セーヌ川 9月9日(金)


 またか。隣りはいったい何をやってんだ?騒々しい。眠れないじゃないかぁ。

 私は手を伸ばして目覚しのアラームを30分遅らせた。
 午前7時50分に自然に目覚めたので起床。
 朝食ルームは既に多くの人がいた。
 この日、初めて気がついたのだが、いつも私にコーヒーを持ってきてくれる男とホテルの主人とは別人だったのだ。
 よく見るホテルの主人はやや髪が後退し、目がギョロッとしたヒゲの男で、コーヒー係の方が紳士然としていて男前だ。兄弟なのかも。
 食事を終え、私はフロントのおばあちゃんに、
 「今日は部屋を引き払うけど、今からちょっと外出するよ。1時には戻るからね」
と声をかけて出かけた。

 テルトル広場、あの画家達がキャンパスを並べるので有名な広場に直行。
 前に来たときとは違う道をとったので少々迷ってしまったが無事到着。
 ちなみに一度歩いた道は二度通らない、が私のモットーだ。
 今日ここを訪れた目的は、私の担当教授の一人であるF先生へのお土産を買うことである。
 先生には是非モンマルトルで絵葉書を買ってきてくれと頼まれていたのだ。
 9枚で9F。さてホテルへ戻ろうかと体をUターンさせた途端、
 「一枚どうですか?」
と若者が声をかけてきた。
 似顔絵を描くというのだ。私は時間が無いので、と断わった。
 歩いて行き、日本人の画家の前で足を留めていると、また声を掛けてきた若者がいる。
 今度は女性だ。私が値段をたずねると150Fだという。高い!
 「あまり時間がないんですよ」
と言うと、
 「20分で済みます」
と言われて、私は書いてもらうハメになった。彼女はサッサッと構図を取り始めた。
 私はじっと待つだけ。通行人が絵をのぞき込んで行くのが照れくさい。
 私からは見えないのだが、うまく描いてほしいものだ。
 25分後、完成した絵を見てガーン。
 広い頬、やたらに切れ長の目。
 まさに白人から見たアジア人そのもの。
 やはり先入観があるのだろうか。

 急ぎ、ホテルへ戻った私は荷物を担ぎ、フロントのおばあちゃんに、
 “Au revoir”
と言ってホテルを出た。
 メトロに乗ってエトワールで乗り換え、ポルト・マイヨーPorte Maillotへ直行。
 明日、空港へ向かうのに少しでも便利なところに宿を取ろうという魂胆なのである。
 メトロを降りて近くのターミナルにあったインフォメーションへ入ってたずねると、
 「ここはツーリスト・インフォメーションではありません。シャンゼリゼの方へ行って下さい」
とのこと。
 すぐさまメトロで逆戻り。

 シャンゼリゼのインフォ内は既にホテル予約の旅行者で長蛇の列ができていた。
 最後尾に並んだ私は「宿が無くなるのではないか」と心配しながら自分の番が来るまで45分かかった。
 しっしかし、受付の女性共の仕事のトロいことといったら、も〜恐れ入る。
 これだけの列を目の前にしてユルユルと金を勘定し、優雅に書類を処理し「交代の時間だわ」と受付を離れて席をカラにしてしまう。
 その後ろではコーヒーを飲みつつ談笑しているヤツもいる。
 私と応対した女もすこぶる不親切。
 横を向いて他のことを始めたので、声を掛けると「何よ!」という顔でにらんできた。
 私は絶頂の怒りを抑えて抑えてホテルの予約を頼んだ。
 「ポルト・マイヨーの近くには4つ星しかないわよ。このインフォメーションでは星付きのホテルしか紹介していないの」
 うーん。星無しの安い宿を考えていた私には痛い。
 今さら駅のインフォへ行く余裕もないし、面倒くさいしで、あきらめて星付きを頼んだ。
 それで取れたホテルは北駅の近く。
 予約金10Fを取られた。あー疲れた。
 しかしパリっ子達の徹底した合理主義は聞いていたけど「決められた以上の仕事はしないわ」という思想?をこれほど完璧に守っているヤツらは他にはいない、と思わせた一時間であった。
 列に並んでいる時に、
 「持ってますね。旅行者の代名詞」
と言って近づいて来た若い日本人男性がいた。
 彼は私のショルダー・バッグに挟んでいた『地球の歩き方』を見てそう言ったのだ。
 私は自分が日本人であることを知らしめるために、いつも見えるように持っている。
 彼はまんまと引っかかったというべきか。
 「今日、夜行でマドリーから来たばかりなんですよ。ソ連の戦闘機が大韓航空機を撃ち落としたので、緊急会議がマドリーで開かれていて、街は大騒ぎでしたよ」

 私は新しいホテルに向かうため、すぐにエトワールからメトロに乗り込んだ。
 しかし慌てていたのか、乗るホームを間違えて反対方向に行ってしまった。
 これまでのヨーロッパ旅行で初めてのミステイクであった。
 反対行きに乗ったものの降りる駅を間違えて随分歩くことになった。
 歩いている途中でカメラ屋があり、中に入るが、フィルムカバー(この呼び方は間違っているハズなのだが、本当の名称を思い出せなかったのだ。私が欲しいのは空港でのX線検査からフィルムを防護する袋なのだ。こちらへ来るときはそんなものがあることも知らなくて、行きにフィルムが浴びた恐れもある。だからせめて帰りだけでもと思って探していたのである)はなかった。
 名称を知らないものだから説明に骨が折れた。
 「フィルムを守って、えぇと、ほら、空港で、こうX線がビカッと‥‥‥分からんかなぁ、空港! ホラ飛行機がこうギューーーンと降りてきて(ここで飛行機を手真似する)、ネ!」
 店員は首を傾げることしきり。

 ここが新しいホテルだ。
 星付きと言ってもパリ市内の古い建物だ。
 フランス革命の時から残っているんじゃないか?
 ホテルの主人にパスポートを見せると、彼は掛けられていた看板を指さして私に注意を促した。
 そこには
 [We strict forbidden to eat in the room]
と書かれていた。
 部屋は4階の階段のそば。ルームキーは人型の巨大な金属板が付いており重たい。
 ベッドは大きくて実に柔らかい。トイレの水は紐を思いっきり引っ張らないと流れない。
 全体に古めかしい印象は否めないが、ヨーロッパの宿には付き物の美しい壁紙が華やかな雰囲気を醸し出しており、パリらしさを出してはいた。
 私はカンズメを開けて食べ始めた。主人との約束を見事に破ったわけだ。
 少し味がおかしいかな。
 それでも食ってるとノックの音。ゲッどこかに隠しカメラが仕掛けてあったかな。
 私は慌ててカンズメをベッドの下に置いた。そして臭いを消すために窓を開けた。
 そしてノックの音が聞こえなかったフリをして2回目の音を待っていたが鳴らなかった。
 ベッドの下からカンズメを取り出して食べ始めるとまたノック。
 またもや素早く隠して扉を開けると立っていたのは掃除婦のおばさん。
 「古いタオルを出してちょうだい」
もう空腹が収まってしまったぜ。
 私はカンズメの残りを捨てることにしてビニール袋にくるんでカバンに入れた。
 外に出てどこぞで捨てよう。
 明日の空港までの足を確かめておかないといけないし、とホテルを出た。

 北駅でロワシー・レイルRoissy-Railを探したが見つからない。
 ここを始発とするシャルル・ドゴール空港への特急列車だ。
 とにかく両替所でT/Cを換金した。ナント40ドルが456Fになった!! 何ちゅうレートや。
 シャンゼリゼのまともな銀行よりもエエやんか。計算を間違えたとしか思えん!!!
 再度ロワシーを探して人にたずねつつ地下へ降りていくと、見ぃつけた。
 券売機の場所も確かめた。そこで切符を買っている紳士にたずねた。
 「ロワシー・レイルの切符はこのボタンでいいんですか?」
 「あぁ、そうだよ」

 どうやら英語が通じた。
 「僕、明日の飛行機でパリを発つんですよ」
 「Have a good trip!」


 フィルム防護袋を探しての放浪は続く。
 日本人いらっしゃいのオペラ通りで3軒ほどカメラ屋に入ったが無いという。
 しかしprotectという単語を思い出させてくれたので、防護袋の説明に使用した。
 アレ? どうも“パリ大好き”のバッグが湿っている。
 しもた! カンズメや!チックショー、捨てるのを忘れてたんや!!!
 私は噴水で袋を洗ったが魚の臭いは落ちなかった。

 昨日紹介してもらったレ・アールLes Hallesに行ってみることにした。
 ポンピドーの正面辺りに位置するその建物を見た瞬間はガッカリした。
 パリを代表する若者向けショッピングセンターと聞いていたから大胆なデザインを期待していたのに。
 私はここには入らずにデパートが立ち並ぶ場所へと歩いて行った。

 「カメラ屋なら向こうに大きい店があるよ。ピグマリオンとか言ったっけ」
そう聞いたのでズンズン行くが、レコード屋の奥にある小さな店だった。
 ここには無く、向こうにさらに大きな店があると聞き、行ってみるが見つからない。
 もう5時半だ。また先のレコード屋に戻ってたずねるとデパートNo.2にあるという。
 その方角へ行ったがNo.2だけがない!
 デパートの前で服を売っていた少年にたずねたら、この奥だと言われてドンドン進む。
 あったあった。カメラ屋があったので早速たずねると店員は全員英語ダメ。
 よくある“英語を知っていても喋らないフランス人”ではなく本当に喋れないようだ。
 私が困っていると隣りで買物をしていたおばさんが、
 “Can you speak English?”
と話しかけてきた。近くにいた青年も来て、私と店員との間で通訳をしてくれた。
それによれば、
 「その商品は今は切らしているんですって。2, 3日すれば入荷するそうよ」
ということらしい。
 「え〜、僕は明日パリを発たないといけないんです」
と言うと、おばさんは、
 「それならレ・アールのFNAC(フナック)へ行ったらどうかしら」
とのご意見。息子さんが、
 「僕が地図を書いてやろう」
と髪を取り出しかけたが、
 「その場所なら知ってます。ありがとう。行ってみます」
と何度も礼を言って私は先を急いだ。
 おばちゃんと青年とは連合いではなかったようだった。おばちゃんの最後の一言は、
 “Good Luck!”
であった。

 レ・アールは中に入って気がついたのだが、地下に大きく広がったショッピングセンターだったのだ。
 広いし綺麗だし賑やかだ。
 一目散にFNACのカメラ売り場に行くと‥‥‥あったぁぁぁぁぁぁ。
 私は安堵感でヘタヘタと床に座り込みそうになった。
 そうなんだ。“フィルムシールド”という名称なんだ。
 お宝を手に入れた私はようやく人心地ついたので、レ・アール内部を見学して回った。
 バーで座って夕食代わりの食事を取り、スポーツ用品店でテニス用のヘアバンドを買った。
 階段の踊り場ではパントマイムが若者達の視線を集めており、しばし観覧。

 外はもうすっかり夜だ。
 あぁヨーロッパ最後の夜なんだなあ。
 明日は機上の人か。
 そう思うと、旅に疲れていた私も若干惜しい気持ちにもなった。
 ホテルの近くでうらぶれた服装の男が私に話しかけてきた。
 「私、荷物、歩く、食べる」
 何を言ってるのだ、この男は?
 私はSorryと言って立ち去ろうとすると彼もサンキューと言って歩き去った。
 コミュニケーションができないことは悪いことなのか、それともいいことなのか(イザコザに巻き込まれない)?
 雨が降ってきた。私は走ってホテルに飛び込んだ。

 部屋の窓から雨にむせぶパリの街を眺めながら物思いにふけった。
 パリへ来る前はいろんな人から「パリでは人さらいや強盗が横行している」「観光客はボラれるぞ」「特にパリっ子は不親切だ」などという酷評をさんざん聞かされていたので、非常に不安だったのだが、来てみると一部の人間を除いて、人当たりの良いパリっ子ばかりだった。
 まぁ英語の分かる旅行者に助けられたこともあるけどね。
 パリっ子の一見「冷たい」と思える合理主義・個人主義も、慣れてしまうと楽なのかも知れない。
 この考えは対外人にばかりでなく、彼らの間でもそうだという。
 私の母国である人情ベッタリの日本は、時にはその「向こう三軒両隣り」的精神から、ついつい他人の事にクチバシを突っ込む傾向がある。
 それを全部否定するつもりはないけど、パリの人達がこういう「冷たい」関係の中でも生活をし、芸術を生み、ヨーロッパの首都とも呼ばれるこの街を育んできたことを考えると、私がこれまで持っていた価値観はグラグラと揺れてしまう。
 国際化の波に乗って、日本はどう変わっていくんだろう。
 いや、私達が変えていかないといけないんだろうな。
 ムニャムニャ、グーーー‥‥‥




《データ》
9月9日 金曜日
天候曇夕方雨
訪問地Paris
宿泊先Fix Hotel (72 Rue Magenta)
宿泊料80F
食事宿フランスパン20cm切り, ママレード, バター, コーヒー3杯分
Les HallesのBarサンドウィッチ(パンに薄切りハムを挟んだもの, マーガリン付), ビール
出費ホテルの予約代10F(350円)
絵ハガキ9F (315円)
私の顔150F (5,250円)
フィルムシールド106F (3,710円)
ヘッドバンド15F (525円)
宿泊料80F (2,800円)
合計370F (12,950円)