには主人が既に座っていたので、ルームキーを返して挨拶すると、
 “Merci Messieurs(メルシー・ムッシュ)
  Au revoir!(オ・ルヴォワール)”

と返礼してくれた。私でもムッシュなのか。

 まだ街灯が煌々と道路を照らしている暗い街中を、私は重い荷物を担いで北駅へとひた走った。
 そして階段を下ってロワシー・レイルが発車する場所で、さて切符を買おうと財布を開けるとコインがない。何たる失態!
 私は焦りながらどこかに両替ができそうな店がないか?と探した。
 地上に上がると売店があった。
 そこで50Fを両替してほしいと店のオネエサンの頼むと“Non”と言ってプイ! チックショウ!!
 観念して切符売り場に戻り、不必要だが1枚だけ最も安い切符を購入した。
 これでお釣りのコインがたっぷり手に入った。
 さて空港までの切符を買おうとすると、後ろから若い男が近づいてきて、
 「どれ、自動販売機の買い方を教えてやろうか」
と声を掛けてきた。
 彼は私の手から硬貨を取り上げ、なんと5枚セットの切符100Fを買うボタンを押そうとしている。私は、
 「違う! 私の欲しいのは1枚だけだ!」
と言うと、あっそうと言った感じで1枚の方を押した。
 “Have a nice trip!”
と彼は歩き去ったが、何やらあぶない状況だった。

 6時30分発の列車に乗り込んだ。
 外はまだ真っ暗だが列車には数人の乗客がいた。
 7時にロワシーに到着。
 改札の出口に空港から出張ってきた係員がおり、乗客達の切符を確認していた。
 私は彼にバス停の場所を聞き、ターミナル1の乗り場からバスに乗り込んで一路空港へ。
 ロワシーRoissyとはシャルル・ドゴール空港のある場所を指し、空港の別称でもある。
 パリ近郊にはこのドゴール空港ともう一つオルリー空港がある。
 日本からの飛行機はJAL, Air Franceなどで来るとドゴールに、大韓航空、インド航空などで来るとオルリーに着くという風に振り分けられている。
 ドゴールはまだ新しい空港だ。
 その空港に入っていったのだが、まだ早すぎたせいで、アエロフロート(Aeroflot:ソ連航空)の受付には誰もいない。客もいない。
 私はリュックを背負ったままグルグルと円形の廊下を散歩して歩いた。
 あぁとうとう日本へ帰るのか。
 本当に長いこと旅したなぁ。
 もうこんなに長期間の旅行ができるのは定年後ぐらいだろうなぁ。
 しばらくすると地下のセルフのレストランが始まったので私は朝食をとった。
 レモネードとコーヒーなどを取った。
 また土産物売り場も開いたのでハート型の灰皿を、大学では隣りの研究室におられる独身講師のために買っておいた。

 私の乗る飛行機SU575便は、午前10時15分発に若干修正された。
 まぁフライトの時間が変わるのは日常茶飯事だから驚くに値しないが、情勢が情勢だけに何につけドキッとしてしまう。
 アエロフロートの受付も始まった。
 待合室の窓からのぞくと何機かのジャンボが動いていた。
 空港が精気を取り戻し始めたのだ。
 荷物を受付に預けて私はまたブラブラと散歩を始めたが、両替の事を思いだして受付に戻った。
 というのは出発の時に成田で『空港施設使用料』と後で取られた経験が私を心配させたのだ。
 もしまたここでもお金が必要になって手持ちになかったらどうしよう。
 私は受付のおねえさんに一応英語でたずねた。ところが、
 「何を言ってるのか分からない」
と彼女を混乱させてしまった(だからって泣きそうな顔しないでくれ)。
 しょうがない。とりあえず100F札だけを残して250Fの札と硬貨を両替して5千円札をもらった。
 また受付に戻ってくるとミュンヘンのホーフブロイハウスで出会った笠原親子と再会した。
 あの美女三姉妹の家族だ。
 親父さんも相変わらず豪快な人だ。社長サンだから仕方がない。
 「今日、アエロフロート機が飛ぶかどうか分からなかったんで、何度も電話で確認してたんですよ」
と親父。
 そのゴーカイさが楽しかったり、ジャマであったり‥‥‥とにかくユカイな人だ。
 私は自宅に電話した。あちらは現在午後4時。父が出た。
 「ちゃんと帰って来れるのか?」
 「ダイジョーブ」


ドゴール空港エスカレータ  私は笠原親子と共に、SFの世界のようなエスカレータが交錯する中をサテライト3へ向かった。
 途中で一度パスポート検査があった。
 それを過ぎてから親子は土産を買ってくるというので一旦別々になる。
 私はそのままサテライトへ入っていった。
 そしてそして遂に来ました魔のX線チェック。
 ベルトで流される品物は上からのX線照射で横にあるディスプレイに画像として再投影されるのだ。
 私はあらかじめ検査官にフィルムシールドを示した。すると彼はそこに掛かっていた看板を指さした。
 “No damage”
とある。だからベルトに乗せろというのだ。うーん。
 私はいやいやそこへ置き、流れて行くシールドを眺めていた。
 もしフィルムがパアになってたら大使館に怒鳴り込んでやる。ミッテランに文句言ってやる。

 サテライトへ通じる動く歩道はまだ動いていなかったので階段を昇った。
 サテライトに入るにはチケットを渡さなければならない。
 私は座って飛行機を眺めて待っていると笠原親子も来た。
 京都菓子を少し頂いた。
 私は思い切って三姉妹のサイン(名前とアドレス)をもらおうと頼んだ。ちゃんと親父さんの、
 「娘らがいいと言えば構わないよ」
との御墨付きをもらってから。
 長女はいかにもおねえさん風でおっとり、しっかり者。
 次女は目の大きな娘。
 末っ子は子供のようにあどけない。
 彼らと話をしていると搭乗できる時間になったので、いざ飛行機へ。
 機内での位置は、私の左前に三姉妹。
 左後ろに笠原夫婦。
 ちょうど行動を監視され易い位置関係である。

 とうとう飛行機はドゴール空港、フランスを飛び立った。
 あぁぁぁ、さようならフランス。
 さよぉならぁぁぁヨーロッパ。

 窓の景色は一面が雲の絨毯。
 私の隣りの席に座っていた日本人のおじさんが、
 「一人旅ですか?」
と話しかけてきた。それをきっかけに私はおじさんと会話を始めた。
 おじさんは7月19日に日本を発ち、パリに在住する息子夫婦を訪ねて来たのだという。
 その間、彼らとウィーン、ベニス、ローマ、ナポリ、ツェルマットを回ったのだという。
 1回目の機内食が出た。割とおいしい。しかし肉とポテトには大胆な焦げ目が‥‥‥。
 その他にもケーキ、サラダ、そしてパン2個、加えて赤ワインとコーヒー。
 うーん。腹いっぱいだ。隣りのおじさんのミカンまでもらったのだから当然だ。
 食後、トイレに立った私を笠原の親父さんが呼び止めた。
 「退屈だったら娘に本を借りなさい」
 ありがとうございます。これでまた話すキッカケができました。

 モスクワに到着した。
 来るときにもトランジットしたシェレメチェボ空港だ。
 今回は別の機への乗り換えはなかった。
 そして私達はなぜかスチュワードに案内されて食堂へ。
 またここで食事をしろと言うのだ。さっき食べたところだぞ! 入らんわい!
 周囲を見ると他の乗客達も迷惑そうな顔をしていた。
 撃墜事件へのお詫びの意味もあるのだろうか? 皆はしぶしぶと食事を始めた。
 キュウリとトマトのサラダ、そしてビールや緑のサイダー、あとからスープ、そしてメインの鳥肉と野菜とポテト、ラストはアイスクリーム。
 腹がパンクしそうだよぉ。食う方も食う方だな。
 レストランといっても明りもロクに無く暗い。
 モスクワはヨーロッパよりも2時間早いのだから、今はもう夕方だ。
 雨が降ってきてますます暗さに拍車がかかった。
 食後、ブラッとサテライトの中を歩いて回ると、あの懐かしのバーもあった。
 私と吉田君がコーヒーをおごってもらった店だ。
 あのおねえさんはいないようだった。
 その他には何も見るところがない。退屈極まりないところだな。ますますソ連の印象を悪くするぞ。
 待合室でオスロから来たという青年が話していた。
 「ソ連の戦闘機に撃墜された大韓航空機には、28人の日本人が乗っていたそうですよ。場所は樺太の南らしいですね。フランスなどはアエロフロートの乗入れを禁止するそうです。だから日本へ帰れるのは、このパリ発の便が最後だったんですよ」
 ゲゲッ、じゃあ私達はギリギリのセーフってことか!!!
 「日本は乗入れを止める予定はしていないそうです。今はソ連との結び付きを悪化させたくないそうなので」
 そうか、そうか、やっぱり大変なことに発展しているんだな。

 再び搭乗の時間になり、またX線を浴びて機内に入った。
 席は相変わらず自由だとのこと。
 3つ並びの席で私はまん中に座り、さっき隣りだったおじさんはまたもや隣りの窓際。
 3人娘とは近くになれなかった。
 モスクワ時間で午後6時55分発だ。
 機体が動き出すと降っていた雨が横殴りになり、窓に付いていた雨滴もやがて機体の速さに吹き飛んでしまい、窓はきれいになった。
 雲の上に出ると、夕焼け一色。
 こんなに鮮やかな夕焼けは初めて見る。
 私はそれを見ながらウトウトと眠ってしまった。

 やがてカチャカチャという音に起こされた。うわっまた食事だ! おいおい正気かいな。
 それでも私は一応食べた。
 来るときのように遠慮して、後で空腹を耐えるのはイヤだからね。
 食事を終えると長女がやってきた。
 「何か本があったら貸してもらえませんか?」
 彼女も退屈しているらしい。次には親父さんもやってきて同じお願い。
 もう何もないのというと『地〜』を持って行った。
 私もあんまり暇なんで、3人娘に借りた『禁断のメルヘン』(豊田有恒 著)を読んだ。結構面白い。けれどもこの頃には窓の外も暗くなり、機内の明りも弱くなっていた。
 私は頭上にあるランプで読書を続けていた。




《データ》
9月10日 土曜日
天候曇夕方雨
訪問地Paris, CDG, Moscow
食事空港内のセルフ 
機内食 
モスクワのレストラン, 機内 
出費Roissy-Rail代20F(700円)
不必要なメトロ代4F (140円)
灰皿25F (750円)
朝食代35F (1,225円)
ヘッドバンド15F (525円)
合計84F (2,940円)