『民衆を導く自由の女神』 9月8日(木)


 午前8時に自然に目が覚めた。
 昨夜は隣りのヤツもまずまず静かにしていたな。
 朝食ルームは混んでいた。相変わらずコーヒーがこぼれるので困る。
 パンもナイフで切ってもボロボロに崩れるので使わずにバリバリと噛み切って食べた。
 日本のフワフワとしたパンに慣れた口にはつらいね。
 食後、フロントで「もう一泊するよ」と言うと主人とおばあちゃん(主人の母だろう)がボソボソと相談し始めた。どうやら主人の方は英語が喋れないようだ。
 おばあちゃんが何か紙に書いて私に示した。
 “Yesterday, you paid 60F”
と書いてある。
 「そやから昨日70F払おうとしたのに、そっちが受け取ろうとせんかったんやないか! 今ごろそんなこと言われても払えるかい!」
 と怒鳴りたかったのだが、面倒なので止めて素直に6Fを払った。

 今日も郵便局へやってきた。絵はがきを、
 「エアメイルで」
と頼むと、
 「あちらの窓口で」
とのこと。そちらへ行って頼むとちゃんと[PAR AVION(航空郵便)]のシールを貼ってくれた。
 そして昨日エッフェル塔で買った丸い絵はがきを差し出すと、局員の女性が何事かフランス語で喋ってくるが私には理解できない。
 困っていると脇の方から、
 “Can you speak English?”
との声がした。振り向くと恰幅のよい黒人の老紳士が立っていた。
 私がうなずくと老紳士は私と局員の間の通訳をかって出てくれた。
 「丸い葉書は封筒に入れて出さないといけないと局員さんは言ってるんですよ」
 なるほど、そうだったのか。
 確かにこの丸い葉書を買ったとき四角い封筒に入っていたっけ。
 私は老紳士に礼を言った。
 切手を貼り付けるための水さしか湿ったスポンジがなかったので、6枚分の切手をすべて舐め廻して貼った。ペッペッ変な味。

 メトロに乗り込みエトワールへ。
 銀行へ入って50ドルのT/Cの両替を依頼した。
 窓口のおねえさんは、
 「貴方の宿泊しているホテルの名前は?」
とか何とか私にたずねてきた。
 ホテルが両替にどう関係しているか、それとも聞き違えたのだろうか、とりあえず私は分からない振りをして、
 「Pardon(何やて)?」
と返事をした。するとおねえさんは、マァいいわ、というジェスチャーでスンナリ両替をしてくれた。
 何だったのか? 謎だ。

ルーヴル入場券  再びメトロに乗ってコンコルドへ。
 チュイルリー庭園 Jardin des Tuileriesと呼ばれる公園に入ってコーラを買って飲んだ。
 飲むというより舌に残っていた切手の跡をコーラでうがい落としたのだ。
 しかしコーラ代7Fは高い。
 カルーゼルの凱旋門に近づくと写真屋が何人かたむろしていた。
 彼らは勝手に観光客を撮影してその写真を売りつけるのだ。
 私も撮られたが他の客同様に無視した。
 この凱旋門の間からずっと離れた場所にあるコンコルド広場のオベリスクが見え、その遥か向こうにエトワールの凱旋門を望むことができる。
 一線上に並んでいるのだ。

 とうとう来たぞ、ルーヴル美術館Musee du Louvre
 ここも私のようにスーパーのビニール袋をそのまま持って入るのは断わられるハズだったのだが、私は中で歩いている間、係員から何のお咎めも受けなかった。
 ウジェーヌ・ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』があった。
 想像以上の大きさだ。
 何よりも驚いたことには、素のままで展示されているのだ。
 足元に簡単なロープの柵があるが、とても前に出るのを防いでいるとは思えない。
 ちょっと手を伸ばせば絵に触ることができる。
 これも文化もしくは民族のギャップと考えればいいのだろうか。

『モナ・リザ』  しかし1点だけ硬質ガラスで厳重に囲まれて横にしっかりと警備員を従えた絵があった。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』である(“モナ”は貴婦人の敬称)。
 ルーヴル、いや人類の至宝であり、過去に盗難にあった事を考えれば当然だろう。

 ブラブラと歩いていると彫像の部屋に来た。
 フト目の前をみると‥‥‥ン?
 これはエーッと‥‥‥うわっ『ミロのヴィーナス』じゃないか!
 私は思わず息を飲んでしまった。
 私の驚き方は大袈裟に見えるかも知れないが、状況を説明すれば納得がいくと思う。
 かの有名なヴィーナスが部屋のまん中にポツンと置かれているのだ。
 腰までほどの高さの大理石の台に乗せられているものの周囲には何の柵もロープもなし。
 警備員も張り付いていない。
 レプリカじゃないだろな。
 私は思わず手で直に触れてしまった。
 警報は鳴らなかった。

『ミロのヴィーナス』  入口で買った美術館のガイドブックには“English map”と書かれていたが、もしかしたら日本語版があったかも知れない。
 そう思えるほど館内にいる日本人の数が多かったのだ。
 グルグルと見学して回っていると、なぜか入口の外に出てしまった。
 そこで最初に入場した場所から入ろうとすると若い係員が、
 「そのビニールの袋は預けないとダメですよ」
と指摘した。今さら何を言う!
 私はここから入るのをあきらめて、先ほど来た道を逆に辿って歩いて行った。
 とりあえず入場券を示すとMerciと言われて中へ戻ることができた。
 袋については不問であった。

 ジャン=フランソワ・ミレーの『落穂ひろい』が片付けられていたのは残念だった。
 一通り有名な作品は見ておきたかったのに。
 走るように全ての展示室を踏破した時、入場してから3時間が過ぎていた。
 腹はグーグー鳴っていたが、館内のレストランは満員だったのであきらめて外へ出た。

 カルーゼル橋を渡り、サンジェルマンSt.Germain通りを歩き、サンミッシェルSt.Michel通りを通過した。さすがにカルチェ・ラタンQuartier Latinの学生街らしく大学生っぽい若者の姿が目についた。
 フランス革命が起こるまでこの辺りでは日常語としてラテン語が話されていたのでこの名前が付いたのだという。
 ちなみにカルチェとは「地区、街」という意味だ。
 私とすれ違った女性が押していた乳母車の子供が白い熊の縫いぐるみを落とした。
 子供は泣き叫んだが、母親は連れの友人との会話に忙しいらしく気がついていない。
 私は縫いぐるみを拾って乳母車に追いつくと子供に返してやった。
 母親は驚いたように“Merci!”と言った。パリのとある狭い通りの一コマであった。

 リュクサンブール公園に入って行った。
 中央にある噴水のそばのベンチに腰掛けて日記を書き始めた。
 資料によれば、この公園のどこかにニューヨークの自由の女神のオリジナルがあるらしい。
 私はそれを探すために公園の反対側に歩いて行った。
 広い公園なのでこの辺りまでくると人気も少ない。
 フト見ると和服を着て髪を見事に結った日本人らしい女性がいた。
 どうしてこんなところに?
 まるで江戸か明治の時代から抜け出したようだ。
 私は日本の女神を気にしつつも先へ歩を進めた。
 あった。
 もちろんサイズはN.Y.のものとは比較にならないほど小さい青銅の女神様だ。
 この女神のことを知っている人は他にもいたらしく、記念撮影をしている人が何人かいた。

撮影中  元の入口付近まで戻ってくると何やら人だかり。
 テレビか映画のロケをしているのだ。
 昔のパリ風の出で立ちをした俳優さん達がいるところを見ると、時代はかなり古いようだ。
 だがよく見るとスタッフは全員日本人だ。
 日本語が聞こえてくるので間違いない。
 おっ!さっき見た和服の女性もいる。
 その脇に立つ熟年のヒゲの男性は相手役だろうか。彼も日本人だ。
 撮影の内容をかいつまんで書くとこうだ。
 舞台はパリ万博の頃だろうか。
 パリの公園を散策する2人の日本人。
 その若い女性の方が手回しオルガンが鳴っているのを見つけて走り寄る。
 彼女はそのオルガンを大層珍しそうに眺め、聴き惚れている。
 ヒゲの紳士もやがて彼女に近づき、脇でオルガンの音色を聴いている。
 女性は一度ヒゲの紳士の方を振り向き、何事か楽しそうに話しかけ、またオルガンに見入っている。
 目を大きく見開いていかにも嬉しそうだ。
 2人の向こうをフランス人達が通り過ぎる。
撮影中  これだけのシーンを何度もリハーサルを行い、やっと本番。
 その次は手回しオルガンのアップを撮影し、音だけを別録りした。
 この撮影を眺める観衆も多く、クロード氏と呼ばれる通訳のフランス人が、
 “シェルブプレ(Sil vous plait:英語で"Please"の意)!”
と何度も叫んで、観衆達をカメラのフレーム外に追いやっていた。
 もっと大変だったのはオルガンの音を録音した時。
 スタッフ達は声を出せないものだから、手振りでそっちへ行くな、近づくな、と必死であった。
 私はこの間の一部始終をずっと眺めていた。
 日本に戻ったら是非とも放映もしくは上映を楽しみに待つことにしよう。
 (現在筆者注:ここで撮影されたものは、帰国後しばらくして昼の帯ドラマ『おゆう』で観ることができました。ヒロインを演じたのは浜尾朱美さんで、現在『ニュース23』のキャスターをしてる方です。当時のこの撮影、かなり時間と労力をかけたものでしたが、放映時はたった10秒のシーンでした)

 公園を出て土産を買い、ソルボンヌ大学の横を通って、気がつくとオペラ通りに出ていた。
 「免税ブティック」と下手な日本語の文字で書かれた看板があったりするここは日本人が経営する店が立ち並ぶアヴェニューだ。
 「大阪らーめん亭」なる店もある。
 見かけるのは日本人ばかりで、私もこんな所に来たくはなかったが、カメラ屋で名前を知らないある物を買いたかったので我慢して来たのだが、時間が遅すぎた。明日にするかぁ。
 ホテルまでの道中にあったカバン屋で“J'aime Paris(I Love Parisの意)”と赤字で書かれた青い肩掛けサックを買った。
 これまで愛用してきたショルダーバッグもずいぶん痛んでいたので、いいのが欲しかったのだ。

 ホテルの部屋に荷物をおいて、食料を調達に出かけた。
 途中でビールを売っている店を見かけたので、帰りに買おうと思ってO'KITCHでバーガーを買った帰りに寄ってみると既に閉店。うーん残念。
 部屋で食べる今晩の食事も褒めたもんじゃないなぁ。
 さぁ、ゆっくり街を歩けるのも明日が最後だ。




《データ》
9月8日 木曜日
天候薄曇
訪問地Paris
宿泊先Hotel Moncey ☆(65 Rue Blanche)
宿泊料60F
食事宿フランスパン20cm切り, ママレード, バター, コーヒー3杯分
ホテルの部屋にてベスト・キッチ2個, キッチーズ, ファンタオレンジ, 残り物のレーズンパン, ジャム
出費切手代23.20F(812円)
ルーヴル入場料6F (210円)
その地図6F (210円)
コーラ代7F (245円)
灰皿3コとセンヌキ94F (3,290円)
バッグ40F (1,400円)
夕食37.30F (1,306円)
宿泊料66+6F (2,520円)
合計279.5F (9,993円) ←どはー太っ腹